華族(かぞく)制度 その2
最初の叙爵
公爵
公家からは五摂家、武家からは徳川家宗家。
公家からは三条家(三条実美の功)、岩倉家(岩倉具視の功)
武家からは島津家宗家(薩摩藩主島津忠義の功)、
玉里島津家(島津久光の功)、
毛利家(毛利敬親の功)が公爵に叙せられた。
侯爵
公家からは清華家、武家からは徳川御三家と現米15万石以上の大名家。
琉球国王であった尚氏。
「国家に勲功ある者」として、木戸家(木戸孝允の功)、
大久保家(大久保利通の功)
中山家は中山忠能が明治天皇の外祖父であったことが考慮。
伯爵
公家からは堂上家、
武家からは徳川御三卿と現米5万石以上の大名家。
東久世家は東久世通禧の功。
武家のうち対馬藩主宗氏は朝鮮外交の担当者であることが考慮。
平戸藩主松浦家は中山忠能夫人が明治天皇の外戚に当たることが考慮。
西本願寺・東本願寺の世襲門跡家であった両大谷家も伯爵となった。
「国家に勲功ある者」として、伊藤博文・黒田清隆・井上馨・西郷従道
山県有朋・大山巌等といった維新の元勲達が伯爵に叙された。
華族(かぞく)制度 その1
華族とは、1869年~1947年まで存在した日本近代の貴族階級。
明治2年6月17日、版籍奉還と同日に出された行政官布達、
従来の身分制度の公卿・大名の称を廃し、華族となることが
定められた。
この華族の中からも、北海道に開拓を目指して入植した人た
ちがおります。
公家137家・諸侯270家・明治維新後に公家とされた5家、
維新後に諸侯とされた家16家の合計427家は新しい身分層
である「華族」に組み入れられた。
この後も新たな華族が加えられ、7月中に三度行われ、
509人の有爵者が生まれた。
しかし、この内規は公表されなかったために様々な憶測をうみ、
叙爵に不満を持つ者も現れた。
北海道人のルーツ
明治2年<北海道分領支配制度>
北海道の分領支配11カ国86郡を一国ごとに紹介します。
根室国
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国 名 |
郡 名 |
管轄者 |
支配期間 |
備 考 |
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花咲郡 |
増上寺 |
2.12.10-3.10.10 |
徳川家の菩提寺 |
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(志古丹) |
稲田邦植 |
3.10.15-4.8 |
徳島藩士・稲田九郎兵衛邦稙 |
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花咲郡 |
東京府 |
3.6.17-3.10.9 |
1868年5月12日 江戸府として設置 |
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根室国 |
根室郡 |
同年7月17日に 東京府に改称された |
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(ねむろ) |
野付郡 |
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5郡 |
標津郡 |
熊本藩 |
2.8.28-4.3.14 |
旧肥後藩 |
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仙台藩 |
4.5.12-4.8 |
旧仙台藩 |
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目梨郡 |
熊本藩 |
2.8.28-4.3.14 |
旧肥後藩 |
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仙台藩 |
4.5.12-4.8 |
旧仙台藩 |
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北海道空襲 2
実際の空襲地(現在の市町村名で表記)
・道南
函館市(青函連絡船・南茅部・戸井・椴法華)、北斗市(上磯)、長万部町
八雲町、森町(本町・砂原)、鹿部町、木古内町、知内町、福島町、松前町
・後志
小樽市、岩内町、積丹町、古平町、余市町、神恵内村、共和町、寿都町
・日高胆振
室蘭市、伊達市、登別市、苫小牧市、白老町、厚真町、安平町(追分)
むかわ町(鵡川)、日高町(門別)、新冠町、新ひだか町(静内)、浦河町
様似町、えりも町
・石狩空知
札幌市(手稲・白石・丘珠空港・東苗穂国鉄基地)、
石狩市(石狩本町・生振・花畔~花川・厚田・浜益)、
江別市(江別本町・大麻)、
千歳市、岩見沢市、由仁町
・上川留萌
旭川市、富良野市、留萌市、増毛町、美瑛町、比布町、鷹栖町
・オホーツク
網走市、清里町、小清水町、斜里町
・十勝
帯広市、音更町、大樹町、広尾町、本別町、更別村、士幌町
幕別町、池田町、浦幌町、豊頃町
・釧路根室
根室市、釧路市(釧路・音別・阿寒)、釧路町、白糠町、標茶町
厚岸町、中標津町、浜中町、別海町、標津町
道内で最大都市だった札幌は中心部への空襲は免れました。
また、千歳空港も大きな被害はありませんでした。これには米軍の戦後
処理で役立てるためという意図がありました。
このときに空襲を受けなかった地域は留萌管内北部、上川管内北部、
宗谷全域、オホーツク管内北西部、空知管内北部、檜山全域でした。
空襲を受けながらも死者がゼロだったところもあり、人的被害がなか
ったのは岩見沢、木古内、登別、白老、神恵内、共和、余市、千歳、
由仁、追分、鵡川、浜益、鷹栖、清里、斜里への空襲でした。
北海道空襲 1
北海道空襲は1945年7月14日・15日にかけて行われました。
攻撃を行ったのはアメリカ海軍第38任務部隊で、13隻の航空母艦を率いて北海道にやって
きました。部隊は道南・登別市幌別沖合に展開し、そこから延べで3000機以上の航空機を
発進させ、道内の主要都市を中心に爆撃を行いました
特に被害の大きかった都市は次の3市
室蘭艦砲射撃
室蘭市街地 被災世帯1,941世帯、被災人員8,227人、死者436人、
重軽傷者49人 軍人含まず。
釧路空襲
釧路市街地 焼失倒壊家屋1,618戸、罹災者6,211人、死者183人、
負傷者273人。
7月14日~15日にかけて艦載機141機による8波による大規模な空襲。
鉄道工場、造船所、製紙工場、橋梁が主な攻撃目標で被害は全市街地に渡る。
釧路港内外の船舶も攻撃を受け死者行方不明者28名・負傷8名
根室空襲
根室市街地 焼失倒壊家屋2,457戸、死者369人。
戦略上全く意味のない農村部も攻撃され、一般市民を中心に死者2,000人を
超える被害を出した。米軍は、基地のあった北千島への供給を断とうと、
根室付近の輸送船を次々攻撃。
函館も本州との青函連絡船を中心に攻撃にあいました。この航路の損失は、
関東の工場へ運ばれていた燃料である石炭供給ストップを意味し、敗戦が
決定的になったと言われています。
室蘭の日鋼室蘭は、最新鋭高射砲を生産できる国内唯一の工場であるため
重要攻撃対象になっていました。それで、空襲に加え、沖合の船舶の撃沈、
翌日に第34.8.2任務隊の合計13隻により室蘭艦砲射撃を加えました。
1000発以上の砲弾が工場・住宅に着弾したと言います
また、この空襲を通じて、千島列島から北海道、北海道から本州を結ぶ航路
の船舶も攻撃対象となり、多くの船が撃沈または大破の被害を受け、ほとん
どの航路が機能を失った。大動脈である青函航路も、全連絡船12隻が被害を
受け(8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、352人死亡)、壊滅状態となる。
北海道人のルーツ
明治2年<北海道分領支配制度>
北海道の分領支配11カ国86郡を一国ごとに紹介します。
本州の県人が、津軽海峡を渡って北海道に入ってきました。
釧路国
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国 名 |
郡 名 |
管轄者 |
支配期間 |
備 考 |
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足寄郡 |
兵部省 |
2.9.14-3.1.8 |
兵部省は会津降伏人処置のため |
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福山藩 |
3.5.3-4.6 |
旧福山藩 (備後国南部、備中を領有) |
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白糠郡 |
兵部省 |
2.9.14-3.1.8 |
兵部省は会津降伏人処置のため |
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福山藩 |
3.5.3-4.6 |
旧福山藩 (備後国南部、備中を領有) |
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釧路国 |
阿寒郡 |
兵部省 |
2.9.14-3.1.8 |
兵部省は会津降伏人処置のため |
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(くしろ) |
福山藩 |
3.5.3-4.6 |
旧福山藩 (備後国南部、備中を領有) |
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7郡 |
網尻郡 |
広島藩 |
2.8.28-3.10 |
旧広島藩 (安芸国と備後国の半分を領有) |
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釧路郡 |
佐賀藩 |
2.8.17-4.8 |
旧肥前藩 |
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川上郡 |
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厚岸郡 |
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