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吉川鐡之助

長沼町役場の庭に吉川鐡之助の像があります。
明治20年代に最初に長沼に入植した人で岩手県の人です。
吉川鉄之助は開拓使も勤めていた人で、札幌の平岸でりんご園
をやっていました。
入植した場所は、現在の水郷公園の近くです。
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小林米三郎の銅像

栗山町の町役場前の広場に小林米三郎の銅像が建てられています。
1878年(明治10)、北海道最古の蔵元「小林酒造」の創業者です。
札幌で創業しましたが、夕張川の水利に富む栗山に移したのは
1901年でした。
現在も現役で受け継がれている「北の錦」は、道道45号線で栗山町
の入口にあります。敷地内には、築100年を超える西洋建築のレンガ
蔵や札幌軟石の石蔵が点在しています。

                                             はまます郷土資料館  

  住所 石狩市浜益区浜益
  ――札幌市から浜益村まで国道231号を車で約90分。

 明治32年に白鳥家によって建てられたニシン番屋を
開村100年(昭和46年)記念事業により改修復元をした。
館内には、にしん漁業に使用した漁道具、漁網を主体に浜益開拓の資料、
浜益古代の遺物等を収集陳列している。    

         カレンダー時計        
 この番屋には白鳥漁場で使用された珍しい時計が陳列されている。
1872年米国コネチカット洲で製作されたもので、時間・日・月・曜日まで現れるもので、今も動いている。

                                                 滝川市の菜の花まつり 
                                                                                     「たきかわ菜の花まつり2012」は、6月2日~6月10日まで開催。

滝川の一大イベントとなった「菜の花まつり」の会場は、たきかわ道の駅の近くです。

この一体は明治22年屯田兵が開拓に入ったところで、道の駅の隣に銅像が建っています。


浜益番屋

はまなす郷土資料館

江戸時代の松前藩は、アイヌと交易する区域を「場所」とよび、
1706年に石狩・厚田・マシケの三箇所を設けます。
その後、マシケを二分してマシケ場所(現在の増毛)、ハママシケ場所
(現在の浜益)となり今日になりました

今日もこの三箇所は漁港として残り、石狩市の朝市としてその日に水揚
げされた魚貝類が販売されております。
写真は日本海の増毛町から車で30分ほど下った「浜益」の海際にある
「はまなす郷土資料館」です。

明治32年に白鳥家によって建てられたニシン番屋を改修復元したものです。




滝の上公園ca934b80.jpeg

 

滝の上公園は、アイヌ語で「ポンソウカムイコタン(渓谷の美しいところ)」

と呼ばれています。

夕張市の南端にあり、夕張川の侵食によってできた「千鳥ヶ滝」、「竜仙峡」

など大小無数の滝と奇岩がそびえております。

「千鳥ヶ滝」は公園内の橋の上から見ることができ公園駐車場からは徒歩5

ぐらい。

夕張川が作り出した渓谷美と四季折々のたたずまいが魅力の公園です。

紅葉の見頃である10月中旬には「ゆうばり紅葉まつり」が開催されます。


 

滝の上発電所53e98662.jpeg

 

滝の上発電所は北海道夕張市滝ノ上にある北海道企業局が
運営・管理する水力発電所である。

  

水系・河川名 - 石狩川水系・夕張川

使用開始年月 - 1925年1月

発電所型式 - 水路式

認可出力 - 最大2340kW 常時0kW

使用水量 - 最大17.806m³/s 常時0.320m³/s

有効落差 - 最大17.88m 常時20.40m

年間発電電力量 - 2446000kWh

歴史

滝の上発電所は1925年(大正14年)1

北海道炭礦汽船株式会社自家発電設備として建設され、北炭滝之上水力発電所
と呼ばれた。

白色で縁取られ「北斗星」の描かれたラウンドトップの窓が印象的なレンガ積みの
風格のある建築
である。

後に、電力需要の増大に伴い建設された清水沢火力発電所とともに北海道の石炭
産業
を動力面からを支えてきたが、
北海道炭礦汽船の夕張での採炭事業の撤退後
は、何度か所有者の移転を経て、1994年
(平成6年)4月に北海道が北炭真谷地炭
鉱株
式会社から譲渡を受け
北海道企業局が運営・管理することとなる。

 

当発電所は

2001年に北海道遺産空知の炭鉱関連施設と生活文化」の一部に選定されている。

空知は国内最大の産炭地として最盛期に100炭鉱、83万人の人口擁し、日本
の近代化を支えたが、エネルギー政策の転換による合理化、
閉山が相次ぎ空知の炭鉱
は姿を消した。

地域に残る炭鉱関連施設は生産から生活まで多岐にわたり、まさに屋根のない博物館。

また、三笠市を発祥とする北海盆踊りなど、ヤマは今に続く多くの生活文化を空知に残し
ている。

 

当発電所は

財団法人北海道公営企業振興協会が北海道企業局の委託を受けて運営・管理
している。
発電は通年ではなく、雪解け時期3月~5月)に限って行われている。

使用開始から80年以上経ち、老朽化が著しいため大規模な改修が必要である。

しかし、大改修をして存続させるにしても多額の費用がかかり、また、発電所を廃止
するにしても河川法
によりや水路工作物などの原形復旧が求められるためこれも
また多額の費用がかかる。
発電所を所有する北海道としてはどちらを取るにしても多額の費用がかかるため頭
を抱えている。

 

一般公開

通常は立ち入りが禁止されているが、年に一度、滝の上公園で開催される10月中旬
紅葉まつりの際に、通常立ち入りができない施設
の一般公開が行われている。
通常は敷地外から外観のみ見学可能。

敷地内の見学は北海道企業局の許可が必要。

 

交通

鉄道:JR石勝線滝ノ上駅下車、徒歩約10分。



北海道出身の作家516h4ixehyL.jpg

 

佐々木譲(ささき じょう)

1950316-

本名は同じ漢字で、ささきゆずると読む。
東京農業大学客員教授。

 

夕張市生まれ。北海道中標津町在住。札幌月寒高等学校卒業。

卒業後、京都や東京などでフリーター生活を行い、本田技研の工場労働者を1年で退職した。

1979年「鉄騎兵、跳んだ」でオール読物新人賞を受賞し、作家デビュー。

同作は映画化もされ評判となった。
軍事や歴史を主に題材に採り、ジュブナイル小説も手がけている。
また、数々の賞を受賞している。

 

1989年  『エトロフ発緊急電』で
        日本推理作家協会賞長篇部門・日本冒険小説協会大賞・山本周五郎賞を受賞。

1994年  『ストックホルムの密使』で日本冒険小説協会大賞を受賞。

2002年  『武揚伝』で新田次郎文学賞を受賞。

2008年版 『このミステリーがすごい』で、『警官の血』が1位となる。

2010年  『廃墟に乞う』で第142回直木賞受賞。高卒の作家としては6年ぶりの快挙であった。

 

作品の特徴

作風は、日本の作家としてはかなり特異なもので、現在や過去の社会的な問題を
上手にエンターティンメントに仕上げてみせるものが多い。

たとえば「真夜中の遠い彼方(後に「新宿のありふれた夜」と改題)」では
暴力団・ボートピープル・違法入国労働者など、「夜にその名を呼べば」では冷戦・警察など、
「仮借なき明日」「ハロウィンに消えた」では日本企業の海外進出とそれに伴う文化摩擦など、
「ネプチューンの迷宮」では原子力・放射性廃棄物の処理や国家テロなどが、
それぞれ扱われている。
また、緻密に組み立てられた戦争もの(太平洋戦争三部作など)も評価が高いが、
それらにも、「ベルリン飛行指令」では第二次世界大戦直前のインドやトルコなどを含む
アジア情勢が、「エトロフ発緊急電」では日系アメリカ移民など、「ストックホルムの密使」
ではポーランド問題などが、重層的に盛り込まれている。

 時代がさがるにつれ、出身地の北海道を舞台とした西部劇的な作品が増えた。
それらの作品では、江戸末期〜明治にかけての蝦夷収奪や侵攻、アイヌ民族と和人と
の摩擦も扱われてはいるが、それ以前の作品よりはだいぶ比重が軽くなっており、
より活劇的なエンターティンメント性が重視されている。

 また、初期の「犬どもの栄光」「夜にその名を呼べば」の系列とも言える警察小説も増加し、
北海道警を舞台とした「うたう警官(のちに『笑う警官』に改題)」や警官家族の三代にわたる
歴史を描いた「警官の血」など、後年の作品の傾向のひとつとなっている。

 




北海道出身の作家a192c2e7.jpeg

 

渡辺淳一(わたなべ じゅんいち)

19331024-

日本の作家。上砂川町出身1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。

 

1964年札幌医科大学助手、1966年同大医学部整形外科教室講師。
同大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした『小説・心臓移植』
19693月。後に『白い宴』と改題、角川文庫)を発表し、大学を去る。

1970年、37歳の時に総理大臣寺内正毅をモデルとしたとされる『光と影』で
63回直木賞を受賞し本格的に作家活動を開始した。

直木賞、芳川英治文学賞、中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞選考委員。

 

作風

主題は、伝記(『花埋み』『女優』『遠き落日』など)、医療(『白い宴』『麻酔』など)、性的描写の濃い男女関係(『化身』『失楽園』『愛の流刑地』など)の三つに大別されるが、各ジャンルを融合したものも少なくない。概ね初期においては医療をテーマとした社会派的な作品が多かったが、後期以降は中年男女の性愛を大胆に描いた作品で話題を呼んでいる。



北海道出身の作家saeko.jpg

 

氷室冴子(ひむろ さえこ)

 

本名:碓井小恵子(うすい さえこ)、1957111-200866日。小説家。

1980年代から1990年代にかけて集英社コバルト文庫を代表する看板作家であった。

 

岩見沢市出身。岩見沢東高等学校を経て藤女子大学文学部国文学科へ進学。

当時の知的流行であった構造主義に傾倒し、志賀直哉の文庫本をバラして11ページのペースで一字一句の文章を解析する学究生活を送る。

賞金目当てで1977年(昭和52年)、大学3年の夏に『さようならアルルカン』を小説ジュニア(現・コバルト)第10回青春小説新人賞へ応募して佳作を受賞。少女小説界へデビューするが、その時点では職業作家を目指してはいなかった。

 

大学は卒業するがオイルショックの影響で就職が出来ず、母親と喧嘩して家を飛び出して高校時代からの友人と共同生活を始める。手元にあったのは出たばかりの『白い少女たち』の印税60万円であり、家賃から雑費まですべて含めて月19000円の貧乏生活を開始。月に1本のペースで小説を書いては出版社に送りつける。学園コメディー『クララ白書』の印税を手にしたときは銀行預金の残高が4万円しか残っていなかった。

その後、宝塚歌劇をモデルにした漫画『ライジング』の原作を手がけることになり、生まれ育った北海道を離れて1981年(昭和56年)に宝塚へ転居。小説家であることを隠してファンクラブに潜入し、若手スターの追っかけをしながら原稿を執筆する。1年ほど宝塚で暮らし、ファンクラブ内では準幹部まで出世している。

b4230576.jpeg雑居時代』が重版を重ねることで職業作家としての道が確立し1982年(昭和57年)に札幌に戻り、長距離電話代の請求額にショックを受け1983年(昭和58年)に上京。

これと平行して『ざ・ちぇんじ!』『シンデレラ迷宮』などで好評を博し、『なんて素敵にジャパネスク』シリーズで集英社コバルト文庫の看板作家としての地位を確立。

古代日本を舞台に設定したファンタジー『銀の海金の大地』シリーズ、小学校時代を舞台にした半自伝小説『いもうと物語』、結婚を迫る母親との攻防戦を描いたエッセイ『冴子の母娘草』などの作品もある。

徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』で連載した『海がきこえる』は1993年(平成5年)にスタジオ・ジブリでアニメ化された。

1990年代後半以降は、目立った執筆活動は無かった。

2008年(平成20年)669時、肺癌で死去。51歳没




2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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