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静狩金山 


  北海道の金産出については、あらためて掲載したいと思うが長万部の
静狩峠に金山が開かれたのは昭和8年のこと。
静狩金山は国鉄室蘭本線静狩駅の北方約1kmの所に位置し,交通の便
が極めて良く,平坦な海岸段丘と海が前面に聞けているという点で他の
道内金山とは違って,著しく立地条件に恵まれていた。


 本金山は明治中頃に発見され,大正5年頃から開発されていったが,
その後川崎造船所,住友合資会社等の独占的鉱業資本の手を経ながら,
戦前においては昭和18年の金鉱業整備まで操業を続けた。
戦前の最も盛んな一時期においては,鴻之舞に次ぐ金山として豊富な鉱脈,
産金量を誇っていたこともあった。
戦後の2度の再開の中で少量の生産をみたこともあったが,昭和37年8月の
閉山以来,現在に至っている。

(写真は、当時の坑内実測図)
 
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 平和祈念館(長万部)     


 反戦と平和を願う心が生んだ、さまざまな美術工芸品が展示されている。

展示作品は、総数588点。

個人病院を開業していた工藤豊吉氏の私財を投入し町に寄贈されたもの。

                                               植木蒼悦(うえき そうえつ)
 
                                                                1896(明治29)~1982(昭和57)享年86歳  

  植木蒼悦記念館(長万部町教育委員会)
植木蒼悦展は平成24年11月17日から函館美術館で没後30年
の展覧会を予定されています。

長万部の記念館では常設されておりいつでも無料でみることができます。
河童を題材とした水墨画は特異な境地を開いたものです。 
                                                 
 蒼悦は、函館で生まれ17歳の時に大下藤次郎画伯の門下生として
日本水彩画研究所に入所。
その後函館に戻り、独自・独学で水墨画を始めた。

長万部の記念館は、作品を収集していた開業医が町に
寄贈し昭和57年にオープンした。


                                               平和祈念館と植木蒼悦記念館                   (長万部町教育委員会) 室蘭から国道37号を南下し伊達・虻田を過ぎて静狩峠を越えると 噴火湾と長万部平野が飛び込んできます。 37号は長万部で5号線にぶつかり終点となります。 この交差点を左折するとバイパスに入り噴火湾をみながらのドライ ブとなり、昔の5号線ドライブインコースとなりますが、交差点を 右折してJRの線路を越えて左折すると長万部駅の北側になります。 このあたりは、まず通らないので気がつかないのですが平和祈念館 と植木蒼悦記念館があります。 長万部町教育委員会が管理しておりますが、とても失礼ですが田舎 の記念館とは思えないほど素晴らしい作品群と展示品が並んでおり ます。

北海道内のおもな義経伝説 7otobe06-1.jpg

 

乙部町(爾志郡乙部町)  姫待ち峠・九郎岳・姫川

義経最初の地といわれる乙部町。
静御前が乙部まで追ってきていた。
知る由もない義経は、乙部岳を越え絶望した静御前は川に身を投げた。
himem01.jpg義経と逢えずに待ちわびた峠を"姫待ち峠"、 乙部岳を"九郎岳"、 ここから流れ出る川を"姫川"と呼んだ。

「その昔、九郎半官義経が兄頼朝の追討を逃れ、乙部に蝦夷地で最初の足跡を残しました。乙部には地名としてその逸話が刻まれています。


2009083020305380f.jpg乙部岳は義経の別名九郎半官から九郎岳、静御前を思いつつも越えなければならなかった峠は姫待峠と呼ばれています。また義経を追って乙部にたどり着いた静御前ですが、義経はすでに乙部岳を越え、2人は会うことが出来ませんでした。
悲嘆にくれた静御前は、川に移った自分の姿を見て、もうこの世に生きながらえる望みも力も失ったと、その川に身を投げてしまいました。そしてこの川を姫川と呼ぶようになったのです。」





日本女医第一号の荻野吟子 瀬棚町2a8a7157.jpeg

  
瀬棚町郷土館

日本女医第1号の荻野吟子は、 瀬棚町で開業、10数年を地域に貢献し、
その功績をしのび 1967年(昭和42)北海道百年を記念して女史の 顕彰碑
を開業地跡 に建立しました。
荻野吟子は、今の御茶ノ水大学の一期生でもあります。

荻野吟子の活躍は直木賞受賞作家渡辺淳一作の小説「花埋み」
NHKテレビ「風雪」などで紹介された。
また、瀬棚町郷土館には女史が日常生活に使用した遺品の数々や医学的に
も貴重な資料が展示保存されています



瀬棚町

 

せたな町は、平成1791
大成町、北檜山町、瀬棚町の3町が合併して誕生しました。
2b16530a.gif

せたな町は、北海道の南西部、日本海に面した檜山支庁管内の北部に
位置しています。

せたな町の北は島牧村に、東は今金町、南は八雲町に、西は日本海を
はさんで奥尻島をのぞみます。

 

 地勢は北部と南部が山地となっており、その中間を一級河川後志利別
川が流れ、北部には道南の最高峰狩場山(1,520m)など1,000m級の山
々が連なり、南部には遊楽部岳(1,276m)や白水岳(1,136m)などが連な
っています。

 北部の狩場山から海岸にかけては狩場茂津多道立自然公園に指定さ
れ、南部の海岸線の一部は檜山道立自然公園に指定されるなど、豊か
な自然環境を有しています。

 せたな町の総面積は638.67平方キロメートルとなります。

 



鉄のまち室蘭
 
天然の良港を活かし、鉄鋼業(新日本製鐵や日本製綱所の企業城下町photo01_b.jpg
で、よく「鉄のまち室蘭」と称されてきた)を中心に、造船、石炭の積み出し、
石油精製などで発展した、北海道を代表する重化学工業都市である。
かつては20万近くを有する都市であり、人口密度も北海道で最も高かっ
たが、基幹産業ともいうべき新日本製鐵や日本製鋼所等での大規模な
合理化で2005年の国勢調査で58年ぶりに10万人を下回った。
 
新日本製鐵>
室蘭製鐵所は1909(明治42年)に三井財閥の北海道炭礦汽船(北炭)
輪西製鐵場として発足した。
同じく北炭の出資により先に発足していた日本製綱所と別会社となっていたのは、日本製鋼所が兵器の国産化を目的としたイギリスとの合弁会社であったためである。その後、北海道製鐵を経て日本製鋼所の一部となったものの、結局は製鐵大合同のため輪西製鐵として分離されることになったという経緯を持つ。

写真は 
第1熔鉱炉 火入れ式
明治42年7月18日 午後1時30分
歴史的な火入れを行った。
7月21日送風を開始し、室蘭製鉄所では、この日を起業記念日と定めた。


奥尻町
 
 町名は、アイヌ語の「向こうの島」を意味する
 「イク・シリ」が由来。
c0073224.jpeg
 島の基幹産業は、古くから水産業が盛んで
「夢の島」「宝の島」と呼ばれ、
明治末期まではニシン漁が
主体であったが、近年はイカやホッケの近海
漁業や、ウニ、アワビ
を中心とした磯根漁業が主であり、その豊富な海
の幸を求めて
観光客が増え、水産業と観光業に力が注がれている。

 奥尻港湾、奥尻空港の整備、江差・せたな間の定期フェリー就航
など、
交通面を中心に島の生活環境の整備も進んでいたが、
平成5年の「北海道南西沖地震」で壊滅的な被害を受けた。
当時、島の再建は絶望的といわれたが、「奥尻町災害復興計画」に
沿った
防災対策をはじめとする復興をわずか5年間で果たすことができ、
平成
10年に「完全復興宣言」をするに至った。

「奥尻島フットパス」 
    奥尻島をゆっくり歩いく「奥尻島フットパス」がデビュー。
   「フットパス」とはイギリスで発祥したもので、「遊歩道」という意味が
あり、
  人々が自由に農村や市街地などのコースを歩き、景観を楽しみ、
  その「地域を知る」、「地域とつながる」といった意味もあります。

「奥尻フットパス」は奥尻島の資源の掘り起こしを進め、魅力ある資源を
  どのように見せるかなどを実際に現地を歩き、島内に3コースを設定してあります。


  奥尻島フットパスホームページ http://www.okushiri-foot.jp/


瀬棚町 瀬棚郷土館
 
 日本の女医第1号、荻野吟子は瀬棚町で開業し
10数年を地域に貢献しました。03setana_kyoudokan02.jpg
その功績を称え1968(昭和43)年、北海道開道100年
を記念して顕彰碑
を開業地跡に建立しました。
 その後2000(平成12)年6月、旧国鉄瀬棚駅跡地に
整備した荻野吟子公園内に
顕彰碑を移設しています。

その他荻野吟子にまつわる施設として「荻野吟子 開業の地碑」
「瀬棚郷土館」
には女史が日常生活に使用した遺品の数々や
医学的にも貴重な資料が展示保存さ
れています。
  荻野吟子の活躍は直木賞受賞作家・渡辺淳一作の
小説「花埋み」、NHKテレビ
「風雪」などでも紹介されています。
 
瀬棚郷土館
  日本公認女医第1号・荻野吟子女医の愛読した聖書などの
 遺品や2千年以上も
前の竪穴式住居跡や石器・ニシン漁が盛んだった頃の
 漁具や操業船などが展示
されています。
 せたな町瀬棚区本町 01378-7-3205 瀬棚総合支所から徒歩約3分
○期間:5/1~11/30
○時間:10:00~17:00
○休業日:毎週月曜日
○料金:大人300円 小人150円(10名以上の団体は2割引)


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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