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伊達邦直
 (1834-1891)

天保5年(1834)9月12日陸前国玉造郡岩出山に生まれる。
19歳の時に、岩出山伊達家10代目を相続。
明治元年戊辰戦争に敗れ、禄高を削減され、北海道開拓を決意した。
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岩出山藩入植の地「聚富」
このブログを書き出してから、一度は行って見たかった所であった。
 2013年6月10日ようやく、この地に立ってみた。
 
札幌から雄冬岬に向かう国道231号は、今は石狩八幡町の入口から東北に進み、
石狩高岡段丘へと駆け上がり、聚富(しっぷ)を過ぎてから段丘面上をまっすぐ北へ延びている。
 
231号から旧道に入ると道端に「伊達邦直主従の入植碑」が建っている。
明治5年に家臣を連れてこの地に上陸したのである。
 しかし、この地が不毛の砂地であったため、当別に移ることになる。
このことを小説にしたのが本庄陸男の「石狩川」と映画「大地の侍」だった。

 

鮎田塾

当別神社の入口鳥居の近くに、「鮎田塾」の碑がある。
案内看板には、仙台藩岩出山支藩の家老であった鮎田如牛は、
藩主伊達邦直の命を受け明治5年(1872年)6月本町に建てられ子弟の教育を
始めた本町初の教育施設とある。
 
明治2年から明治5年6月までのことを調べてみたいと思った。


(写真は、鮎田如牛の碑と解説の看板)

 

仙台藩の伊達家一族の北海道移住
名乗り出たのは、6支藩で、いずれも伊達家の親戚筋にあたる支藩であった。
申請を受けた新政府は、各支藩に移住先を割り当てた。    

  岩出山領 領主 伊達邦直  空知郡・札幌郡 
  亘理領   領主 伊達邦成  有珠郡・虻田郡 
  白石領   領主 片倉邦憲  幌別郡   
  角田領   領主 石川邦光  室蘭郡   
  宮床領   領主 伊達宗広  空知郡・札幌郡   〔後日、申請を取り下げ〕  
  涌谷領   領主 亘理胤元   空知郡・札幌郡   〔後日、申請を取り下げ〕
 
明治3年から始まった仙台藩の移住は、明治14年までの約10年間に、
岩出山藩612人、亘理藩2,648人、角田藩278人、白石藩851人、柴田藩123人の
合計4,512人であった。
 
特に開拓に成功し、定着したのは、旧岩出山領伊達邦直と旧亘理領伊達邦成であった。
岩出山領は、家臣吾妻謙ら努力で、はじめから困難な条件にもかかわらず、当別町に定着した。
そして亘理領は、家老田村顕允の統率と指導によって紋別の地を開き、伊達市の名を残した。   


 
吾妻謙(あづまけん・又はあがつまけん)

1869年(明治2年)9月、岩出山領主伊達邦直は仙台藩の中で先陣を切って
北海道開拓を発表した。
家老であった吾妻謙を開拓主事に任命、北海道開拓志願書を新政府に提出したのである。
 
明治維新の際に奥羽越列藩同盟に参加した岩出山は官軍と交戦した。
山形で勝ち戦功を挙げたが、味方の多くは官軍に下ったため戦に敗れる。
戦後、それまで14000石あった禄高を65石に減封された上、城は召し上げられ家臣の士分
を剥奪された。
侍ではなくなった家臣たちは帰農を命ぜられたが、邦直は彼らが路頭に迷うことを憂い、
私財を処分して得た資金で、新政府の推し進めていた北海道開拓を志願する。
願は許され、1869年(明治2年)に石狩国空知郡の支配を命ぜられた。

しかし、この空知郡は内陸部に位置し、物資の輸送等が困難であったことから、海岸近くへ
の移転を申し入れた。
叶わず再度家老の吾妻謙が太政官に申し入れたところ、今度は不届きを理由に吾妻が
自宅謹慎を命ぜられる始末であった。

(写真は、当別神社)




 

吾妻謙君之碑

当別町の阿蘇公園の隣に「当別神社」がある。
どこにでもある神社で、それほど驚くほどのものではない。

しかし、この神社の敷地内に「吾妻謙君之碑」という大きな碑が聳えるように建っている。
これは、何事かと思えるほどのものである。

碑には「吾妻謙君」という個人の名前ではないかと思われる文字が彫られている。
神社の敷地に人の名前が掲げられた碑があるので、名のある人物ではないかと思える。
「吾妻謙」歴史の中でも、この名前を知る人は少ない。

 

当別町
当別町(とうべつちょう)は、石狩振興局管内北部にある町である。
国道275号線を北に走ると30~40分で札沼線の当別駅に到着する。

この小さな町に「阿蘇公園」があるのだが、この公園には多くの碑が建てられている。
 
写真は、「と」である。
当別の「と」ではないかと思われる。
何故このモニュメントが建てられたのは定かではない。
しかし、この公園には明治2年からの開拓の歴史がびっしりと埋められている。

おいおい、書いてみたいと思っている。

2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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