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  三毛別事件(留萌・苫前町)その5

 

日本最大の野生動物事件ー三毛別羆事件1134623525994_1134619683635_image1.jpg


留萌・苫前町では、町おこしの一環として90年、
「三毛別事件跡地」に、当時の開拓小屋がヒグマに
襲われる様子を再現した。

今では、道内外の人が訪れる観光スポットとなった。
「多くの人に事件の恐ろしさとともに、開拓時代の苦労があって
今があるということを知ってもらいたかった」と説明している。

明治以降、全国から北海道に向けて移住が進んだが当時の苦労と悲惨さが
この地においても知ることができます。
再現された場所に向う人たちのブログもたくさん公開されています。 

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 三毛別事件(留萌・苫前町)その451trjTOFCCL__SL500_AA240_.jpg

 

日本最大の野生動物事件
  ー三毛別羆事件


事件は、吉村昭の小説「羆 嵐(くまあらし)」で詳しく知ることができます。
 出版社=新潮社(文庫)初版=19821125日。

「入植者たちを襲ったヒグマがハンターに撃ち殺されると、
好天だった空が突然、神の怒りをかったかのように猛吹雪となった」

との言い伝えがあり、この話をもとに吉村は小説のタイトルを付けたという。



三毛別事件(留萌・苫前町)その3
  
一方クマ狩りの本部が下流の一軒の家に置かれ、
討伐隊員が集まった。img_20080824T182326578.jpg
ところが11日も12日もクマの姿さえ発見できず、
焦りにかられていた。

しかし、13日夕刻にはクマは誰もいない開拓部落の
9軒もの家に侵入し、破壊の限りを尽くした。

同日午後8時頃クマはさらに下流に現れ、発砲したが
逃げられてしまった。
14
日午前、足跡と血痕を発見し追跡したところ、クマを発見した。
山本兵吉はクマに向かって発砲し見事に的中、クマをしとめた。

3日間にわたった討伐隊員の出勤は官民あわせて延べ600人、アイヌ犬10数頭
にも及んだ。

 



三毛別事件(留萌・苫前町)その2

 

日本最大の野生動物事件ー三毛別羆事件199a3a62.jpeg

事件が起こったのは大正4年12月。

まず9日午前10時頃、太田三郎宅に一頭のクマが侵入し、
在宅していた妻とその子供の2人を殺害した。
妻の遺体はクマによって山の中まで引きずられ、翌10日、
部落の男たちによって変わり果てた姿で発見された。
10日夜、太田宅で2人の通夜が行われた。
ところが午後8時半頃、その席に再びクマが侵入し、
遺体を奪い返しに来たのである。

多くの人々が家の中にいたため大惨事になると思われたが、
その時1人が銃を発砲し、クマは恐れて家を退散して山の中へ逃げていった。


三毛別事件(留萌・苫前町
 
日本最大の野生動物事件
  三毛別羆事件image.gif
 (さんけべつくまじけん)
 
この事件は日本の獣害史上最大の事件。
わずか3日のうちに一頭のクマが
開拓農家12軒を襲い、6人を殺害、3人に重傷を
負わせたというのは熊害としては世界にも類をみない。

この悲惨な事件が起こった場所は、
日本海に面する北海道北部の海岸から30Kmほど内陸に入った
苫前郡苫前村の三毛別の六線沢という開拓部落で、
現在は苫前町三渓という地名になっている。

連載で掲載します。


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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