2012/11/19 07:31:41
国道229号は、1953年(昭和28年)に小樽江差線(小樽市~檜山郡江差町)
として国道の指定を受けた。
この道が全線開通するのは43年後の1996年(平成8年)11月1日。
北海道でも最も難工事が続いた危険な国道である。
しかし、危険とは裏腹に絶景が続く300kmのドライブコースでもある。 小樽から余市までは国道5号と重複し、右手に日本海を見ながら沿岸を西に
進み積丹半島の付け根「神威岬(カムイ)」に達する。
この岬より積丹半島を巻くように沿岸を回り原発のある泊村に達し、更に南下
し延々と右手に日本海を見ながら江差に向かって行く。
(写真は、今年リューアルオープンした小樽駅)
2012/11/17 07:24:12
厚田村(あつたむら) 11
厚田村は明治以降、異色の人物を生んでいる。
全国から移民をしてきた北海道の縮小版ともいえる。 厚田公園に創価学会二代目会長の戸田城聖の生家が保存公開されている。
推理作家の楠田匡介や横綱吉葉山もここで生まれた。
松山善三は「厚田村」で佐藤松太郎を描いたが、家督を継いだ佐藤正男から
奨学資金を得て札幌の北海中学で学んだのが島木健作と和田芳恵だった。 子母沢寛は伊藤整との「道産子対談」の中で、次のように話している。
「北海道特有のものと江戸から持ち込まれたものとが入り混じった2つの
雰囲気が村にはありましたね。ぼくのおやじは漁場を持っていて、そのうえに
宿屋を経営し、さらに東北方面からの出稼ぎ漁夫相手の女郎部屋もやってたようです。
(中略) この老人たちが、江戸のことをなつかしがって話しているのを、はたで聞いて
いたおかげで、江戸など全然関係ない北海道の寒村にいたぼくが、江戸を舞台にした
小説をかけるんですからね」
この老人たちとは、幕末に江戸(上野・彰義隊)で敗れ、箱館(箱館戦争)で敗れて
厚田に逃れてきた7人の江戸の侍たちのこと。
その頭格が子母沢寛の「おやじ」だった。 幕末から明治維新にかけての歴史小説で、子母沢寛の影響をうけなかった人は
いないという。司馬遼太郎もその一人だった。 子母沢寛のふるさと三部作は、
「厚田日記」「蝦夷物語―或る二人の敗走者」「南に向いた丘」明治の厚田村が、語られている。
(写真は鰊番屋で使われていた蠅取り器)
2012/11/16 09:29:15
厚田村(あつたむら) 10
子母沢寛(しもざわ かん)と異父兄弟・三岸好太郎について。
寛(本名・梅谷松太郎)は明治25年2月1日に厚田村で生まれた。
生母は三岸イシだが、生後ほどなく祖父梅谷十次郎、祖母スナに引き取られた。
三岸イシは、厚田村から札幌に出て11年後に好太郎を生んだ。
好太郎は今の札幌南高校ころから公募展で入選をし、卒業後東京に出るや
天才の評判をよぶ洋画家となった。
19歳(大正11年)の時に女子美で知り合った吉田節子と21歳で結婚する。
(節子とは1999年、94歳で亡くなった三岸節子画伯)。
好太郎は31歳で胃潰瘍が悪化し、心不全で急死してしまう。
現在、三岸好太郎美術館は北海道知事公館の敷地内にある。
三岸好太郎は一度も厚田村を訪ねたことはなかったが、出生地は「石狩ルーラン16番地」
と書いている。それだけ、母親から厚田村の話を聞いていたのだろう。
子母沢寛は新聞記者となるが11歳年下の好太郎を何かと世話をしたという。
(写真は三岸好太郎の画・札幌大通公園 昭和7年)
2012/11/15 07:53:38
雄冬岬(国道231号) 3
雄冬岬の中心に日本海岸は、石狩、厚田、浜益、増毛、留萌、小平と
江戸時代から鰊の漁場として栄えただけに、道路開削の努力は江戸から続けられていた。
1857年(安政4年)、浜益と増毛両場所の場所請人を兼ねていた
伊達林右衛門が自費で道路を開削した。
だが、それは道と呼べるものではなかった。
明治7年にここを通った開拓使の御雇い外国人技師ライマンは
「鹿の作りしものならん、人間の建築とは思われ難し」と報告書に述べている。
日本海岸から鰊が去ると、増毛、浜益とも衰退し、この山道も大正の後半には
まったく忘れられてしまった。
雄冬岬、特に浜益村千代別から雄冬の間は安政期以降まったくの手付かずだった。
(写真は増毛から見た暑寒別岳)
2012/11/13 07:25:53
雄冬岬(国道231号) 1
石狩館内浜益区と留萌館内増毛町の間にある「雄冬岬・おふゆみさき」(石狩市浜益区)は、
茂津多岬(島牧郡島牧村)、神威岬(積丹郡積丹町)と並んで蝦夷の日本海三険岬と呼ばれていた。
また、その厳しさゆえに道路が未整備で訪問が困難であったことから
「北海道三大秘岬」(室蘭の地球岬・根室の落石岬)の一つともいわれる。
標高1491mの暑寒別岳を中心に雄冬岳、浜益岳、郡別岳といった
標高1200m級の山々が連なり、すそ野は切り立った崖となり海に落ち込んでいる。
昭和28年、札幌―留萌間は国道231号に指定されたが、
自動車が通行可能なのは、札幌から厚田村を経て浜益村の一部までと増毛―留萌間だけ。
国道231号はながく「幻の国道」といわれていた。