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豊浜(とよはま)トンネル岩盤崩落事故 52259b2c3.jpeg
後志管内古平町 

 岩盤崩落事故の後に作られた慰霊碑
崩落現場は入り江状にやや奥まっているため、
現在は両側の海岸線からは現場方面を望むことはできない。
また、海岸線は切り立った崖のため、現場への到達は徒歩では困難で、
船でしか行けない。

 なお、現行豊浜トンネルの古平側抗口
(旧セタカムイトンネルの古平側抗口)
脇には防災祈念公園として駐車場とトイレを新設。
その敷地内に慰霊碑が設置され、誰でも常時訪れることができるほか、
トイレ隣には事故概要とトンネル防災に関する展示コーナーも併設されている。

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豊浜(とよはま)トンネル岩盤崩落事故 4572a707c.gif
後志管内古平町  
 
1991年と1994年にも現場付近で小規模な崩落が起きており、
安全対策を怠ったとして北海道開発局の元幹部2名が書類送検されたが、
不起訴処分となっている。
遺族の一部は責任を追及しようと、道路管理者である国を相手取り
民事訴訟を起こしたが、判決では賠償金の支払いは命じたものの、
責任については明確にされなかった。
近辺に迂回路が一切ないため、余市町と古平町・積丹町の間を往来するには
岩内町・神恵内村を経由して大きく迂回するほかなく、一時半孤立状態となったが、
数日後には既に廃道として閉鎖されていた海側の旧豊浜隧道を活用
(旧隧道は断面が狭小で大型車のすれ違いが不可能ため信号機での整理による片側交互通行)
する形で仮復旧した。
その後1996年12月10日には事故現場の復旧を終え一度再開通した。
また、事故を受けルートそのものの見直しを行った結果、豊浜トンネルの途中から分岐して
崩落現場を避ける形で山側へ掘り進み、古平町側のセタカムイトンネルの途中へ合流して
戻る中継トンネルを掘削して、より安全なルートに切り替えることとした。
この工事は2000年12月8日に完成し、セタカムイトンネルを編入した全長2,228m
現在の豊浜トンネルとして開通した。
その後旧ルートとの分岐部から先は封鎖された。
 



豊浜(とよはま)トンネル岩盤崩落事故 31fb8a89a.jpeg

後志管内古平町  
 
11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく
岩盤を除去することができた。
岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとどめておらず、
また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰された有様であり、
被災者は全員が激しく圧壊損傷した遺体で発見される結果となった。

死因は全員とも圧死で、ほぼ即死状態であったと考えられる。
崩落に至った原因としては、付近の地下水が湧出している部分が
厳冬期に凍結し、地下水圧の上昇を毎年繰り返すことで、岩盤の亀裂を
徐々に成長させたためと見られている。
 



豊浜(とよはま)トンネル岩盤崩落事故 29651523f.jpeg
後志管内古平町  
 
1996年2月10日午前8時10分頃、

古平町側の坑口付近において

岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000㎥・重さ27,000tと推計)が崩落。

トンネル内を走行中だった北海道中央バスの
積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、
後続の乗用車(1名乗車)
の2台が直撃を受け、20名全員が死亡した。

トンネル内の事故現場は多数の瓦礫に塞がれ、内部に閉じ込められた車の様子が
確認出来ず、さらに、巨大なまま上部に残留している岩盤を除去しない限りは再崩落
の危険があり、内部に入ることができなかったため、岩盤を発破により海側へ滑らせ
て除去することとした。
しかし、内部にいる人が生存している可能性も考慮し、岩盤除去に使用する爆薬の量
が制限されたため、岩盤除去作業は難航した。
 



豊浜(とよはま)トンネル岩盤崩落事故 19fe76db6.jpeg
後志管内古平町  
1996年2月10日 午前8時10分ごろ  20人死亡
 
豊浜トンネルは1963年(昭和38年)に初代豊浜隧道開通。
その後1984年(昭和59年)に2代目の豊浜トンネルが開通したが、
それから12年後の1996年(平成8年)に岩盤崩落事故(後述)が発生し、
多くの死者を出した。
事故後、豊浜トンネル内から崩落現場を山側に迂回して古平町側に隣接
していたセタカムイトンネル内に繋ぐ新トンネルが掘られ、2000年に開通。
2代目トンネル部分・セタカムイトンネル部分と合わせた全長は2,228m



積丹ユースホステル

 

奇岩や、透明度の高い海など、
積丹で会う自然の全てが感動的です。
syakotan09.jpg

その中でもお勧めの場所がワリシリ岬から見る、
神威岬に落ちる夕陽は日三大夕陽といわれています。

積丹ユースホステルの近くで歩いて行けます。

 

夏の積丹といえば、やはりウニ!

積丹ユースホステルのペアレントの息子は漁師をしており、
正真正銘とれたてのウニを食べることができます。
お店で食べるウニは、どうしても薬品を加えて形を整える必要があります
が、ここでは全くその必要無し!とれたてのウニの、本当の味を楽しむこ
とができるのです。

 

例年、6月半ばから8月の末までの期間のみ、ウニ漁が解禁されます!



野塚キャンプ場

 

札樽自動車道小樽ICから国道5号・229号で神威岬方面へ。nozuka4.jpg

美国市街から約16kmの海側に現地。小樽ICから60km

 

夏の海水浴シーズンが最も賑わう時期だが
通年オープンの貴重なキャンプ場。
ロケーションが良いのが人気のあるところで
近くには積丹岬にカムイ岬と、積丹の人気スポットもあり
ここに泊まってそれらのフィールドを回れる。そして日本海に沈む夕日も楽しめる。
また、近くの「岬の湯しゃこたん」の露天風呂から眺める夕日も人気だ。

駐車場は2カ所に別れていて、カムイ岬寄り駐車場の下に広がるサイトは
フラットな芝地になっているが、駐車場からは急な階段を下りることになる。

積丹ブルーと言われる積丹の美しい海を楽しむには、お勧めのキャンプ場である。

 

《所 在 地》積丹町大字野塚町

《利用料金》無 料

《設  備》水道、炊事場、照明設備、トイレ(車椅子使用者用・洋式あり)

《駐 車 場》テントサイト近接

《注  意》・駐車場そばの炊事場屋根なく段差あり
・テント設営地は砂地
・駐車場一部未舗装

《特記事項》・近接のホテル「しゃこたん」に自動販売機、公衆電話、売店、シャワーあり

 

 

 

 

 

 

 

 



後志(しりべし)とはsuraido.jpg

 

後志支庁の後志の由来について

「しりべし」という地名が初めて書物に出てくるのは「日本書紀」です。

659年に大和朝廷の命を受けた阿部比羅夫が船軍180艘をもって
蝦夷国を
討ち、「後方羊蹄」に群領(役所)を置いて帰ったと記されています。

1869年(明治2年)には国郡制が制定され、「後志国」が置かれました。

後志地域は景観に優れ、美しい日本海の海岸線、
国内有数のスキーリゾート地として知られるニセコ連峰、様々な泉質を誇る
数多くの温泉やバラエティに富んだフットパス・散策コース、そして、新鮮な
山海の幸や美味しい水など、魅力ある観光資源の宝庫です。



 

ニセコ積丹小樽海岸国定公園6566ac6a5b160902.jpg

 

北海道の西部にそびえるニセコ火山群と、
積丹半島から小樽海岸までの海岸線一帯を区域にした公園です。

ニセコ火山群は、ニセコアンヌプリ(1,308m)、イワオヌプリ(1,118m)、
チセヌプリ(1,135m)などの第四紀更新世の成層火山や溶岩円頂丘か
らなり、なだらかな山腹を現しています。

そして、その斜面が、恵まれた雪質と湯本、昆布、新見などの温泉群と
により、絶好のスキー場を形作り、優れた冬のリゾートとなっています。

また、積丹半島から小樽海岸にかけては夏のリゾートです。

この海岸線一帯は、安山岩や集塊岩などからなる奇岩怪石の海食風景を現していますし、
銭函や蘭島などの海水浴場もあり、探勝や海水浴に盛んに利用されています。

 

ニセコ積丹小樽海岸国定公園は、北海道西部の日本海側に位置し、小樽市、蘭越町、
ニセコ町、倶知安町、共和町、岩内町、積丹町、古平町、余市町、泊村、神恵内村の
182村にまたがって広がる、面積およそ19,000haの自然公園です。

 



美国神社 (火まつり)

北海道積丹郡積丹町大字美国町字船澗 23057c373b4.jpeg

享保10年(1726年)、小泊村(現・美国小泊)に創建され、
大正3年に現在地に移転しました。

 

毎年74日~6日の三日間、美国神社の例大祭があります。

海の安全と豊かな収穫を祈って、
大漁旗を華やかに掲げる「海上渡御」、神輿や山車のパレードなど
更には、夜陰に火の粉が舞い上がる中の「天狗の火くぐり」が
幻想的で勇壮な雰囲気を醸し、大いに楽しませてくれます。

闇に映える炎の中で繰り広げられる幻想的なまつり
をひと目見ようと、大勢の人たちが訪れます。

7
4日 夜宮/ 75日 本祭/ 76日 後祭
「火くぐり」 が行われるのは75日・6日の2日間です。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
男性