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                                                  国道229号 3  豊浜トンネル崩落

 断崖絶壁が連続する国道229号が全線開通したのは、断崖絶壁を
迂回する長大トンネルが出来たからである。
これは昭和56年に開通した国道231号の最大の難工事雄冬岬トンネル(878m)
の技術が活かされたからだという。高技術のトンネルが完成するまでは、海岸
沿いを幾重にも曲がる小さなトンネルが続いていた。


 大変危険ではあったが、景観は見事なものであった。
平成8年11月1日に全線完成するのだが、この年(1996年)の2月10日に大変な
事故が起きた。
余市町と古平町の境にある豊浜トンネルが崩落したのである。


                                                      (写真は正面の中心に小さく見えるのが旧豊浜トンネル)
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 国道229号 2   蝦夷の三険峰
                                           
 小樽~江差までの国道229号は、蝦夷の三険峰
(雄冬岬・茂津多岬・神威岬)のうち2つがこの国道にある。



地形が厳しく人が近づき難く山を背に負い、海岸線は断崖絶壁が
連なる北海道でも屈指の景勝地。                                                          

 229号線が開通し、北海道地図の海岸沿いが一本の道路で結ば
れたことになる。
 北海道の旅で、地図を片手に沿岸一周2500キロに挑戦する人が増えてきた。                                                     フェリーで小樽か苫小牧で下船し、北海道を一筆書きで沿岸を回るのである。
 

(写真は神威岬)                                               



                                                 国道229号 1  小樽駅出発                                                  

 国道229号は、1953年(昭和28年)に小樽江差線(小樽市~檜山郡江差町)
として国道の指定を受けた。
この道が全線開通するのは43年後の1996年(平成8年)11月1日。 

 北海道でも最も難工事が続いた危険な国道である。
しかし、危険とは裏腹に絶景が続く300kmのドライブコースでもある。                                                   小樽から余市までは国道5号と重複し、右手に日本海を見ながら沿岸を西に
進み積丹半島の付け根「神威岬(カムイ)」に達する。
この岬より積丹半島を巻くように沿岸を回り原発のある泊村に達し、更に南下
し延々と右手に日本海を見ながら江差に向かって行く。
                                                    (写真は、今年リューアルオープンした小樽駅)

   

  北海道人 21     

 「北海道人」とは、幕末の探検家松浦武四郎の雅号である。

 武四郎17歳の言葉は、現代を生きる私たちに示唆を与える。

  これは、父親との会話である。 

   「庶民の子が名を立てるなどとは途方もないことだと思う
    のでしょうが、毎日食べるご飯や着る物、住む家は全て庶民
    の手で作ったものです。
    庶民の力なくしてどうしてこの世が回りましょうか。
    私は庶民の子として、これからは諸国の動きを知りたいのです。
    旅には生きた学問があります。
    人が人を知らずして、なんで人の道をまっとうできましょうか」
 

 (写真は干鮭 アイヌ民族から和人に対する交易品)


   

  厚田村(あつたむら) 11   

 厚田村は明治以降、異色の人物を生んでいる。
全国から移民をしてきた北海道の縮小版ともいえる。                                                           厚田公園に創価学会二代目会長の戸田城聖の生家が保存公開されている。
推理作家の楠田匡介や横綱吉葉山もここで生まれた。
松山善三は「厚田村」で佐藤松太郎を描いたが、家督を継いだ佐藤正男から
奨学資金を得て札幌の北海中学で学んだのが島木健作と和田芳恵だった。                                                   子母沢寛は伊藤整との「道産子対談」の中で、次のように話している。 

 「北海道特有のものと江戸から持ち込まれたものとが入り混じった2つの
雰囲気が村にはありましたね。ぼくのおやじは漁場を持っていて、そのうえに
宿屋を経営し、さらに東北方面からの出稼ぎ漁夫相手の女郎部屋もやってたようです。
(中略)  この老人たちが、江戸のことをなつかしがって話しているのを、はたで聞いて
いたおかげで、江戸など全然関係ない北海道の寒村にいたぼくが、江戸を舞台にした
小説をかけるんですからね」
  

 この老人たちとは、幕末に江戸(上野・彰義隊)で敗れ、箱館(箱館戦争)で敗れて
厚田に逃れてきた7人の江戸の侍たちのこと。
その頭格が子母沢寛の「おやじ」だった。                                                   幕末から明治維新にかけての歴史小説で、子母沢寛の影響をうけなかった人は
いないという。司馬遼太郎もその一人だった。                                                    子母沢寛のふるさと三部作は、
「厚田日記」「蝦夷物語―或る二人の敗走者」「南に向いた丘」明治の厚田村が、語られている。
               

 (写真は鰊番屋で使われていた蠅取り器)


 

 厚田村(あつたむら) 10   

 子母沢寛(しもざわ かん)と異父兄弟・三岸好太郎について。  
寛(本名・梅谷松太郎)は明治25年2月1日に厚田村で生まれた。
生母は三岸イシだが、生後ほどなく祖父梅谷十次郎、祖母スナに引き取られた。 

 三岸イシは、厚田村から札幌に出て11年後に好太郎を生んだ。
好太郎は今の札幌南高校ころから公募展で入選をし、卒業後東京に出るや
天才の評判をよぶ洋画家となった。
19歳(大正11年)の時に女子美で知り合った吉田節子と21歳で結婚する。
(節子とは1999年、94歳で亡くなった三岸節子画伯)。
 好太郎は31歳で胃潰瘍が悪化し、心不全で急死してしまう。

現在、三岸好太郎美術館は北海道知事公館の敷地内にある。
三岸好太郎は一度も厚田村を訪ねたことはなかったが、出生地は「石狩ルーラン16番地」
と書いている。それだけ、母親から厚田村の話を聞いていたのだろう。
子母沢寛は新聞記者となるが11歳年下の好太郎を何かと世話をしたという。  

 (写真は三岸好太郎の画・札幌大通公園 昭和7年)


                                               
 雄冬岬(国道231号) 3   

  雄冬岬の中心に日本海岸は、石狩、厚田、浜益、増毛、留萌、小平と
江戸時代から鰊の漁場として栄えただけに、道路開削の努力は江戸から続けられていた。


 1857年(安政4年)、浜益と増毛両場所の場所請人を兼ねていた
伊達林右衛門が自費で道路を開削した。
 だが、それは道と呼べるものではなかった。

 明治7年にここを通った開拓使の御雇い外国人技師ライマンは
「鹿の作りしものならん、人間の建築とは思われ難し」と報告書に述べている。
日本海岸から鰊が去ると、増毛、浜益とも衰退し、この山道も大正の後半には
まったく忘れられてしまった。
雄冬岬、特に浜益村千代別から雄冬の間は安政期以降まったくの手付かずだった。

      (写真は増毛から見た暑寒別岳)

 
  雄冬岬(国道231号) 2     

 国道231号は札幌(北区北34条西2丁目)を起点とし、
留萌を終点とした130.4kmの区間のことである。

 昭和28年に指定されたこの国道が全線開通したのは昭和56年11月10日。
それも開通から40日後、トンネル崩落事故が発生し、再開されたのは2年7ヶ月後の
昭和59年5月のことだった。


 難所の多いところで23箇所のトンネルが作られたが、
その最大の難工事が雄冬岬トンネル(878m)だった。
雄冬岬、特に浜益村千代別から雄冬の間は安政期以降まったくの手付かずで
断崖絶壁が続き、双方の入口とも陸上から行くことかできず断崖に足場を設けて
資材や生活物資を船で運んだとされる。


    

   雄冬岬(国道231号) 1   

 石狩館内浜益区と留萌館内増毛町の間にある「雄冬岬・おふゆみさき」(石狩市浜益区)は、
茂津多岬(島牧郡島牧村)、神威岬(積丹郡積丹町)と並んで蝦夷の日本海三険岬と呼ばれていた。                                                    

 また、その厳しさゆえに道路が未整備で訪問が困難であったことから
「北海道三大秘岬」(室蘭の地球岬・根室の落石岬)の一つともいわれる。


  標高1491mの暑寒別岳を中心に雄冬岳、浜益岳、郡別岳といった
標高1200m級の山々が連なり、すそ野は切り立った崖となり海に落ち込んでいる。 

  昭和28年、札幌―留萌間は国道231号に指定されたが、
自動車が通行可能なのは、札幌から厚田村を経て浜益村の一部までと増毛―留萌間だけ。
国道231号はながく「幻の国道」といわれていた。


   

 厚田村(あつたむら) 9    

 厚田村は日本海に沿って国道231号線がとおっている。
車で走れば20分ほどで過ぎてしまう。

この村に司馬遼太郎が「街道を行く」で訪れている。
 その一節

「石狩町から道が山路になって、途中、山の勢いに海へ追い落とされる
ようにして、いったん海岸へ出る。
そこが山口県団体40戸が入植した望来である。

(中略)望来を過ぎたあたりから山が急傾斜で海へ落ちこむ寸前が道路
になっている。私どもは棚の上を走るような気配のまま厚田村の主邑に入った」

 
 この231号を車で走ったことがある人は、この表現が分かると思う。

 

 (写真は厚田漁港)


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
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