泊村(とまりむら)3
小樽から車で約1時間半。
北海道積丹半島の南西に位置する泊村は、雄々しく切り立つ海岸線と豊かな緑の山並に抱かれた風光明媚なところ。
海の幸に恵まれた泊村の基幹産業は漁業です。
中でもここで獲れるウニは積丹半島の特産品となっています。
観光面では、平成8年の秋、念願だった国道の全線開通が実現し、積丹半島をぐるり一周できることになりました。
このため、積丹半島は小樽や札幌から数多くの人々で賑わうようになり、泊村にもたくさんの人が押し寄せ、今ではすっかり泊村の観光名所となった原子力発電所PRセンター「とまりん館」の入場者数も増加しました。
兜岩と呼ばれる奇岩が立つカブト岬。源義経が残した兜が岩になったという伝説のほか、アイヌ伝説の舞台でもあります。
泊村は、かつては北海道最古の炭鉱として知られる茅沼炭鉱で発展し、現在は泊発電所が立地する「エネルギーのふるさと」。
明治、大正時代にはニシン漁で栄え、今でもサケ、イカ、ヒラメなどの漁業が盛んです。
泊村(とまりむら)1
泊村は北海道後志総合振興局管内にある村。古宇郡に属す。
北海道で唯一の原子力発電所があるため、村の財政は豊かである。
村の名前の由来は、アイヌ語の「ヘモイ・トマリ(鱒・泊地)」が略された可能性がある。
面積 82.35平方km
総人口 1945人(2010年12月31日)
人口密度 23.6人/平方km
隣接時自治体 古平町、神恵内村、共和町
地理
絶景な断崖絶壁が続き、武士のカブトに似ている「兜岩」が有名な漁業の村。
平地は少なく、大半は山林である。
山: 熊追山(805.4m)、滝ノ沢山 (714.0m)、天狗山(688.7m)、丸山(208.7m)、兜山
川: 茶津川、玉川、モヘル川、盃川、茂岩川
その他: 大川ノ滝、兜岬、弁天島
沿革
1909年 泊村・盃村・興志内村・茅沼村・堀株村が合併して、二級町村泊村となる。
1923年 一級町村制施行。一部を発足村(現・共和町)に分割。
1989年(平成元年)6月22日 北海道電力泊原子力発電所1号機運転開始。
1991年(平成3年)4月12日 北海道電力泊原子力発電所2号機運転開始。
2009年(平成21年)12月22日北海道電力泊原子力発電所3号機運転開始。
行政
村長:牧野 浩臣
産業
北海道電力泊発電所があり、北海道の電力消費量の約4割を供給している。
発電所の固定資産税や国の電源開発交付金により、同村は北海道内の市町村で唯一、地方交付税を受け取っていない不交付団体である。
北海道では最も古い、1856年に発見された茅沼炭鉱があった。ここには日本で最初の鉄道といわれている、茅沼炭鉱軌道があった。1964年閉山。
漁業と観光が基幹産業である。
漁協
泊村漁業協同組合
盃漁業協同組合
泊原子力発電所の歴史 6
過去の主なトラブル
2003年9月 2号機の1次冷却水が漏れ、運転停止。
2004年9月 蒸気発生器伝熱管56本に摩耗減肉。
2004年10月 2号機で、B充填ポンプトリップの警報により、Bポンプが自動停止。
2005年5月 原子力発電所のフェンスを越えて、山菜加工業者とそのアルバイトらが敷地
内に法侵入。
タケノコ採りをしていたアルバイトの1名が、たまたま職員に捕まったことを
きっかけに総勢24名が逮捕、後日書類送検された。
テロ対策強化の必要性が改めて問われる事件となった。
2007年7月3日、4日、11日、24日、8月7日、9日に火災発生。
他にも電源コードの切断も見つかった。
何者かが放火している疑いが持たれている。
2011年1月9日、北海道電力は、3号機で、定期検査中に20歳代の男性作業員一人が
微量の射性物質をあびて被ばくしたと発表した。
泊原子力発電所 9
泊原子力発電所の歴史 5
3号機で導入が予定されているプルサーマル計画については、平成20年4月に安全協定に基づき岩宇4ヵ町村及び北海道に北海道電力(株)から申し入れがあり、これまで、岩宇4ヶ町村と北海道で専門知識を有する有議者から構成する「プルサーマル計画に関する有議者検討会議」を設置するなどして、慎重に審議を進めるとともに、「泊発電所のプルサーマル計画に関するご意見を伺う会」や資源エネルギー庁主催の「プルサーマルシンボジウム」更には「プルサーマル計画に関する公開シンポジウム」を開催するなどし、地元はもとより道民からも広く意見を求め議論を重ねてきた。
平成21年12月には知事(当時高橋はるみ)及び岩宇4ヶ町村長が有議者検討会議から「プルサーマル計画の安全性が確保される」との提言を受け、
平成22年2月に、泊村議会協議会において3号機のおけるプルサーマル計画を容認することとし、岩宇4ヶ町村長がプルサーマル計画の事前了承をする旨を知事に報告後、3月には北海道電力(株)に対して回答しました。
これにより、北海道電力(株)では国に原子炉設置変更許可の申請を行い、現在は国の二次審査の手続き中。
泊原子力発電所 8
泊原子力発電所の歴史 4
平成12年7月、北海道議会第2回定例会において当時の堀達也知事が泊発電所3号機についての考え方を表明し、8月には、地元の意向の照会を求めました。
地元町村はそれぞれの議会において議論をし、本村では、8月28日に開催された原子力発電所対策特別委員会において『条件付き容認』が賛成多数で決議されたのを受け、村長は8月31日、知事に対し正式に3号機増設計画に対する意向を伝えました。
それを受け、堀達也知事は同年9月、経済企画庁に対し電源開発基本計画への 組み入れについて異存ない旨の回答を提出し、そして同年10月の144回電源開発調査審議会において国の電源開発基本計画に新たに組み入れられました。
平成15年7月に経済産業大臣(当時中川昭一)より3号機増設の原子炉設置変更許可をえて、同年11年から建設工事が始まり、平成21年1月に熱料初装荷、試運転を開始し、3月には初臨界に達し、平成21年12月から営業運転を開始。
泊原子力発電所 7
泊原子力発電所の歴史 3
泊発電所3号機増設計画については、平成8年10月に具体的な検討を進める上で必要な「環境影響評価」の実施についての申し入れがあり、その後、1年8ヶ月に及び環境調査が行なわれた。
平成10年7月、北海道電力(株)より3号機増設計画についての申し入れが道をはじめ地元町村になされた。
平成10年9月、総合エネルギー対策推進閣僚会議において、泊地点が『要対策重要電源地点』に指定された。
平成10年11月に は道条例に基づく公聴会の開催
平成11年6月には第1次公開ヒアリングが開催されまた
平成11年7月の日本原電(株) 敦賀2号機一次冷却材漏洩事故の発生や、その2ヶ月後に発生した東海村JCO臨界事故により、原子力の安全性に対する 世論が一段と激しさを増し、一部には住民投票との声もあった。
こうした中、地元関係漁協や経済団体などが『条件付き賛成』をいち早く表明。
泊原子力発電所 6
泊原子力発電所の歴史 2
昭和57年3月、北海道知事(当時堂垣内尚弘)が「共和・泊発電所建設計画」について、同意の意見書を経済企画庁へ提出し、第87回電源開発調査審議会において、「共和・泊1・2号機建設計画」が国の電源開発基本計画に組入れられ、同年7月の第88回電源開発調査審議会において「泊発電所」への名称変更の承認がなされ、同年12月に北海道及び関係4町村と北海道電力(株)は、建設工事における環境の保全等を図るため、建設協定に調印した。
昭和59年6月、内閣総理大臣(当時中曽根康弘)による原子炉設置許可、通商産業大
臣(当時小此木彦三郎)による電気工作物変更許可を、同年8月には通商産業大臣による工事計画認可を受け、北海道電力(株)は同年9月に泊発電所の起工式を行い、建設工事に着手。
その後、1号機岩盤検査をはじめ、原子炉容器、発電機など次々に主要機器の据付けが行われた。
1号機は、昭和63年10月に燃料初装荷、11月には初臨界に達し、平成元年6月から営業運転が開始。2号機については、平成2年6月に燃料初装荷、7月に初臨界に達し、平成3年4月から営業運転が開始。
計画から運転開始まで、21年余りの歳月をかけて泊発電所は原子の火を灯した。
泊原子力発電所の歴史 1
北海道で最初の原子力発電所の計画は、昭和42年10月に北海道(当時町村金吾知事)が泊村、島牧村、浜益村の3村を原子力発電所建設予定調査地点候補地として選定発表したことから始まりました。
その後、岩宇地区4ヵ町村長、議長、商工会議所で構成した「泊村原子力発電所誘致期成会」や本村では「泊原子力発電所誘致促進会」が結成。
誘致活動が行われ、昭和44年9月には、北海道、札幌通商産業局、北海道電力(株)の三者協議によって、北海道初の原子力発電所の建設予定地が共和・泊地区に決定された。
しかし、「共和・泊原発」となるはずだったが「今日は止まり」で語呂が悪いと言われた。
昭和53年9月、北海道電力(株)は、発電所のサイト位置を内陸部から泊海岸(泊村大字堀株村)へ変更し、電気出力を57万9千キロワット・2基とすることを表明。
この間、地元では発電所建設について種々の議論がなされたが、最終的に、地元町村長の同意がなされ、結局1978年(昭和53年)9月に、より沿岸部に建設予定地を変更し、泊村だけの用地に変更され名称も「泊発電所」となった。
地図は共和町。上部の町が泊村。
泊原子力発電所 4
泊原子力発電所
いずれも加圧水型軽水炉、燃料の種類は低濃縮二酸化ウラン。
出力は207万kWであり、道内の電気の約40%を賄っている。
2005年に、韓国電力の子会社・韓電機工が、日本国内では初めて、原子炉上ぶた貫通管検査を請け負ったことでも話題となった。
発電設備
1号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1989年6月22日
定格電気出力:57.9万キロワット
2号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1991年4月12日
定格電気出力:57.9万キロワット
3号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:2009年12月22日
定格電気出力:91.2万キロワット
プルサーマル発電を予定
3.11震災後の北海道電力会見
北海道電力は2011年3月24日、札幌市内で記者会見し、東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、泊原発(後志管内泊村)の地震・津波対策を見直す考えを明らかにした。
北電は泊原発への津波の最高水位を9・8メートルと想定し、原子炉格納施設や建屋などの主要設備を海抜10メートルの高さに建設している。
だが、想定を超える10メートル以上の津波に襲われた福島第1原発では、停電によって、原子炉を冷却するポンプが停止。津波で非常用ディーゼル発電機も故障し、燃料の一部が溶けて放射性物質が外部に漏れ出る事態となった。
会見した舟根俊一原子力部・原子力設備グループリーダーは、泊原発では現在は建物が津波をかぶることを想定しておらず、想定以上の大津波に襲われた場合、非常用ディーゼル発電機や海水ポンプが故障する可能性もあると説明。
泊原発沖合への防潮堤建設や建屋の出入り口の防水対策などを挙げ、「津波が中に入らない対策が必要」と述べた。
また、今後の対策として原子炉の冷却にかかわる機器類を冷やすために海水を送る「海水ポンプ電動機」の予備機を高台に配置することも検討する。
このほか、外部からの電力供給がストップし、非常用ディーゼル発電機などが作動しない場合に備え、電源確保策として、18日に移動発電機車を配置したことも明らかにした。