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函館港まつり
 
1935年(昭和10年)、前年の大火で打ちひしがれた市民に、
復興への意欲を奮い9acbb44b.jpeg立たせようと始められた函館最大のお祭りです。

函館港踊りや山車、パレード、コミカルな振りで笑いを誘う
函館名物「イカ踊り」とともに、8月2日、3日は、「ワッショイ・はこだて」
が街を練り歩き、花電車も繰り出します。
 
毎年8月1日の全国花火大会は約5,000発の花火が豪快に
打ち上げられ、函館の短い夏を謳歌するビッグイベントとなっています。
 毎年8月1日から5日までの5日間にわたって開催されます。

函館港まつり
 
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田辺三重松(たなべ みえまつ)
 
北海道立函館美術館taisetsu.jpg
 
函館に生まれた田辺三重松
(明治30/1897~昭和46/1971)は、
近代日本を代表する風景画家の一人です。
函館商業学校で日本画家北条玉洞に絵を学んで以来
画家の道を目指すようになり、美術学校への進学を希望しますが
母親の強い反対にあい断念、家業の呉服業を手伝う傍ら、独学で勉強を続けます。

大正10年、函館で初めての美術団体、赤光社の設立に参加するほか
大正14年に結成された北海道美術協会(道展)にも出品を続けるなど
地道に画業を進めていた田辺が、二科展に初入選を果たしたのは昭和3年
すでに31歳になっていました。
その後は、昭和11年に二科展で特待賞、昭和17年に二科賞を受賞、
その年には戦前最後の二科会会員に推薦されるなど、順調な歩みを見せます。
戦後は行動美術協会の創立に参加、同会を中心に精力的な活動を展開しました。
また北海道でも、新たに結成された全道美術協会の創立会員として、その美術界をリード。
 
生涯を通じて、故郷北海道の風景をはじめとした雄大な自然を題材に、
大胆な形態把握と鮮やかな色彩で描き、独自の風景画を確立しています。


中島廉売 
函館市中島町23-6
 
大手のディスカウントショップやスーパーが進出している中、
函館市民には絶対的な人気を誇る中島廉売。
 
昭和9年3月21日の函館大火で焼失家屋、焼死者多数を出す
大惨事でありました。
naka39.jpg
此の火災で僅か焼失戸数五十六戸に過ぎなかった中島町は、
昭和9年から昭和11年には露天出店話が百軒近くになり
「れんばい通り」両側の一般住宅も商店に改装する所があらわれ、
商店街として実質的誕生となりました。

現在約1439世帯に達し
まさに地域密着型の市場として定着しています。
食料品のみならず、さまざまな店が200軒以上も並んでいます。
通りには一年中露店が出て、毎日が縁日のようで楽しくなります。
 
業種構成では食料品店が60%を占めており、
「衣料品」「身の回り品」店が15%、
その他25%と最寄品店が主体となっている。
55年には、常設店舗を中心に中島町商店街振興組合(組合員数八十四名)
が組織されたが、他に中島町親睦会・仲通り会が結成されており、
三者協調による商店街として現在に至っている。
中島廉売周辺には豊かな人口をようする住居地域があり、買物客からは
「食料品の街」「廉売の街」として評価を受けている。


函館駅
 
かつて北海道の玄関口は函館でした。
現在は、青函トンネルの開通や3d87b2f6.jpeg
航空機普及などで、玄関口というイメージは新千歳空港となりました。
 
函館駅が開業したのは1902年(明治35年)で、
現在の駅舎は5代目で2003年6月に開業。(写真)
現在、北海道新幹線建設中ですが、北海道新幹線の新函館駅は
こちらの、函館駅ではありません。
北海道新幹線の新函館駅の場所は現在の北斗市にある、
渡島大野駅につくるのですが、函館市内から遠い場所にあります。
 
1915年(大正4年)青函連絡船との接続を図るため、函館駅から
やや離れていた連絡船の接岸場所付近に函館桟橋仮乗降場を設置。
連絡船との接続列車のみ入線し、運賃計算上は函館駅と同一とされていました。


金森赤レンガ倉庫
 
 金森赤レンガ倉庫(かねもりあかれんがそうこ)の歴史は、
明治以前に大分県3fd5af01.gif出身の渡邉熊四郎が長崎県から函館市に渡り、
1869年(明治2)に金森洋物店を開業。
これが現在の赤レンガ倉庫の起源となります。
洋物店開業の際、屋号を森屋。
現在もレンガ建物に描かれている、「森」の字を直角の線で囲んだ
トレードマークは、この開業の時の商標です。

同年は榎本武揚らが率いた旧幕府軍の降伏を受け、
函館市内に開拓使出張所が設置された年です。
 
輸入雑貨や船具の販売等、数々の事業を営むかたわら
函館四天王の一人として創設期の函館に数々の業績を残しました。
特に社会、文化事業に果たした役割は大きく、学校や病院の建設、
公園や水道施設の整備等、多くの公共事業に私財を投じました。
 
函館港の西側に在る金森赤レンガ倉庫は、函館大火(1907年)の二年後
明治42年(1909年)に建てられたものです。
港における海運業や北洋漁業の衰退に伴い、倉庫としての役割を終えるが
昭和63年(1988年)、イベントホール、レストラン、ショップ等の商業施設へと
生まれ変わり、函館の新たな観光名所となっています。

 

函館の概要地図b792e1ea.gif
 
函館の町を巡るには下記のホームページが便利です。
まずは、どこに何があるのかを知っておくと後で後悔しません。
また、大まかな観光施設の紹介もしております。
 
www.hakonavi.ne.jp/site/course1/koukaidou.html


函館市電
 
 函館の観光には、
市電に乗るのが安上がりで町が良くわかります。ky1.jpg
市電が走っている街は珍しくなりましたが、
情緒があって街並みを楽しめます。
 
函館の市電の歴史は1897年(明治30年)亀函馬車鉄道が
起源で馬車鉄道でした。
弁天町(後の函館どっく前)から東川町(後の東雲町)間を開業。
 
1913年(大正2年)東雲町(後の労働会館前)から
湯川間が電化(北海道初の路面電車)。
 
1918年(大正7年)札幌で路面電車が走り始める(北海道で2番目。昭和2年に市営化)>


立待岬(たちまちみさき)
 
 立待岬とは、
アイヌ語で「魚を捕るために立って待つ場所」
というところからきています。tachi.jpg

この岬は、函館山の南東端にあり、北に函館市街、
南に津軽海峡を挟んで天気がよければ下北半島や津軽半島
を望むことができるところです。

谷地頭から岬に向かう道の途中には、
石川啄木一族の墓があります。
墓碑には、歌集「一握の砂」に収められた
「東海の小島の礒の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」
が刻まれています。
啄木一族の墓の隣には、宮崎郁雨と砂山影二の歌碑が並んでいます。
また、立待岬には、与謝野寛・晶子夫妻の歌碑があります。


トラピスト修道院
 
トラピスチヌ修道院は、函館郊外なので地理的に
便利なため行かれる方trappist7.jpgは多いのですが、男性の修道院
であるトラピスト修道院は函館から西方へ約30kmのため
余り知られておりません。
しかし、こちらは広大な敷地にあるので修道院のイメージが
つかめてもう一度行ってみたくなります。
 
明治29年設立。
フランス・シトー修養会の日本初の男子修道院で、
正式名を「厳律シトー会灯台の聖母大修道院」といいます。
敷地は今でこそ肥沃な美しい土地
(大変見晴らしの良いところです)ですが
開院当初は石ころだらけの荒涼とした原野だったそうで、
渡来した数名の修道士達は苦労しながらこの原野を開拓し
道南に酪農と乳製品をもたらしました。

童謡『赤とんぼ』の作詞者として知られている
詩人の三木露風は30代の初めの頃、プゥイエ院長の招きで当院の
文学概論、美学論などの講師として夫人とともに4年間過ごし
その間に夫婦で受洗してカトリック信者となった。
また、男爵イモの開発者として知られる川田龍吉男爵も、
その晩年に当別教会にて、D.ベネディクト大修道院長によって洗礼を授けられた。



トラピスチヌ修道院
 
函館市郊外にあるトラピスト会
(厳律シトー修道会系の女子修道院)ff1604f8.jpeg
日本最初の観想女子修道院。
 
1898年(明治31年)フランスのトラピスチヌ修道院
から派遣された8名の修道女によって設立された。
その後1925年(大正14年)に失火で本館を焼失したが、
翌年から再建に着手して1927年(昭和2年)に落成した。
 
一度修道女となれば、壁内、囲い中のみの生活となり俗世から
完全に隔離された世界に住む。壁の外に出るのは、選挙などに限られる。
一生を神に捧げ、厳格な戒律に従い、共同生活に入る。
祈り、読書、そして農作業などの労働が生活の中心となる。
会話は必要最低限に限られ沈黙が義務づけられている。
朝3時30分起床。夜7時45分就床。
現在女子修道院62名 会員数役5千名。
 
園内には、テレジア、ジャンヌダルク、天使ミカエルなどの聖像や資料館があり、
道なりに牧歌的な草原が広がっている。
売店で手造りのロザリオや菓子を販売。


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
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