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岩内の大火7690c3aa.jpeg

 

洞爺丸台風(飢餓海峡)

昭和29926日に来襲した台風。

この台風は九州地方、中国地方を上陸通過し
日本海へ抜けた後に更に発達しながら北上。

函館港沖で青函連絡船洞爺丸を座礁転覆、
岩内町では3,300を焼失させる大火を引き起こすなど
北海道を中心に多数の犠牲者を出した。

 

この時を題材とした小説が水上勉の「飢餓海峡」です。
この小説の最初に「朝日温泉」が出てきます。

北海道の秘湯といわれる温泉で、雷電海岸から4キロほど山道を走るとあります。
「岩内」の大火から「函館」「青森」「舞鶴」に展開する推理小説。

写真は「朝日温泉」にある露天風呂。

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木田金次郎 (岩内町)

71322837.jpeg

 

北海道洋画壇の代表的な作家の1人に「木田金次郎」がおります。

岩内に生まれた木田金次郎は、漁業に従事するかたわら、
絵画への夢を捨てきれずに創作活動続をける。

その後、文豪有島武郎との運命的な出会いをきっかけにさらなる
情熱を燃やし続けて生涯にわたって岩内の自然を描き続けた画家です。

有島武郎の名作「生れ出づる悩み」のモデルにもなっています。

木田の作品1,5001,600点は、昭和29年の台風15号による岩内大火で焼失。

現在美術館には絶筆となった「バラ」などが展示されています。
 

木田金次郎美術館 TEL0135-63-2221
開館時間:10:0018:00 入館17:30まで
休館日:月曜(祝日の場合翌日)12/281/2、展示替え時
観覧料:大人500円、高200円、小・中100円 



アスパラガス日本発祥の地

 

アスパラガスは、実は岩内が発祥の地。

欧米視察から帰国した地元出身の下田喜久三農学博士
は冷害に強いaspara_001.jpgアスパラガスの交配種の研究を行うべく
大正11年に町の40ヘクタールもの砂丘地にアスパラガス
を植え付けました。

翌々13年には日本アスパラガス(株)を創立。
当時、わずかに外国産缶詰があるだけだった時代に
岩内産のアスパラガスは品質・製法ともに外国品を
凌ぐ大変良質のものでした。

 

原産は地中海東部。

江戸時代にオランダ船から鑑賞用として日本にもたらされたが
食用として導入されたのは明治時代。
そして本格的な栽培が始まったのは大正時代からで、欧米への輸出用缶詰
に使うホワイトアスパラガスが始まりであった。
その後国内でも消費されるようになり、昭和40年代以降はグリーンアスパラガスが主流となった。
現在では生のホワイトアスパラガスや調理しやすいミニアスパラガスなどが店頭に並んでいる。



岩内町

人口15,366

 

明治30年、この年の北海道のニシン漁獲量は1,298,369石!

d9a3f6b7.gif
漁業史上最高のニシン漁全盛でした。

内はニシンの千石場所として栄えた町で、現在は
品質日本一を誇るタラコの生産をはじめとする水産加工の町です。

近年は、岩内沖約7.8km、水深約300mの地点から汲み上げた
日本海岩内海洋深層水を様々な分野に利活用し「深層水ブランド
の確立による新たな産業創造と雇用の確保を目指しております。

 

北は日本海、南は岩内岳・雷電山などのニセコ山系に囲まれており、
雷電海岸にそびえ立つ弁慶の刀掛岩や積丹半島を見渡せる円山展望台
からの風光明媚な自然環境。

豊富な温泉施設・スキー場・パークゴルフ場・オートキャンプ場などのリゾート施設、
さらに木田金次郎美術館・荒井記念美術館・郷土館などの文化芸術施設などを柱
に観光振興にも力を入れています。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
男性