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国道229号 13
 泊村

泊村といえば、今は北海道唯一の原子力発電所基地である。
この村は明治に入ると50を越える鰊番屋があったといわれる。
「鰊御殿とまり」は必見の価値がある。
水産庁「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選定
されている建物で、「旧川村家番屋」と「旧武井邸客殿」を復元
したものだ。
また、小樽の祝津高台にある鰊御殿も泊村にあったもの。
明治24年、泊村の鰊網元田中福松氏が明治30年に竣工した
建築物で、昭和33年小樽市に移築された。
 
しかし、泊村は鰊に加えて北海道最古の石炭の町である。
今でも泊村のパンフを見ると、エネルギー発祥の地とあるのは
このためである。
安政3年(1856年)、一漁夫によって茅沼の山中で「燃える石」
が発見された。これが茅沼炭鉱である。
昭和39年に閉山になり、108年の歴史を閉じた。
だが、北海道で初の原子力発電所の計画が昭和42年に北海道
(当時町村金吾知事)が泊村、島牧村、浜益村の3村を建設候補地
として発表。
昭和44年に原子力発電所の建設予定地が共和・泊地区に決定された。
(後は、泊原子力発電所のカテゴリーへ)

(写真は、鰊御殿とまりの郷土資料館)

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                                                国道229号 12
 西積丹 
                                                                                                                 平成8年11月1日、積丹町沼前―神恵内村川白間6.7キロが開通し、
ようやく全線が開通した。
6.7キロに西の河原トンネルなど4つのトンネルが造られ、この区間
の半分を超えている。
それだけ神威岬を回る道路の建設は困難を極めた。

                                                                                                                   積丹岬・神威岬を挟んで、
余市からの東積丹はシリパライン、
岩内からの西積丹はカブトラインと称している。
西積丹は、ニシン漁場としては東側よりも早く開けた。
難所の神威岬のせいであるが、その時代の拠点は岩内で神威岬
に通じるには岩内港から船であった。  
                                                                                                                   国道229号は陸上距離:307.0km。
トンネル76ヶ所は国道として全国一の多さ。
他に覆道73ヶ所、橋梁133ヶ所。
道の駅は9ヶ所。
スペース・アップルよいち(余市町)、オスコイ!かもえない(神恵内村)、
いわない(岩内町・道道270号)、イェルプラザ・港(蘭越町)、
みなとまーれ寿都(寿都町・道道9号)、よってけ!島牧(島牧村)、
てっくいランド大成(せたな町)、ルート229元和台(乙部町)、
江差繁次郎浜 (江差町)  
                                                                                                       (写真は道の駅オスコイ!かもえない。平成16年9月の台風18号の高波の被害を受け、長らく閉鎖していたが、解体と建て替えで平成22年4月24日から営業を再開した)


                                
  国道229号 11

 神威岬/女人禁制   


 神威岬は断崖の高さ80mで、今は先端の灯台まで遊歩道が
続いている。
遊歩道は女人禁制の門をくぐり、まるで恐竜の首の上を伝って
いくようだ。
海の透明度は20m以上、日本海有数の海の難所といわれ、
義経伝説にもなっている。 

 むかし、この岬から北へ行くものはワラ人形や神酒を海神に
捧げて航海の安全を祈り、婦女子の通行は海が荒れるという
理由で許されなかった。
松前藩が奥蝦夷の資源を秘密にするための政策だとも言われ
るが、とにかくこの岬から先は女人禁制であり、従って移住者が
入ってゆくこともできなかった。
 
 女人禁制が解かれたのは、蝦夷地が松前藩から幕府直轄に
なった安政年間で、蝦夷地各地へ妻子を連れての移住が奨励される。
安政3年(1856)に宗谷に赴任した梨本弥五郎という役人の妻子が、
神威岬通過の第一号だったといわれる。

(写真は、女人禁制の門)


                                                 国道229号 10
 神威岬/念仏トンネル 


 三浦哲郎(忍ぶ川で芥川賞)の小説で「愛しい女」があるが、
神威岬の描写が見事で念仏トンネルを通った者には懐かしい。   
                                                                     【やがて神威岬の付け根のところにあるお土産屋を兼ねた食堂
でジープを降り、岩鼻をめぐる小道を歩いた。

(中略)ようやく断崖のあたりに、トンネルが黒い口を開けているの
がみえた。念仏トンネルである。

(中略)荒削りで天井が低く、洞窟にでも入っていくような気がする。
やがてトンネルが鉤の手に折れると、あたりは全くの暗闇になった。

(中略) トンネルを抜けると、目の前が茜色の陽が砕けている入海で、
そのむこうに、左手から弓なりに海へ突き出ている神威岬と、
その前方の岩礁地帯に石地蔵のように立っているメノコ岩が、
黒々とみえていた】   
                                                                                                  
 念仏トンネルは現在立入禁止となっているが、以前は神威岬に行く
にはこのトンネルを通る必要があった。
このトンネルは、大正7年に開通となったもので全長60メートル。                                                        大正元年、神威岬灯台守の家族がワクシリ岬付近で荒波にさらわれ
死亡するという事故が起きたのを契機に、土地の人々が大正3年に
着工した。
両側から手掘りで掘り進むうちに食い違いが生じ、工事が中断したが
念仏を唱えて鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が分か
り工事が再開できたと言われている。
このため、途中で2度折れ曲がっており、内部は真っ暗である。
 
(写真は、念仏トンネルの出口が見える) 


                                                国道229号 9
 積丹岬(島武意海岸)     

 美国を過ぎて半島高台に入ると、間もなく道道913号
野塚婦美線がみえてくる。
並行する国道229号よりも海岸線に近く幌武意集落に
入り入舸に至る。
積丹岬は、東に遠く余市のシリパ岬、西には神威岬を望む。
この岬の一般的な遊歩道コースは、幌武意から入舸へと
結ぶ4.7キロのことである。 
            
                                                                               
 積丹岬の中間地点に人間が立ったまま通れる小さなトンネルがある。
この薄暗いトンネルをくぐると、眼前に広大な海原が忽然と開ける。
眼下の海の中には絶壁から転がり落ちたような巨大な岩が突き出ている。
蒼、緑、群青、碧玉の色をした日本海が広がる。
透明度が高く「日本の渚百選」にも選ばれた島武意海岸である。


(写真は、展望台から見える島武意海岸)


  
 国道229号 8
 倉本聰Ⅱ  

 倉本聰は1977年(昭和52年)に富良野に移住するのだが、
美国(びくに)を断念したのは岬が岩盤で全く水が出なく、
下からポンプアップするには冬の凍結を考えると無理だった。

泣く泣く美国をあきらめたのだが、それだけ魅力的なところである。                                                     瀬戸内海の鞆の浦や尾道とは違う、北の日本海の独特な雰囲気
が今も残っている街だ。
倉本聰は「美国」に住んでいたら、「北の国から」ではなく「北の海から」
のドラマになったのではと語っている。  


 このブログの検索で「美国」と引いてもらえば、以前紹介した「美国」がでてくる。


 (写真は小樽にある青山別邸庭にある、なかにし礼作詞「石狩挽歌」の歌碑)

     
 国道229号 7 
 倉本聰  
  
 倉本聰は
「前略おふくろ様パートⅡ」(1976年)を書きながら、北海道に定住
することを真剣に考えていたと書いているが、その第一の候補地
が積丹の美国だった。 

  定住の条件として                                                       1.冬と夏の寒暖の差が激しい所。即ち四季が明確に見える場所。                                                       2.太い樹のある自然林の中。                                                       3.水の見える場所。 
 不便であってもかまわない。 そうした場所で自分を孤立させ、
 可能な限り他人に頼らず、 出来得る限り己の力で毎日の暮らし
 を切り開ける場所。  


浦河、根室、釧路、中標津、羅臼、斜里、北見枝幸などの海岸線。
十勝三俣、遠軽、屈斜路湖、ニセコなどの内陸部。
暇にまかせて車を走らせあちこちを見て歩く旅の日が続いた。
そして積丹の「美国」へ到達した。  
 
美国とは、余市から古平を抜けて走る東積丹シリパラインの中間地点にある。


                                                国道229号 6
 ソーラン節発祥之地 
                                                        


  国道229号線の旧豊浜トンネル入口(余市町豊浜)には、
ソーラン節発祥之地の碑が立っている。
ソーラン節の始まりは1800年代とされ、元祖は積丹の美国
ともあるが、「千石場所」としてにぎわうようになったのが豊浜
だったので碑を立てたようだ。

                                                             
   ヤーレンソーラン(*繰り返し)[ハイハイ] /
   ニシン来たかとカモメに問えば /
   わたしゃ立つ鳥 波に聞けチョイヤサ /
   エーエンヤーサノドッコイ ショ /
     [ハードッコイショドッコイショ]  
                                                                                                                       
                                                                                                               更に                                                                  

   沖の鴎が 物言うならば 便り聞いたり 聞かせたり /
   鰊くるかと 稲荷にきけば どこの稲荷もコンと鳴く /
   今宵一夜は 緞子の枕 あすは出船の 波まくら /
   余市よいとこ 一度はござれ 海に黄金の波が立つ  
                                                                                                                                                                                 この229号線は、江差に至るまで江戸時代からニシン漁で栄えて
いたため、それを偲ぶ遺産が点在している。



  
  国道229号 5 
豊浜トンネル岩盤崩落事故
 

 崩落現場は入り江状にやや奥まっているため、現在は両側の
海岸線からは現場方面を望むことはできない。
また、海岸線は切り立った崖のため、現場への到達は徒歩では困難で、
船でしか行けない。

なお、現行豊浜トンネルの古平側抗口(旧セタカムイトンネルの古平側抗口
)脇には防災祈念公園として駐車場とトイレを新設。                                                     その敷地内に慰霊碑が設置され、誰でも常時訪れることができるほか、
トイレ隣には事故概要とトンネル防災に関する展示コーナーも併設されている。

                                                 国道229号 4  豊浜トンネル崩落  
 
 平成8年2月10日午前8時10分頃、余市町と古平町
を結ぶ国道229号線の豊浜トンネル(延長1086m)で、
最大長さ70m、最大幅50m、最大深さ13m、
体積約11000立方メートルの岩盤が崩落した。 
                                                      

 この事故で、札幌雪祭りや小樽市へ向かう乗客を乗せた
路線バス1台、乗用車2台がトンネル内で押し潰された。
11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく
岩盤を除去することができた。
岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとど
めておらず、また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰さ
れた有様であり、被災者は全員が激しく圧壊損傷した遺体で
発見される結果となった。
20人全員の死亡が確認されるという惨事となった。 
                                                    

 現場を視察に来た当時の知事は
「これは事故ですネ」と問いかけた言葉が今も耳に残っている。


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
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