忍者ブログ
2024 05
≪ 2024 04 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 2024 06 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



北海道の政治家dde2f03f.jpeg
 
荒井聰
(あらいさとし、1946年5月27日- )は、日本の官僚、政治家。
民主党所属の衆議院議員(5期)。菅直人の最側近とされる。
 
菅直人新首相は5日夜、閣僚・民主党役員人事で、官房長官に仙谷由人国家戦略担当相、党幹事長に枝野幸男行政刷新担当相、党国対委員長に樽床伸二衆院環境委員長の起用を表明した。
国家戦略担当相には菅氏側近の荒井聡首相補佐官(衆院道3区)を内定。
小沢一郎前幹事長と距離を置く仙谷、枝野両氏の起用で参院選に向け「脱小沢」をアピールする一方、党代表選で小沢グループが推した樽床氏を要職に据えて挙党体制にも配慮した。
 党人事は7日午後の両院議員総会で決定し、組閣は8日の予定。
 消費者・少子化担当相には蓮舫参院議員、財務相は野田佳彦財務副大臣が内定。赤松広隆農水相は口蹄(こうてい)疫の感染拡大の責任は免れないとして再任を辞退しており、交代の方向だ。亀井静香金融・郵政改革担当相ら11閣僚は続投させる。
 
 
 
 官房副長官は衆院側に古川元久内閣府副大臣を登用し、参院側は松井孝治氏が再任の方向。三井辨雄党国対委員長代理(衆院道2区)も再任し、党選対委員長には安住淳衆院安全保障委員長、党幹事長代理には細野豪志副幹事長を充てる。
 枝野氏の幹事長起用には挙党体制の観点から党内で異論があった。だが菅氏は記者団に「選挙になれば首相より幹事長が論争することも多い。選挙の顔としてふさわしい」と枝野氏への期待を表明。樽床氏の抜てきについては「全員が参加できる党という考え方の下で進めたい」と一致結束を強調した。
 
 農水相は筒井信隆衆院農水委員長が浮上。玄葉光一郎衆院財務金融委員長と海江田万里党選対委員長代理は政府か党の要職で起用する方向で調整中だ。復活させる党政調会長は、荒井氏が兼務する案も取りざたされている。
 事務の官房副長官は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の調整に当たった滝野欣弥氏の再任を検討している。
 輿石東参院議員会長ら参院役員は、参院選が近いため留任させる。
 

PR


北海道の政治家e455e1c8.jpeg
 
荒井聰
(あらいさとし、1946年5月27日- )は、日本の官僚、政治家。
民主党所属の衆議院議員(5期)。菅直人の最側近とされる。
 
石狩郡当別町出身。
1965年- 札幌南高等学校卒業。1969年、東京大学農学部を卒業し、農林省に入省。
1979年- 外務省へ出向、スリランカに赴任。
1986年- 北海道庁に出向。
1991年から2年間、横路孝弘知事の下で知事室長。
1993年- 農林水産省を退官し、7月18日の第40回衆議院総選挙に、日本新党公認新党さきがけ推薦で旧北海道1区から出馬し初当選。8月の党役員人事で党代表幹事に就任。
1994年- 新党さきがけに移り、菅直人政策調査会長の下で政調副会長に就任。
1995年- 北海道知事選では、自民党・自由連合推薦さきがけ支持候補である弁護士伊東秀子を支援(結果、横路後継の前副知事堀達也が当選)。
1996年-10月20日に行われた第41回衆議院総選挙(北海道第3区)に、旧民主党から出馬するも、石崎岳に3千票差の次点で落選。
2000年- 6月25日に行われた第42回衆議院総選挙に出馬(北海道第3区)。前回は選挙区でライバルとして戦った三井辨雄とは、新進党解党で同じ民主党となったため、前回とは一転して選挙協力を結び、石崎岳を6千票差で破り、2回目の当選を果たし国政復帰。
2003年 - 北海道知事選では、出馬要請を受けたが固辞し、鉢呂吉雄を支援。同年の札幌市長再選挙では、上田文雄の選対委員長を勤める。同年11月9日に行われた第43回衆議院総選挙(北海道第3区)に出馬し、石崎岳を3千票差で破り3選(石崎は比例復活)。
2004年- 民主党NC環境大臣。
2005年- 9月11日に行われた第44回衆議院総選挙(北海道第3区)に出馬し、石崎岳に1万3千票差あまりで敗れるも、比例復活で4選を果たす。
2006年- 3月、PSE問題を巡る混乱を受けて結成された党・PSE法議員懇談会の会長に就任。同年4月、堀江メール問題による執行部総退陣に伴い、空席となっていた党国会対策委員長代理に就任。同年4月8日に行われた北海道知事選挙に、衆議院議員を辞職し、民主党・社民党・新党大地の推薦、市民ネットワーク北海道の支持で出馬し、次点で落選した。
2009年 - 8月30日に行われた第45回衆議院総選挙では、北海道第3区に出馬し、石崎岳に比例復活を許さないほどの差を付け、5度目の当選を果たした。
 
2009年 - 10月23日、鳩山由紀夫内閣で、内閣総理大臣補佐官に就任(国家戦略室を担当)。



北海道の政治家0866acad.jpeg
 
松浦周太郎
まつうら しゅうたろう、昭和政治家 1896年5月2 – 1980年6月8日)
元労働大臣・運輸大臣。美深町名誉町民(1964)。
 
渡島支庁茅部郡落部村(現・二海郡八雲町)に生まれる。
父・増太郎は愛知県の人で、濃尾地震(1891年)で耕地を失い、翌1892年、八雲徳川農場で小作人として働くために渡道してきていた。
幼少時に現在の美深町に移住、恩根内小学校を卒業後は家業の農作業に従事し、また中学講義録を取り寄せ独学していた。
一時期胃を痛めて東京の長与胃腸病院に入院し、夏目漱石と病室を共にしたことがある。
 
1920キリスト教に入信。翌1921年には木材会社を設立し軌道に乗せる。
美深町議(1929年)、北海道議(1932年)を経て、1937年立憲民政党第20回衆議院議員総選挙から旧北海道2区にてに立候補し当選。
以後当選12回。民政党では鶴見祐輔の片腕的存在となる。
戦後、中村梅吉・犬養健・小泉純也・野田武夫らと若手議員主体の「新日本建設調査会」を結成するが、のちに日本進歩党結成に合流する。
1945幣原内閣公職追放で外務参与官を務めたあと、される。
 
追放解除後は民政旧友会・松村・三木派松村謙三に所属し、鶴見祐輔・から中央政界に復帰し、同党副幹事長となる。保守合同後は新政クラブ改進党を経て1952年中村三之丞らとともに旧民政党左派の長老として重きをなす。 
1956石橋内閣で労働大臣、1964年第3次池田内閣改造内閣で運輸大臣として入閣する。
1976年政界を引退。1972年勲一等旭日大綬章受賞。
1980年6月8日、老衰により84歳にて死去。


北海道の政治家

三井辨雄e1b9bfe2.jpeg
(みつい わきお、1942年11月24日‐ )は、日本の政治家。
衆議院議員(4期)。
 
北海高等学校、昭和薬科大学薬学部を卒業後、
三井薬品入社。
その後北海道内で病院・介護福祉施設を経営する医療法人交雄会の理事長を務める。
民主党でも指折りの金持ち議員であり、国会議員の所有財産が新聞紙上に掲載されると、常に上位に名前が掲載される。その豪邸は選挙区内に無い。
経営者時代から羽田孜と深い関係にあり、そのため1996年の第41回衆議院総選挙で、新進党から北海道第3区に出馬。しかし、当選した石崎岳(自民党)、荒井聡(旧民主党、落選)に敗れ、3位で落選した。
 
2000年6月25日第42回衆議院総選挙では、新進党が解党されたため、新・民主党に移籍。選挙区調整で、北海道第3区を前回対戦相手の荒井聡に譲り、自身は比例北海道ブロックに移って、初当選した。
2003年11月の第43回衆議院総選挙では、今度は北海道第2区に国替え。小選挙区で当選し、再選した。
2005年9月の第44回衆議院総選挙では、小選挙区(北海道第2区)で、自民党の吉川貴盛に勝利し、3選を果たした。
2009年8月の第45回衆議院総選挙では、小選挙区(北海道第2区)で、自民党の吉川貴盛に比例復活を許さないほどの差を付け圧勝し、4選を果たした。
 
医療福祉・中小企業政策に明るい。民主党中小企業局長をつとめる。
 
もともとは羽田孜との関係で政界入りしたが、同じ北海道選出である鳩山由紀夫にも近い。また、選挙区に北海道では数少ない旧民社党系である北海道電力労組の票田があるため、民社協会にも所属している。


北海道の政治家
 
鈴木 宗男(すずき むねお) 8a2521a62.jpeg
十勝支庁足寄町大誉地出身
 
2008年9月19日、国民新党と統一会派「国民新党・大地・無所属の会」を結成。
10月3日に札幌市事務所の会見で、新党大地代表として軸を置いて政党間協
議を見ながら最終的に判断するとした上で国民新党や民主党からの重複立
候補をした上での小選挙区立候補を示唆する発言をしていた。

最終的には第45回衆議院選挙では前回同様新党大地として北海道比例ブロックに立候補、
前回同様1議席を獲得し、新党大地代表として2期目の議員生活を送ることになった。
9月16日、新党大地が衆議院で民主党の統一会派「民主党・無所属クラブ」に参加する形で
与党会派入り、9月17日に衆議院外務委員長に就任。

賄賂罪で一二審で実刑を受けて上告中の刑事被告人が与党会派入りして国会の常任
委員長に就任するのはきわめて異例である
 
自民党・公明党・共産党の野党は「賄賂罪で一二審で有罪判決を受けて上告中の刑事被告
人なので、委員会を代表して円滑かつ公平な運営にたずさわる役職にふさわしくない」として
鈴木宗男の外務委員長就任に反発し、与党の民主党は「推定無罪の原則がある」「直近の
民意で当選している」と反論。

常任委員長は慣例として全会一致で議長指名として選出されるところ、本件については異例
の起立採決で議長指名となり、横道孝弘衆議院議長が鈴木宗男を外務委員長に指名した。
この国会人事については民主党が北海道で圧勝した鈴木宗男の影響力を考慮した論功行賞
的な人事とする向きもある。
鈴木は自身の刑事訴訟と外務委員長就任について2009年11月18日に岩屋毅から質問を受
けた際には「司法は司法の判断。立法府は立法府の判断があっていい」と述べた。



北海道の政治家
 
鈴木 宗男(すずき むねお) 7735da35a.jpeg
十勝支庁足寄町大誉地出身
 
新党大地代表
2005818日、松山千春とともに新党大地を結成し
代表に就任。
9月の衆議院選挙に北海道ブロックでの比例1位候補
として立候補して当選、衆議院議員復帰を果たした。
当選後の特別国会での首班指名選挙では小泉純一郎に投票、
再提出された郵政民営化法案には反対票を投じた。
2006926日の首班指名選挙では民主党代表の小沢一郎に投票。
また1022日には30分間小沢と会談し統一地方選や参議院議員選挙
での協力を約束したが、20077月の第21回参議院通常選挙で民主党
の支援を受けた新党大地推薦候補が落選したことから民主党との選挙協
力を白紙に戻し、今後は自民・民主両党との間で是々非々のスタンスを取
るとしている。



北海道の政治家
 
鈴木 宗男(すずき むねお) 68ee73aa2.jpeg
十勝支庁足寄町大誉地出身
 
2002年2月4日NGO出席問題を巡って田中真紀子外務大臣
               対立する形で衆議院議院運営委員長を辞任。

2月13日、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」
        (いわゆるムネオハウス)の建設をめぐる疑惑を発端とし
        て数々の疑惑が浮上。
2月20日に参考人招致、311日に証人喚問を受けたが明白
        な答弁は避けた。
3月15日、自民党を離党。
6月19日やまりん事件であっせん収賄容疑で衆議院本会議で
         逮捕許諾決議が可決されて逮捕される。
6月21日、衆議院本会議で議員辞職勧告決議が可決された。
7月20日に斡旋収賄罪で起訴。証人喚問において島田建設事件と
        モザンビーク事件に絡んだ証言が偽証として9月13日に議院証
        言法違反違反で起訴。政治資金規正法違反の罪でも起訴された。
2003年9月、衆議院選挙の直前に保釈(2002年12月と2003年4月に
        保釈を申請しているが「罪証隠匿の恐れがある」として却下された)。
       その後で9月に衆議院本会議に出席。
        議員辞職勧告決議がされた国会議員が決議を無視して登院したのは
      初めてのことであった。
2003年10月、胃癌を手術。
2004の参議院選挙に北海道選挙区で無所属で出馬するも落選
      (得票数48万5382票)。
2004年11月5日東京地方裁判所での第1審で懲役2年、追徴金1,100万円
       の実刑判決が下された
      (鈴木は一連の事件を全て否定した上で「国策捜査」と批判し即日
       控訴)。
2008年2月26日に東京高等裁判所においても、控訴棄却となり、即日
      最高裁判所に対し上告した。

現在、鈴木は衆議院議員だが、仮に禁錮以上の有罪が確定すると失職し、
賄賂罪の有罪で実刑が確定すれば服役終了から5年間は公民権が停止
になる。
 



北海道の政治家

鈴木 宗男
(すずき むねお) 5e1743ba5.jpeg
十勝支庁足寄町大誉地出身

しかし中選挙区時代から小選挙区移行後の今日でも十勝支庁は地盤
として強固である。
国替えに伴い、それまで縁の薄かった釧路市に家を構えたことに関し、
嫌悪を感じた釧路市民も多いと伝えられる。
国替え直後選挙では、釧路市を大票田とする北海道13区(釧路支庁・
根室支庁)では自民党を離れながらも酪農業を中心に保守層を押さえ
た北村に敗れ、重複立候補していた比例代表北海道ブロックで1位で
優遇された事も有り復活当選した。
 
選挙区の国替え後、基本的には十勝支庁の土建業者の支持を中心に受けつつ、
補助的には自由民主党代議士が永く不在なため基盤整備の遅れた道東の中心
都市釧路市を含む釧根(釧路支庁・根室支庁)、特にこれまで独自の国会議員を
持ったことがない根室支庁では建設業界に支持が根強い。
また、ライバルの北村直人が酪農家を地盤としたのに対し、鈴木は岡田利春
基盤であった
漁業関連へと食い込み、「海関連」で強固な人脈を築いた



北海道の政治家
 
鈴木 宗男(すずき むねお) 43a9c2f2e.jpeg
十勝支庁足寄町大誉地出身
 
当選後当初は金丸信を、金丸信の引退後は当選
回数の近い衆院議員である野中広務を師と仰ぎ、
「野中・鈴木ライン」で政界を叩き上げた。

叩き上げの手法の中には、大蔵省への陳情の際に北勝海を同席さ
せたり、リクルート事件で竹下登が辞意を表明したが後継総裁選定
に難航した際に、早くから宇野宗佑が後継であると断言するなど、
従来の政治家の常識を超えた行動が目立っていた。
 
1996年の小選挙区制導入で旧5区は11区(十勝支庁)、12区(網走
支庁・その後区域変更)、13区(釧路・根室支庁・現在は「7区」に区
域名変更)に分割され、11区には中川12区には武部の地盤となった。
13区は北村の地盤だったが、北村は当時の新党ブームに乗り、羽田
孜・小沢一郎らと新生党結成~新進党結党参加していた。

鈴木は自由民主党候補者が不在となっていた13区に国替えした




北海道の政治家
 
鈴木 宗男(すずき むねお) 3ad870712.jpeg
十勝支庁足寄町大誉地出身
 
魚住昭『渡邉恒雄・メディアと権力』(講談社)によると、
昭一が立候補していたため、読売新聞グループの渡邉
に立候補を断念するよう迫られ、鈴木が断るとマスメデ
ィアに大々的に鈴木批判の記事が掲載されたという。


また同書によれば、宗男側は「中川先生は世襲に否定的だった」という
大義を下に出馬を決断したとしている。
中選挙区時代の北海道5区は、定数5に対し、日本社会党が
(単独推薦を含め)最後まで3人の候補を立て続けた唯一の選挙区
(3人当選する場合もあった)であった。
社会党は3人に地盤を三分させ、釧路市を地盤にした候補には岡田利春
がいた。
昭一との遺恨、自ら「中川一郎先生の応援をえて最年少道議として政界
デビュー」と語る武部勤の参戦(このとき武部は落選)もあって、毎回自民
3候補(鈴木が当選してからは4候補)対社会党3候補の激戦が、日本一
面積の広い選挙区(都道府県面積第2位の岩手県よりも広い)で繰り広げ
られた。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
HN:
上家二三夫
性別:
男性