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長万部町
 
長万部町の開基 >
寛文09年(1669)アイヌの酋長シャクシャインが叛乱軍をひきいて攻めfutamataradium_outspa.jpg
のぼり、国縫川をはさんで松前軍と戦ったのですが、敗走しました。
この戦を境にアイヌは事実上戦力を失い、松前家の全北海道支配の足
がかりとなりました。
 
二股ラジューム温泉>
北海道の有名な秘湯のひとつ。
道南の交通の要所である長万部(おしゃまんべ)から山奥へ18kmほ
ど入ったところにある一軒宿の温泉。
効能は古くから知れ渡っており、戦前は帝国陸軍の保養施設としても
使われていた。
  含ラジウム-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉。 源泉温度46℃
  源泉に含まれる石灰分によって形成される石灰華が特徴。
  旅館の傍には巨大な石灰華ドームが形成されており、北海道の天然記念物にも指定されている。
  世界的にも、アメリカのイエローストーン
国立公園と当所のみ存在すると言われている。
 
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八雲町 郷土資料館(やくもちょう きょうどしりょうかん)
 
北海道の木彫熊発祥の地で有名な八雲町。f44a6c97.jpeg
1978年、旧尾張藩主徳川慶勝が旧尾張藩主を八雲に入植させてから
100年を迎えたことを記念して郷土資料館を開館した。
歴史と風土・開拓と人々の生活・産業の3テーマを柱に、旧尾張藩徳川
家のユーラップ開拓を中心に、北海道の木彫熊発祥地としての木彫熊
資料、明治40年頃に焼かれた八雲焼、アメリカの鉱山学師であるブレ
ーキとパンペリーによって火薬によって岩石を破砕する方法が日本で最
初に伝えられた鉱山資料などが展示されている。
 
八雲町末広町154番地(TEL: 0137-63-3131)
  開館時間は、午前9時から午後4時30分まで。
 休館日は、毎週月曜日、祝祭日、年末年始の12月30日から1月4日までです。
 入館料 無料

写真は北海道第一号の木彫りの熊



いかめし(森町)

 

函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店が、
1941年(戦時中)0fd39d4e.jpegに食糧統制で米が不足していたために、
当時豊漁だったスルメイカを用いて米を節約しても作れ
る料理として考案された。

(昭和62年株式会社いかめし阿部商店)

 

1966年に京王百貨店で
『第1回元祖有名駅弁とうまいもの大会』が行われ、阿部弁当店
はこの大会に烏賊飯を出品した。
2回には早くも売り上げ1位となり、以後同大会をはじめとする「駅弁大会」の常連となった。
このため、「いかめし」は徐々に森町名物あるいは北海道名物として全国的に知られるようになった



戸井船団

 

  函館市の戸井漁港(北海道渡島半島)は、津軽海峡の
北側に面した漁港で、
63aaab52.jpeg日本海を北上してくる暖流の黒潮と
ベーリング海から南下してくる寒流の
親潮が交わる好漁港です。

 その海峡を挟んで反対側の南側が青森(大間)で
その距離は約18kmです。

昔は伝統あるマグロ漁港で、青函トンネル工事で一時
中断はしましたが、
今から約10年前に大間でマグロが
揚がりだしたのでそれにともない再開
したわけです。

 

特に函館戸井漁港の船団(戸井船団)による活〆マグロ
の評価は、今や全国のトップクラスです。

メディア等で有名な「大間」と鎬を削り、漁場も近く同じ津軽海峡でマグロを追っています。


椴法華村(とどほっけむら)

 

椴法華は アイヌ語のトトポケ(岬の陰)に由来。esanmisaki.gif

明治9年(1876)に尾札部村より分村し、椴法華村となり
平成16121日に函館市と合併し函館市となりました。


椴法華村
道指定の文化財となった椴法華出土の土器など椴法華
も渡島東海岸同様、広く縄文遺跡が分布しており
現在発掘調査が行わ
れた遺跡は12箇所その年代も縄文早期から晩期、続縄文と八千年以上
にわたり「縄文人の里」であったことが判明している。


椴法華村

津軽海峡と太平洋の境をしるす恵山岬。
1890年に恵山岬灯台が建てられました。

さらに灯台公園も併設されており展望広場や、水の広場・遊戯広場
などがあり家族で楽しめる公園となっております。

椴法華村

全国でも珍しい渚にある天然の露天風呂として海水浴を楽しむ人々にも人気。
潮の干満により、入浴可能な時間が日ごとに変わるユニークな温泉です。
 



大沼国定公園
 
大沼国定公園は渡島半島の中央部
七飯町、鹿部町、森町の3町にまたがり
af370f00.jpeg面積およそ9,000haの自然公園です。

公園区域は、活火山である駒ヶ岳(1,131m)と、その山麓に
点在する大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の大沼三湖に
代表される湖沼群の地域で、山と水の変化に富んだ景観を
一体的に含んでいます。

公園の中心である南大沼地区は、道南の玄関口である
函館市の中心部から北へ20km程のところにあります。

大沼及び小沼は駒ヶ岳噴火による土石流が山麓部の凹地を
堰き止めて形成されたもの。
周囲のシラカバ、イタヤカエデ林と相俟って、さながら裏磐梯のような
風雅な湖沼景観を呈します。
新日本三景にも数えられる景勝地。
その三景とは、大沼・三保の松原(静岡県)・邪馬渓(大分県)
 
大沼一帯は、1859年(安政6年)に函館が開港されると外国人が訪れるようになりました。
また、1881年(明治14年)に明治天皇が本道へ行幸した際には休憩に立ち寄るなど、
古くから道南随一の景勝地として知られていました。
自然公園としては、1931年(昭和6年)に国立公園法が制定される以前の、
1905年(明治38年)に北海道庁により道立公園として設定されました。
1914年(大正3年)には、本多静六博士により大規模な公園整備計画が策定され、
翌1915年(大正4年)に大沼が新日本三景に入選。
1958年(昭和33年)7月1日に国定公園として指定され、すぐれた自然の風景地を保護し、
だれでも自由に風景を楽しみ、休養し、また自然について学べるように、
保護と利用の計画をたてて管理し、現在に至っています。


鹿部町(間歇泉)
 
北海道の南端渡島半島の東部に位置し、秀峰駒ケ岳
を背に洋々たる太平洋8d4a3c5e.gif
に面した噴火湾の入り口にある
気象温暖で、全国でも数少ない「間歇泉
のある温泉
に恵まれた道南有数の「温泉のまち」。

町内には至る所に温泉源があり、その数なんと30ケ所以上。
しかもそれぞれ泉質が異なっているのです。
 
寛文6(1666)年に津軽(現在の青森県)から鹿部を訪れた
伊藤源五郎は、
温泉で傷を癒す一頭の鹿に遭遇します。
鹿島明神信仰者であった源五郎はここに温泉場を設置、
やがて鹿部の
温泉は多くの人々に知られる様になりました。
泉質は硫酸塩泉・含食塩硫酸塩泉・重曹泉などバラエティーに
富んで
おり、 神経痛やリウマチ、慢性消化器疾患など幅広い効能があります。
 
全国でも大変珍しい「しかべ間歇泉(かんけつせん)公園」。
間歇泉とは周期的に地面から噴き出す温泉のことです。
鹿部の間歇泉は大正13年4月、温泉を掘っているときに偶然見つかっ
た日本でも大変珍しいもので、自然の力だけで約100度の熱湯を最大約
15m以上の高さまで断続的に噴き上げています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


木古内町

サラキ岬に眠る「咸臨丸」
サラキ岬は、木古内町亀川地区に位置し、沖合では、
幕末に活躍したsaraki5.jpg咸臨丸が眠るといわれています。
岬からは、津軽海峡を一望することができるほか、函館山を
眺めることもできます。
チューリップ花壇や咸臨丸モニュメントなどの整備も行われ、
木古内町の観光スポットのひとつとなっています。

咸臨丸は、1857年(安政4年)にオランダのキンデルダイクで
産声をあげ、幕府海軍創成期の主力艦として配備されました。
開国の嵐が吹きすさぶ中、1860年(安政7年)、木村摂津守喜毅、
勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、
日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛目的の
随伴艦として太平洋を渡る偉業を成し遂げるなど、幕末の動乱期に
日本近代化の歴史的象徴として活躍しました。
しかし、その栄光とは裏腹に、晩年は戊辰戦争の渦に巻き込まれ、軍艦から北海道
への物資運搬船となり数奇な運命をたどります。

戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を
乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、
1871年(明治4年)9月20日、木古内町のサラキ岬沖で座礁。
現地(泉沢)の人々の懸命な救助により、乗船者は難を逃れましたが、
咸臨丸はその数日後に破船沈没しました。


知内町
 
知内町(しりうちちょう)は、東は津軽海峡に面し、西及び南は山岳。denen.gif
青函トンネルの入口がある町、青函トンネル入口は湯ノ里地区。
 
何と言っても知内町は「北島三郎」の出身地。

「知内町で生まれ育った私にとって知内町は「心のふるさと」です。
 毎年8月のお盆に故郷に帰ると、子どもの頃、海や川で泳いだ事、
 森にカブト虫を探しに行った事、秋サケの遡上を見に知内川に
 出かけた事、冬手づくりスキーで朝から夕方まで遊んだ事などが
 思い浮かび「自然豊かな知内町」を痛感する次第です。
 是非、一度、私の生れ故郷 ”知内町” へ遊びに来て下さい。」

   知内町のホームページより(北島三郎)


福島町
 
福島町は、人口約7千人の漁業の町で、北海道の南の端にあり、
晴れた日には津軽海峡越しに青森県の津軽半島・下北半島を臨
kinenkan.gif
ことができます。
漁業が盛んで珍味スルメの生産量は日本一。
 
1987年、北海道と青森県を結ぶ海底トンネル
「青函トンネル」が貫通しましたが、福島町は北海道側の
工事基地としての役割を果たしました。
町内には、トンネル工事の歴史を再現した
「道立青函トンネル記念館」
と、海底トンネルの途中にある
「JR吉岡海底駅」があり工事の偉大さ
を人々に伝えています。
 
また、道産子初の第41代横綱千代の山、相撲界初の国民栄誉賞に輝く
第58代横綱千代の富士の偉業を後世に語り継ぐ横綱記念館が、
1997年にオープンし、この二人の大横綱の記録や足跡を間近で感じることができます。
相撲界の頂点に立つ「横綱」の心・技・体を肌で感じ、二人の横綱の輝かしい栄光の
軌跡と日本古来の伝統である国技大相撲を楽しむことができます。
 夏には九重部屋力士の夏合宿が行われ、厳しい稽古や力士の素顔が身近に楽しめます
 

2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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