北海道人のルーツ
北海道の歴史(年表)
時代背景
1868年(明治2年)
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3月 |
政府軍、蝦夷地に上陸。 |
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5月11日 |
政府軍は箱館を総攻撃し、18日にはついに旧幕府軍が降伏(五稜郭落城) |
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(開陽丸を失ったことが敗戦を早めたともいわれている) |
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6月17日 |
諸藩の版籍奉還の勅許あり、公卿・大名らの称を廃し華族と改める。 |
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7月2日 |
開拓使設置。 |
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7月22日 |
蝦夷地開拓のため、諸藩・士族・庶民の志願で地所割渡すべき旨を布告。 |
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8月15日 |
蝦夷地を北海道と改めた。 |
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※ |
北海道11国86郡が置かれる。 |
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9月1日 |
明治天皇の詔により、北海道開拓の守護神として北海道鎮座祭が東京で。 |
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(その後、当時の開拓使長官や開拓判官の島義勇らによって札幌) |
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12月 |
伊達邦直は家臣に命じ北海道現地調査に行かせる。 |
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滝の上発電所は北海道夕張市滝ノ上にある北海道企業局が
運営・管理する水力発電所である。
水系・河川名 - 石狩川水系・夕張川
使用開始年月 - 1925年1月
発電所型式 - 水路式
認可出力 - 最大2340kW 常時0kW
使用水量 - 最大17.806m³/s 常時0.320m³/s
有効落差 - 最大17.88m 常時20.40m
年間発電電力量 - 2446000kWh
歴史
滝の上発電所は1925年(大正14年)1月に
北海道炭礦汽船株式会社自家発電設備として建設され、北炭滝之上水力発電所
と呼ばれた。
白色で縁取られ「北斗星」の描かれたラウンドトップの窓が印象的なレンガ積みの
風格のある建築である。
後に、電力需要の増大に伴い建設された清水沢火力発電所とともに北海道の石炭
産業を動力面からを支えてきたが、北海道炭礦汽船の夕張での採炭事業の撤退後
は、何度か所有者の移転を経て、1994年(平成6年)4月に北海道が北炭真谷地炭
鉱株式会社から譲渡を受け北海道企業局が運営・管理することとなる。
当発電所は
2001年に北海道遺産空知の炭鉱関連施設と生活文化」の一部に選定されている。
空知は国内最大の産炭地として最盛期に100炭鉱、83万人の人口を擁し、日本
の近代化を支えたが、エネルギー政策の転換による合理化、閉山が相次ぎ空知の炭鉱
は姿を消した。
地域に残る炭鉱関連施設は生産から生活まで多岐にわたり、まさに屋根のない博物館。
また、三笠市を発祥とする北海盆踊りなど、ヤマは今に続く多くの生活文化を空知に残し
ている。
当発電所は
財団法人北海道公営企業振興協会が北海道企業局の委託を受けて運営・管理
している。
発電は通年ではなく、雪解け時期(3月~5月)に限って行われている。
使用開始から80年以上経ち、老朽化が著しいため大規模な改修が必要である。
しかし、大改修をして存続させるにしても多額の費用がかかり、また、発電所を廃止
するにしても河川法により堰や水路工作物などの原形復旧が求められるためこれも
また多額の費用がかかる。
発電所を所有する北海道としてはどちらを取るにしても多額の費用がかかるため頭
を抱えている。
一般公開
通常は立ち入りが禁止されているが、年に一度、滝の上公園で開催される10月中旬
の紅葉まつりの際に、通常立ち入りができない施設の一般公開が行われている。
通常は敷地外から外観のみ見学可能。
敷地内の見学は北海道企業局の許可が必要。
交通
鉄道:JR石勝線滝ノ上駅下車、徒歩約10分。
北海道人のルーツ
1868年(慶応4年・明治元年)その3
時代背景
<戊辰戦争(ぼしんせんそう)>
慶応4年/明治元年~ 明治2年は、王政復古で成立した明治新政府が
江戸幕府勢力を一掃した日本の内戦。
1868年(慶応4)戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に
16か月余にわたって戦われた内戦。
正月の鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月江戸城を接収、上野
にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟
を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に10月には帰順させた。
翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主
義国家確立への途が開かれた。
明治元年の干支が戊辰だったことからこの名で呼ばれる。
この戦争に勝利したことで明治維新が成功し、明治新政府が名実ともに
誕生。薩長、薩長協力藩(土佐藩、佐賀藩等)出身者が明治政府の主体
となり、日本は近代的な中央集権国家への道を歩んでいくことになる。
写真は五稜郭跡 (函館市)
北海道人のルーツ
1868年(慶応4年・明治元年)その2
<開陽丸>
開陽丸(かいようまる)は、幕末期に江戸幕府が所有していたオランダ
製軍艦である。名称は榎本武揚が提案した「夜明け前」を想起する開陽
に決定された。
オランダで造艦され、1867年(慶応3年)3月25日に横浜へ帰港した。
最新鋭の主力艦として外国勢力に対する抑止力となることが期待された
が、徳川軍艦としてわずか1年数ヶ月、1868年(明治元年)11月15日、
蝦夷・江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した。
開陽丸を見ることができます。
江差町では、昭和50年から引き揚げ作業を行い発掘された遺物は32,905点。
平成2年4月に実物大で再現。
北海道人のルーツ
北海道の歴史(年表)
1868年(慶応4年・明治元年)
時代背景
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1月11日 |
徳川慶喜、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、開陽丸で大阪を脱出、品川帰還。 |
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4月11日 |
江戸城無血開城。 |
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7月17日 |
江戸を東京と改称。 |
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8月19日 |
榎本武揚らの幕府の残党、軍艦八隻を率いて密かに品川湾を脱出、函館へ向う。 |
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8月23日 |
白虎隊全滅 |
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9月8日 |
明治と改元、一世一元の制定める。 |
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9月22日 |
会津若松城落城、官軍に降伏。 |
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10月20日 |
榎本武揚らは軍艦「開陽丸」以下7隻の艦隊を率い、鷲の木の浜(現森町)に入る。 |
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旧幕府軍は総勢約3,000名、フランス軍人が10名、6日後には五稜郭を無血占拠。 |
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11月11日 |
榎本武揚、開陽丸で函館に入港、五稜郭に入る |
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11月15日 |
開陽丸は江差占拠の陸兵援護のため、江差沖に到着、砲撃。 |
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同日夜半、暴風雪のため座礁、約10日後に沈没。 |
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幌内で良質な石炭が発見される |