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 龍宮神社 
    (小樽市)【所在地】小樽市稲穂3丁目22番11号
 
 小樽にある龍宮神社は函館戦争の榎本武揚が建立した。
明治2年 建立後、榎本は小樽に土地開発会社の「北辰社」を設立して、
今の小樽駅から小樽港に向かって左側の土地を買い上げ、多数の会津藩士を移住させていた。

 龍宮神社は、その地域を見渡す高台に建っている。
明治9年移民の安意を図るため「北海鎮護」の額を献納した。
この額は直筆で今なお残っている。
また、2008年8月9日に麻生太郎元首相が参拝し、榎本武揚の銅像を囲むように
「桜」と「おんこ」を植樹された。
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                                         旧岡崎家能舞台
 
(大正15(1926)年 )所在地  小樽市花園5丁目2番1号
  
                                                                                        

 荒物雑貨商として財をなした岡崎謙が、小樽入船町の自宅中庭
に建てたもので、後に市に寄贈、昭和36年公会堂隣接の現在地に移された。
能舞台で東北以北唯一のもの。
鏡板の老松、唐獅子、若竹は狩野派17代秉信(もちのぶ)が描いたもの。


 北海道に能舞台があることを知っている人は少ないと思います。
この能舞台の中に入らせてもらいました。
当たり前といえば、それまでですが舞台の端には遮るものがありません。
能の修業は、目を閉じて舞うことができなければ舞台に上がることはできません。
狩野派の絵もすばらしいもので、よくそのまま残してくれたものだと思います。



小樽市庁舎(現小樽市役所庁舎本館)siyakusyo.jpg

 

住所   花園2-12-1

建築年  昭和81933)年

構造   鉄筋コンクリート造3階建

建築時の用途  市庁舎

 

概要

小樽の有力者土肥太吉の10万円寄付を機に新築されました。

設計者は小樽市建築課長であった成田幸一郎以下の建築課スタッフで、

土肥秀二もかかわったといわれています。

外壁はタイル張りで、正面入口の車寄せ部分とその周辺を茨城産花崗

岩積みとした近代建築です。

正面上部に彫刻を施した6本の柱を配し、内部中央階段の正面はステン

ドグラスで彩られ、重厚な市庁舎となっています。


正面の玄関上部には6本の角柱が並び柱頭のコリント様式が印象的な建物です。
コリント様式とは古代ギリシャの神殿建築に用いられた3つの様式の一つで、
華やかな雰囲気を演出します。

外壁は花崗岩とタイル張りの2色になっており、内部に入ると正面ホールの階段上に
ステンドグラスが穏やかな光を取り込んでいる。




旧日本郵船株式会社小樽支店95c1b9cb.jpeg

 

住所 色内3-7-8

 

明治39 (1906)10月に、日本郵船小樽支店として新築され、11月には

ポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議が開かれたことで名高い。
 

石造り2階建ての豪壮堅固な建物で、昭和59年から3年間に修復工事が

行われた。建物の至る所に美しい彫刻や装飾模様がみられ、天井の飾り

模様、シャンデリア、壁の金唐革紙、柱頭飾り、絨毯,蒸気暖房など明

治期建築技術の粋が集められている。

外観の重厚さと内部の華麗さのコントラストがおもしろい。
 

この支店の移転に伴い、昭和31年に小樽市が購入、重要な文化遺産とし

て一般に公開されている。小樽が国際外交の華やかな舞台となった記念

碑で、国の重要文化財に指定されている。

入場料100円、9:3017:00 月曜休館。




越中屋ホテル(現小樽グランドホテルクラシック)hclassic.jpg

住所 色内1-8-25

色内大通りの三井住友銀行小樽支店の向いに建つこのクラシカルな建物は

昭和6(1931)建てられたが、この建物ほど昭和の歴史とその変遷にさ

らされたものはない。
建てた当時から外国人専用のホテルとして、10年間ほど使われた。

その後、戦争中の昭和17年には日本陸軍の将校クラブとして接収された。

終戦と供に今度は、米軍に接収され、昭和25年に越中屋旅館に還された。
昭和27年になると、相続税の物納として、大蔵省に所属し昭和30年に

北海製菓に払い下げられた。同社の独身寮として使われた。
 

一時取り壊しも検討されたが、歴史的建造物の保存運動の高まりと供に

外資系のアドバンテスト社がゲストハウスとして購入。改修工事を行った。
平成5年になり現在も小樽グランドホテルクラシックをして、営業を開

始した。表面から見るデザインのユニークさがアールデコのステンドグ

ラスや丸窓に見られる。内部の装飾もクラシカルな趣をみせており、落

ち着いたホテルとして愛されている。

北海道初の外国人客専用のホテルとして建てられ、歴史的建造物に指定

され、異国情緒に充ちた建物。




旧小樽倉庫(現小樽市総合博物館運河館・運河プラザ)36c8edd8.jpeg

 

所在地   小樽市色内2丁目120

建築年   明治231890)年〜271894)年

構造    倉庫:木骨石造1階建 

           事務所:木骨煉瓦造2階建

建築時の用途   倉庫

 

石川県加賀橋立の海運業(北前船主)西出孫左衛門が貨物集積基地として明治23年~27年にかけて建てた営業用倉庫のひとつ。

 

色内地先の埋め立て直後に建てられた。

正面右手の倉庫が最初の建設で、増築を重ね2つの中庭を囲む大倉庫となりました。

寄棟の瓦屋根に鯱(しゃちほこ)をのせた和洋折衷のデザインで煉瓦造の事務所を中心に左右対称に展開し、全体として優雅な美しさをみせています。

北側を市博物館、南側を運河プラザに活用、公開されています。



銀鱗荘ginrinsou.jpg

 

住所 小樽市桜1-1-13

 

ニシン漁場の親方の豪華な生活ぶりを偲ばせる、壮麗な建物です。

 

建築されたのは1873(明治6)年で、1897(明治30)年に大改築さ

れました。これを建てた初代・猪俣安之丞は越後出身で、いっかいの

漁場手伝いから始め、余市で鰊漁場経営のほかに海産物商、廻船問屋、

金貸業などを営む富豪になった人物です。建物の設計施工には、越後

の宮大工が当たり、高価な建築資材を惜しげもなく用いるとともに、

随所に工夫が凝らされています。

1939(昭和14)年に余市町から小樽市に移築され、現在は高級旅館

として使用されています。

 

余市随一の大邸宅だったこの建物は、木造平屋一部2階建ての大規

模な中に、華麗さを見せる建物。
屋根中央には、シンボルとなっている望楼があり、両端に鯱が据え

られているが、これは移築後のもの。

他の市から、移築されて建っている建物としては、祝津の鰊御殿と

双璧をなす。




蒙御免小樽名建築番付
行司 勧進元 夢街

 


横綱 小樽倉庫(現・小樽市総合博物館運河館)
横綱 日本銀行支店(現・日本銀行旧小樽支店金融資料館)
大関 中央バス本社(旧・北海道銀行本店)
大関 三井銀行(現・石屋製菓所有)
関脇 罐友会館(現・小樽グランドホテルクラシック)
関脇 銀鱗荘(旧・猪俣安之丞邸)
関脇 公会堂
小結 板谷邸
 同 富岡カソリック
 同 海陽亭(旧・魁陽亭)
 同 商大方二〇番棟(?)
前頭 小樽市役所
 二 旧拓殖銀行(現・ホテル123小樽)
 三 旧百十三銀行(旧・千秋庵)
 四 フジヤ家具
 五 旧上勢商店(現・ホクリョウ)
 六 林屋製茶(旧・第百十三国立銀行小樽支店)
 七 北海道紙問屋(旧・第四十七銀行小樽支店)
 八 小樽駅
 九 旧山本邸(?)
 十 旧坂牛邸

 

西
横綱 旧手宮機関庫(現・小樽市総合博物館内)
横綱 博物館(現・旧日本郵船小樽支店)
大関 川又商店(旧・早川支店)
大関 大家倉庫
関脇 名取商店
関脇 にしん御殿
関脇 青山邸
小結 名取邸
 同 住ノ江カソリック(旧・佐々木邸)
 同 和光荘(旧・野口邸)
 同 川田商店
前頭 商工会議所
 二 北海製罐
 三 市立図書館(現存せず)
 四 旧三菱銀行(現・北海道中央バス第2ビル)
 五 清水鋼機(現存せず?)
 六 石ヶ守商店(旧・久米商店)
 七 旧富士銀行(現・花ごころ小樽店)
 八 旧三井物産(現・松田ビル)
 九 寿原邸
 十 島田歯科(現存せず?)

 

昭和五十五年一月一日




旧北海道拓殖銀行小樽支店  (現在ホテルヴィブラントオタル)15ca469f.jpeg

 

  所在地 小樽市色内1-3-1  見学自由

  竣工  1923(大正12)

  施工  伊藤組

  構造  鉄筋コンクリート造4階建て、地下1

この建物が竣工した時期は小樽経済の最盛期で、旧三菱銀行や旧第一銀行とともに

「北のウォール街」の一角を飾りました。

鉄筋コンクリート構造としては、北海道で初期の建物で、タイル張りで簡素にまと

められています。

設計は当時の大蔵省営繕課で、中でも矢橋賢吉は一連の北海道拓殖銀行の本店支店

を手がけています。

 

バブル期に「小樽ホテル」として再生利用されその後ペテルブルグ美術館~ホテル

123(ワン・ツー・スリー)と変わり現在は観光客向けのホテル・ヴィブラント・小樽として営
業中だが1階に開店したベルギーチョコレートの専門店『ショコラduノール』が人気になっている。

 

国会議事堂を手がけた矢橋賢吉の設計で、優雅な曲線を描く石造りの外観と古典的な
円柱が立つ2階吹き抜けのホールが見事。現在はホテルとして使われている。

 





日本銀行旧小樽支店金融資料館e35d88a4.jpeg

 

元は日本銀行の小樽支店として機能していた建物であり、2003年から日本銀行の
広報施設として再オープンした。建物は現在、小樽市指定文化財に指定されている。
入場料無料。
所在地は北海道小樽市色内1丁目1116号。

 

沿革

1900年前後、当時商業を中心として発展する小樽市に各銀行が集中し、市内で徐々に
完成していった銀行街は次第に「北のウォール街」と呼ばれるようになった。

その中で日本銀行も小樽市に参入、東京駅の設計者としても知られる辰野金吾や長野
宇平治らが建物の設計を担当し、1912年に竣工した。

建物は積み上げた煉瓦の上にモルタルを塗った造りの2階建てで、ルネサンス様式が取
り入れられている。
さらに、屋根には八幡製鉄所製の鉄骨が使用されており、小樽市内を眺めることのでき
る東側の塔にはイギリス製のらせん階段が取り付けられた。
総工費は当時の金額で40万円に上り、これは日本銀行本店と日本銀行大阪支店に次
いで3番目に高額な建設費だったという。

 

2002913日、日本銀行札幌支店に統合が決定し、小樽支店としての営業は廃止
となった。
その後、改築工事が行われ、2003514日に新しく金融資料館として開館。

館内に歴史をはじめとする金融資料を展示するなど、日本銀行の広報施設として機能
する建造物となった。開館以降、2006年時点で25万人を超える来場者を記録。

 

施設概要

資料館内館は日本銀行小樽支店として機能していた時代のデザインやつくりを残した
ものとなっており、岐阜県の赤坂産大理石が材料として使用されているロビーと営業場
カウンター、煉瓦製の壁から鉄骨を組むことで広い吹き抜けの空間を実現した営業場の
天井、
アイヌの守神であるシマフクロウをコンセプトにデザインされ、内壁だけで12
体を数える塑像などが特徴である。

資料館内は主に3つの展示スペースで区切られており、歴史展示ゾーン、業務展示ゾー
ン、マルチメディアコーナーに分けられる。
歴史展示ゾーンでは日本銀行の歴史をパネル展示するとともに、第2次世界大戦以降
の紙幣の実物などを展示しており、日本銀行旧小樽支店ほか「北のウォール街」当時に
おける数々の建造物のミニチュアを見学できるコーナーもある。

業務展示ゾーンでは日本銀行が行っている主要な業務を紹介。パネル展示による紙幣
の発行行程や金融のシステムを紹介している。
そのほか、実際に使用していた金庫を公開しており、「1億円を持ち上げてみよう」のコー
ナーでは1億円の重さを持ち上げて体感することが可能。
並ぶ数字をもとに世間に出回るお金と経済の動きを観察できる。

マルチメディアコーナーでは、さまざまな金融知識を学ぶことのできる大型ビジ
ョンを用いたビデオコーナー、日本銀行のホームページを閲覧できるインターネ
ットコーナーを設け、日本銀行に関する知識を試す「にちぎんクイズ」にも挑戦
することができる



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
男性