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1891年(明治24年)                
4月29日 日本で初めて飛行機の雛形飛ぶ                
5月6日 第一次松方正義内閣成立(山県内閣総辞職)明治24年5月6日~明治25年8月8日
7月11日 東京音楽学校卒業式で「君が代」が歌われ、先例となる
9月1日 日本鉄道、上野・青森間東北本線開通(東京・青森間全通)            
10月28日 濃尾大地震(岐阜県、愛知県に大地震、倒壊焼失家屋約26万8千戸、死者約9万6千人)        
11月5日 陸軍省、靖国神社に維新前後の国事殉難者1277人を合祀
12月18日 田中正造、足尾銅山の鉱毒問題に関する質問書を衆議院に提出する
現由仁町に熊本団体119人入植。  
現赤平市に熊本や三重県から渡ってきた開拓者が入植。            
現南富良野町に砂金採取者が金山に入り、開基となる。            
網走~上川間の「北見道路」を囚徒を使役して完成。            
  あわせて各所に駅逓が置かれ内陸部の開拓は飛躍的に進みました。  
札幌に屯田銀行設立                  
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 <タコ部屋制度>
 
        
 北海道の基盤工事を受け持った資本の原始的蓄積期の囚人外役労働の廃止  
にともなって、拘禁・強制労働のタコ部屋が鉄道工事に発生し、以後産業資  
本段階の労働形態として、鉄道・道路・港湾・用水溝工事にたずさわる。  
 タコ部屋制度は、60年間にわたる長い期間、生成・確立・再編・沈衰・再  
建・消滅の過程を歩んだが、タコはその間、一貫して最低辺労働者として人  
権を無視され、過酷な労働を強いられた。      
この酷使・人権無視の労働を産み出すタコ部屋制度の特徴ともいうべきもの  
のは、次の三点からできている。        
   ①小資本の土建飯場の労資関係から生まれた拘禁労働。    
   ②それが土建業に特有な前近代的な下請け制度の上になりっている。  
   ③人集めが前借金を口実にした「周旋」という名の誘拐や暴力によっ  
     て行われたところにある。        
 監獄のような権力支配によらずに、何十何百人の働き盛りの男達を一室に  
  監禁し、14時間ないし16時間こき使うためには、あらわな暴力支配によ  
  る階級秩序が重んじられた。        
  この秩序をおかす者には、死の制裁が加えられた。    


 <網走刑務所>
 
     
明治23年釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所として開設。    
 網走刑務所(あばしりけいむしょ)は、札幌矯正管区に属する刑務所。  
設立当初は、刑務所というより凶悪犯と政治犯が同居する強制収容所といっ  
た趣が強く、収容者は情け容赦ない労働を強いられた。    
特に、160km以上に及ぶ中央道路(現在の国道333号~道道103号~国道39~道  
道104号~道道104号の一部)を8ヶ月で突貫工事で完成させた際には、分かっ  
ているだけで200名前後の収容者が死亡。      
1000名以上の囚人が道路建設に関わりながら、その後行方不明になっている  
道路沿いの畑から、手鎖、足鎖を付けた状態で白骨化された遺体が出土した  
り、荼毘に付されることもなく道ばたに埋められ土饅頭として残る墓など、  
 厳しい労働条件を示す痕跡が現在も残る。      
かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だと言われ、明治の脱獄王「西川寅  
吉」(模範囚として過ごし釈放)や昭和の脱獄王「白鳥由栄」(脱獄に成功  
 吉村昭の『破獄』で取り上げられた天才脱獄囚)らが収監された。  
また、施設の劣悪さと凶悪犯が多いというイメージから映画『網走番外地』  
シリーズの舞台ともなっている。なお、映画「網走番外地」シリーズでは、  
所在地は網走市番外地となっているが、刑務所の所在地は、正しくは網走市  
三眺地区であり、住居表示では、網走市字三眺官有無番地となっている。  


1890年(明治23年)                
3月6日 岩崎弥之助、政府より丸の内一帯の払い下げを受ける            
7月1日 第一回衆議院議員総選挙            
10月9日 岩崎弥太郎、土佐開成商社を成立(三菱の前身)    
10月30日 教育勅語、発布される (「忠」と「孝」が基本思想)            
現夕張市、登川村を設置、村界告示され岩見沢村戸長役場の管轄となる。
現栗沢町に、和歌山県の山田勢太郎氏が入植し岡山農場を開く。  
滝川村の一部を分離、奈井江町の母村である奈江村が誕生する。  
米国人宣教師 サラ・クララ・スミス女史が、生まれ故郷のアメリカからライラックを        
  持ち込んだ。                    
釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所として開設  
北炭室蘭・夕張線工事でタコ部屋始まる      
   第1号となる「恵比寿ビール」を発売              


 雨竜農場<華族組合>
 
        
明治22年、皇室御料地として全道に200万haを設定、華族組合農場へは未開
地5万haが払い下げられます。公爵三条実美、旧徳島藩主の蜂須賀氏らが設立
した華族組合雨竜農場は、このときに払下げを受けて創立されたものですが、
その後、蜂須賀農業となり、耕作面積は4000haを誇るまでになりました。蜂須
賀氏は小作経営に変更する一方、私費を投じて、かんがい用水工事を行い、雨
竜開拓の基礎を築きました
三条公爵、蜂須賀(はちすか)侯爵、菊亭(きくてい)侯爵たち6人の華族が  
雨竜原野の土地を政府から借り受け資金を出し合って華族組合雨竜農場を開  
くこととし、1890年(明治23年)から開拓を開始したがなかなか進まず、め  
いめいで農場をつくることとした。        
 菊亭侯爵は、100戸の農家を入れ、約1,600ヘクタール開拓しようと1893年  
(明治26年)深川で土地を借り、北海道の新十津川、本州の十津川まで農家  
を集めに行ったもののなかなか計画通りには集まらなかったが、同年、新十  
津川から大和団体が、1897年(明治30年)、石川県から加賀団体が入植し、  
ようやく望みが果たされた。        
この深川の菊亭農場に開拓に入った人たちのことをメム100戸団体と呼んでい  
る。            


 <新十津川村>    
 明治22年(1889年)8月。奈良県吉野郡十津川を集中豪雨が襲いました。  
この地にあった集落は豪雨により大崩壊をもたらし、死者が168人に上りまし  
た。生活の場所を失った生存者を含む600戸2489人は、新天地北海道へ移住す  
ることになりました。          
永山武四郎北海道長官の助けもあり、被災2ヶ月後に神戸港から小樽港へ3部  
隊に分かれて船で移動、小樽からは幌内鉄道で市来知(三笠)、滝川屯田兵ま  
で移動し、11月以降そこでひと冬を過ごしました。屯田兵兵舎1戸あたり4家  
族が同居したといわれています。        


1889年(明治22年)                
1月23日 三池鉱山を三井に払い下げる
1月25日 石川島造船所、会社組織に改組発足  
2月11日 大日本帝国憲法発布(立憲君主国の仲間入り)      
2月11日 文部大臣森有礼刺殺される            
2月11日 「万歳三唱」が決まる              
8月 奈良県吉野郡十津川を集中豪雨が襲う。この地にあった集落は豪雨により大崩壊を        
  もたらし、死者が168人に上る。                
11月18日 北海道炭鉱汽船会社・鉄道会社創立      
12月24日 第一次山県有朋内閣成立(明治22年12月24日~明治24年5月6日)  
札幌で最後の屯田兵入植(篠路兵村:現在の北区屯田)            
  ・熊本ほか6県から士族220戸の屯田兵が発寒川付近に入植            
雨竜町は明治22年に開拓の斧がおろされた。端緒は明治時代の華族組合にあり、その中心        
  の蜂須賀家が運営したのが蜂須賀農場。              


  栗山町(角田村)開拓
<宮城県角田藩士泉麟太郎>

 
 
  栗山町(くりやまちょう)は、北海道空知支庁管内南部にある町。
 
 旧町名角田(かくた)は、開拓者の出身地「仙台藩角田」よりとられた。

 明治21年5月16日宮城県角田藩士泉麟太郎氏が「夕張開墾起業組合」を設立  
 7戸24人が阿野呂川左岸(角田)に入植。
     
 明治23年には「角田村」設置が告示され、1900年(明治33年)角田村戸長  
 役場が設置。開田事業、二股炭礦開坑、奥地開発、栗山市街地区の商工振  
 興などで明治33年の角田村の戸口が1,200戸、5,000人を突破。
   
 昭和に入り、角田炭礦の発展とともに人口は20,000人を突破し、昭和24年  
 に町制が施行され「栗山町」と改称、1963年(昭和38年)には役場庁舎を  
 角田から栗山へ移行。           


1888年(明治21年)                
2月25日 大阪・名古屋・広島・熊本の各師団に騎兵大隊を設置            
4月13日 東京上野黒門町に日本初の珈琲喫茶店「可否茶館」開店
4月30日 黒田清隆内閣成立 (明治21年4月30日~明治22年10月25日)            
5月29日 ジャパン・ブルワリーが明治屋と販売契約を締結、「麒麟ビール」を大瓶1本18銭で発売        
6月10日 乃木希典、ドイツ留学より帰朝(以来性格一変して謹厳そのものとなる)          
10月1日 わが国初の火災保険会社、東京火災保険会社、営業開始            
12月3日 全国を3府43県と改める                  
北海道庁赤れんが庁舎ができる。           
北海道庁の技師、坂市太郎がシホロカベツ川上流にて大炭層の露頭「夕張の石炭大露頭」        
  を発見。                  
エゾシカが絶滅の危機に瀕したため、全道一円で捕獲が禁止            


北海道開拓(明治21年~明治25年)  
                 
会社組織,農民団体 
 明治20年代以降は、会社組織による起業的な移住や会社に類似した結社・団体移住
自作農をめざす農民団体の移住、最初から小作人を募集する小作農場の移住、そしてこ
れらの団体・組織員の補充をし、あるいは空白の土地をうめる個別の農民移住が主流に
なった。これら移住の要因はほとんどの場合,貧困,生計困難である。また,震災や
火災、洪水などの災害のために郷土を離れて北海道に移住してきた地域団体もある。
 十津川団体(明22,新十津川)奈良県十津川から
 三重県団体(明治26年,幌向) 三重県から
 石川県移民団体(明治28年,花畔) 石川県から
 江波団体(明治29年,音更) 富山県から
 加賀団体(明治30年,倶知安) 加賀から
 興復社(明治30年,十勝国豊頃村) 二宮尊徳の孫尊親,福島から


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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