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 道内113番目の道の駅
 「縄文ロマン 南かやべ」 

   2012年時点で道の駅は全国に1000店舗ほどあるそうだが、
   北海道には現在114店存在する。

  北海道は日本国土の五分の一なので、まだ増えると思われる。
  ただし、経営的には難しくなっているので運営の形態は変わってくるだろう。 


  今年の10月に道の駅「縄文ロマン 南かやべ」がオープンした。    
 茅部郡森町から函館に至る国道278号の尾札部道路の臼尻・豊崎間が開通したので、
 札幌方面から噴火湾に入り鹿部からのアクセスが便利になった。 
  道の駅「縄文ロマン 南かやべ」は、国宝「中空土偶」をはじめ地域の貴重な
 縄文文化遺産を展示公開する「函館市縄文文化交流センター」をメイン施設とし、
 国内唯一の「国宝のある道の駅」として開設した。
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                                                 国道244号の道の駅  
    叫びの像「四島への道 叫び」                                                                                   


   国道244号は根室から網走に至る国道である。
 通過する市町村は根室市、別海町、標津町、斜里町、小清水町、網走市だが
別海町に112番目の道の駅「おだいとう」が今年(2012年)オープンした。
「別海北方展望塔」からは、野付半島の豊かな自然や国後島を一望できる。
ちなみに、野付半島に行くには、入口は標津町からで先端半島が別海町。
                                                  

  敷地内には北方領土返還を願い建設された「叫びの像」がある。
像は「たとえ何代かかっても取り戻す」という気持ちを表すため、老女が息子、孫を
両脇に従え、すさまじい迫力で「返せ」と叫ぶ姿が像となっている。
  高さ2.4メートルの像の先には、北方四島をイメージした高さ15mの4本のポール
がそそり立ち、像とポールの間の距離は、野付半島から国後島までの最短距離16km
にちなんで16mとなっている。


平成23618
北海道
111番目の道の駅「夕張メロード」が誕生

 

道の駅「夕張メロード」

 

 

国道274号線沿いの夕張市の南、夕張ICから約1.5kmに位置し、

 

 

JR新夕張駅とも隣接し、自動車だけでなく列車利用者からも大変

 

アクセスが良いです。

農産物直売所が併設され、夏の夕張メロンをはじめ、長いも他、新鮮

 

な地場産野菜や特産品を販売しています。
駅では軽食の販売があります。


高速道路は有料になりました。
国道が再度見直されます。


道道67

 

北海道道67号八雲厚沢部線は、八雲町と厚沢部町を結ぶ道道。

(旧北海道道458号線「厚沢部八雲線」。始終点が逆であった。)。

八雲町側は落部川、厚沢部町側は安野呂川(厚沢部川支流)に沿って走る。

旧路線(458号時代)は、車線が狭く狭隘で大型車離合不能の砂利道であったが、現在は改良され線形は良好になった。しかし厚沢部町側の集落などのごく一部に1.5車線の区間が残る。また、旧道区間には、橋やトンネル等の遺構をはじめとし、当時をしのばせる道路標識も残る。

 

路線概要

起点:二海郡八雲町落部(=国道5号交点)

終点:檜山郡厚沢部町本町(=国道227号交点)

総延長:41.7km

 

主な橋梁・トンネル

山蕗トンネル(982m)=八雲町上の湯-厚沢部町字清水

さくらんぼトンネル(141m)=八雲町上の湯(近くの「さくらんぼ沢」に由来。)

鷲堀橋(安野呂川)=厚沢部町字滝野

厚雲隧道(廃道)(140.2m)=八雲町上の湯-厚沢部町字清水

 

歴史

19631023458号厚沢部八雲線として路線認定。

19711021日路線名を八雲厚沢部線に変更、起終点を入れ替え。

1994101日路線番号を67号に変更。

 

沿線

八雲町落部支所=八雲町落部

上の湯温泉=八雲町上の湯

俄虫温泉旅館=厚沢部町

厚沢部町役場=厚沢部町/終点付近北側




駅逓所 2

 

駅逓司(えきていし)とは、
慶応4年閏421日(明治元年・1868611日)に設置された
交通通信担当官司

後に駅逓寮(えきていりょう)・駅逓局(えきていきょく)
と改称され、後の逓信省の元になった。

 

政体書に基づいて会計官が設置された際にその下に設置された。

翌年民部省設置とともに移動され、事実上の「大蔵民部省」の
一翼を担う。

187131 (旧暦)(新暦420日)、
駅逓司の前島密・杉浦譲らによって郵便制度が開始された。

同年民部省が大蔵省に統合されて8月に駅逓寮に昇格した。

18771月の寮→局制の移行に伴い、駅逓局と改称)

郵便制度は18751月には為替制度(郵便為替)、
5月には貯金業務(郵便貯金)を加えてその重要性は高まって
いった。
なお、幕藩体制の助郷制度の廃止による交通制度の改革も
駅逓司の所管であった。

その一方で1874年に大蔵省から分離した内務省、
1881年に内務省から分離した農商務省に移管され、1885年に
駅逓局そのものが新設の逓信省として独立することになった。

 

駅逓所ももとは違う名称でした。

江戸時代に運上屋、後に会所という似たような制度が
あったが、それが明治時代に廃止されることになった際、
北海道では開拓のためにまだまだ必要とされ、継続されること
になるといういきさつがある。
そのために駅逓規則も整備されました。
最初は
「本陣」と呼ばれ、続いて旅篭屋並旅篭屋
改称され、最終的に
「駅逓」におさまった。
駅逓所を中心として集落が出来上がるというよりは、
駅逓所1棟だけポツンとあることも多いのが特徴。

 駅逓開設ラッシュは、北海道の開拓とともに最盛期を迎えるが、
道内で開拓が進んでくると、今度は
鉄道開通が各地で見られる
ようになり、次第に駅逓所はその役割を失い、閉鎖されていきます。
そして最終的に
1948年つまり昭和時代前期に、駅逓制度は廃止
されることになりました。

 



駅逓所 18472f71a.gif

 

駅逓所(えきていしょ)は、北海道にまだあまり人が住んでいない時代に、開拓のために
北海道にやってくる人や、旅をしている人に宿泊所として、または人や馬を貸し出しをして
いたところで、北海道独特の制度でした。さらに、郵便の仕事も取り扱っていました。


まだ北海道が蝦夷といわれていた江戸時代にも、通行屋(つうこうや)という制度がありました。
これは幕府が本州から連れてきた馬を用意して、その運営をまかせ、人やものを運ん
だり、馬を提供、宿泊施設として利用させたものです。ただ、それも明治維新によって
廃止されます。
しかし、北海道の開拓のために必要とされたので、開拓使が規則を整備して、重要な
道路に多くの駅逓所を設置しました。
運営には半官半民の請負制がとられ、その運営者は取扱人(とりあつかいにん)と
呼ばれました。もちろんこれはだれがやってもいいというものではなく、財産などの条件
がありましたが、土地、建物、馬があたえられるなどの特典もありましたので、希望者
も少なくなかったようです。

 

駅逓所は、開拓使が廃止されるまでには111箇所作られています。

それも、開拓が各地に広がっていくにしたがって増えていき、それから30年ほど
後には、全部で238駅、配置されていた馬の数は2835頭にもなりました。

代表的なものは、恵庭市にあった島松駅逓所です。

島松駅逓所は明治6年、札幌本道(現在の国道36号)の開通に伴い設置されたもので、
明治17年からは市内の島松に入植し、寒地稲作の父とうたわれた中山久蔵が経営に
あたっていました。
この駅逓所は、クラーク博士が帰国の途中に立ち寄り「青年よ大志をいだけ」という名言
の舞台となり、また、明治14年には明治天皇本道ご巡幸の際の行在所ともなりました。
昭和59年国史跡に指定され、当時の駅逓の構造を残す建築物としては道内最古のも
のです。

交通の面からだけでなく、北海道開拓に大きな役割を果たしましたが、その性格上開拓
の完了、鉄道の開通などによって役目を終え廃止になっているものも多くあります。

1948年には制度自体が廃止になりました。

 

建物を復元または現存

奥行臼駅逓所  <別海町>

上藻別駅逓所  <紋別市>

島松駅逓所   <北広島市>

ソーケシュオマベツ駅逓所  <喜茂別町>
                             (北海道開拓の村に復元)

忠別太駅逓所  <旭川市>

本願寺駅逓所  <沼田町>




国道278278.png

国道278は、函館市から亀田半島の海岸線を回り、茅部郡森町に至る一般国道。

概要

距離: 114.3km
起点: 函館市若松町209(函館駅前交点=国道5号・国道279号交点)
終点: 茅部郡森町字森川町2927(=国道5号交点)

歴史

  • 197041日一般国道278号(函館市~茅部郡森町)として指定。
  • 函館市~函館市川汲町は道道112号尾札部戸井函館線から、函館市川汲町~茅部郡森町は道道8号函館臼尻森線の一部から昇格した。

通過する市町村

      • 函館市 茅部郡鹿部町- 茅部郡森町


国道277277.png

 

国道277号は、檜山郡江差町から二海郡八雲町に至る一般国道である。

八雲町国道229号交点~同町国道5号交点の間は、カーブが多く(線形不良)幅員も狭いうえに雲石峠を越える難所であり、現在も改良中である。

 

概要

距離: 61.5km

起点:檜山郡江差町字柳崎町186番(=国道227号交点)

終点:二海郡八雲町立岩4542(=国道5号交点)

ほぼ(沿岸部以外)全線で携帯電話の利用ができない。

 

歴史

198241日 一般国道277号(北海道檜山郡江差町~北海道山越郡八雲町)

1970年指定当初は、江差町から北檜山町(現・せたな町)まで重複し、今金町を経て長万部町国縫へ抜ける路線であった。1982年に北檜山 - 国縫間は国道230号の一部となり、主要道道八雲熊石線(道道17号線/当時)から昇格したルートに変わっている。

 

重複区間

檜山郡江差町柳崎町(起点)~二海郡八雲町熊石鮎川町:国道229号・国道276

 

主な峠

雲石峠(標高427m




国道228228.png

 

国道228号は、函館市から北海道檜山郡江差町に至る一般国道である。

福島峠の前後を除き、ほぼ全線、松前半島の海岸線に沿うルートを通る

 

別名

松前国道

福山街道(松前街道)

追分ソーランライン

 

概要

距離 : 151.5km

起点 : 函館市万代町166番(=国道5号交点)

終点 : 檜山郡江差町字中歌町21番(=国道227号終点)




北海道の<国道距離>順位

 

300km以上>
1.
 
国道274: 365.8 km 札幌市から川上郡標茶町

2.  国道239346.2 km 網走市から留萌市

3.  国道276: 315.3 km 檜山郡江差町から苫小牧市

4.  国道275号:314.2 km 札幌市から枝幸郡浜頓別町

5.  国道238319.7 km 網走市から稚内市

6.  国道229号:307.0 km 小樽市から檜山郡江差町

 

200km以上>

7.  国道38号 :298.4 km 滝川市から釧路市

8.  国道5 : 280.5 km 函館市から札幌市

9.  国道237260.0 km 旭川市から浦河郡浦河町

10.  国道40: 243.0 km 旭川市から稚内市

11.  国道39215.2 km 旭川市から網走市

12.  国道230号:208.2 km 札幌市から久遠郡せたな町

 

        <100km以上>

13.  国道273号:196.9 km 帯広市から紋別市

14. 国道333: 173.3 km 旭川市から北見市端野町

15. 国道336: 156.5 km 浦河郡浦河町から釧路市

16. 国道236139.1 km 帯広市から浦河郡浦河町

17. 国道12135.7 km 札幌市から旭川市

18. 国道36133.0 km 札幌市から室蘭市

19. 国道44124.8 km 釧路市から根室市

20. 国道452号:120.6 km 夕張市から旭川市

21. 国道453号:123.5 km 札幌市から伊達市

22. 国道451116.5 km 留萌市から滝川市

 

        <100km以下>

23. 国道37号 :81.1 km  長万部町から室蘭市

 

国道450号は、旭川紋別自動車道のみであり一般道路は存在しないため除いた。

まだ、北海道の国道はありますので全部調べましたら、この一覧を訂正します。




2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
性別:
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