国道239号は、北海道網走市を起点とし、北海道留萌市を終点とする一般国道である。
北海道道126号小平幌加内線の工事中止もあり、天塩山地を横断する唯一の道路となっている。
概要
陸上距離:346.2km
起点:網走市大曲1丁目16番37
(大曲1交点=国道39号交点、国道238号起点)
終点:留萌市元川町1丁目21番1
(元川町2丁目交点=国道231号・国道232号・国道233号交差点)
名寄市中央通(名寄市東5条南1丁目~西4条南1丁目)のみ片側2車線、その他片側1車線。
歴史
1953年5月18日 二級国道239号網走留萠線(北海道網走市~北海道留萌市)として指定。地名は「萌」の字を使っているが、路線名はかつての留萠本線と同様「萠」であった。
1965年4月1日一般国道239号となる。
国道238号は、網走市から稚内市に至る一般国道である。
宗谷岬付近を通る日本最北の国道である。
起点から終点までほぼ全線に渡りオホーツク海沿いを走るため景色がよい。
全通している北海道の国道の中では最長で、未開通区間がある国道274号を含めても2番目に長い。
かつては当道路沿いを湧網線・名寄本線・興浜南線・興浜北線・天北線が走っていたが、現在は全て廃線となり全線に渡り並行鉄道路線はない。
なお、バスターミナルや記念公園、モニュメントなどといった形でその名残を沿道で見ることができる。
陸上距離:319.7km
起点:網走市大曲1丁目16番37
(大曲1丁目交点=国道39号交差点)
終点:稚内市潮見5丁目46番1
(潮見5丁目交点=国道40号交差点)
歴史
1953年5月18日:二級国道238号網走稚内線(網走市 -稚内市)として指定。
1965年4月1日:一般国道238号となる。
国道237号は、旭川市を起点とし、浦河郡浦河町を終点とする一般国道である。
旭川~富良野間は「花人街道」「北海道ガーデン街道」と呼ばれ、北海道を代表する観光道路になっている。
また、旭川市~富良野市~占冠村の区間は、シーニックバイウェイ北海道の大雪・富良野ルートにも指定されている。
陸上距離:260.0 km
起点:旭川市4条通1丁目2241番5
(4条通1丁目・4条通2丁目交点=国道12号交差点)
終点:浦河郡浦河町大通2丁目32番
(大通2丁目交点=国道235号・国道236号終点)
歴史
1953年5月18日:二級国道237号旭川浦河線(旭川市~浦河郡浦河町)として指定。
1965年4月1日:一般国道237号となる。
泊原子力発電所 8
泊原子力発電所の歴史 4
平成12年7月、北海道議会第2回定例会において当時の堀達也知事が泊発電所3号機についての考え方を表明し、8月には、地元の意向の照会を求めました。
地元町村はそれぞれの議会において議論をし、本村では、8月28日に開催された原子力発電所対策特別委員会において『条件付き容認』が賛成多数で決議されたのを受け、村長は8月31日、知事に対し正式に3号機増設計画に対する意向を伝えました。
それを受け、堀達也知事は同年9月、経済企画庁に対し電源開発基本計画への 組み入れについて異存ない旨の回答を提出し、そして同年10月の144回電源開発調査審議会において国の電源開発基本計画に新たに組み入れられました。
平成15年7月に経済産業大臣(当時中川昭一)より3号機増設の原子炉設置変更許可をえて、同年11年から建設工事が始まり、平成21年1月に熱料初装荷、試運転を開始し、3月には初臨界に達し、平成21年12月から営業運転を開始。
国道230号は、札幌市を起点とし、久遠郡せたな町を終点とする一般国道である。
喜茂別町一部では国道276号、洞爺湖町から長万部町までは国道37号、長万部町一部では国道5号とそれぞれ重複する。
札幌~函館間の最短ルートであり、国道5号 (函館~長万部間)にある札幌までの距離表示は当道路を経由した距離を表示している。
虻田町(現・洞爺湖町)内2カ所で、2000年の有珠山噴火によって国道が分断された。
国道上に噴火口があり、徒歩でも国道部分を通過するのは不可能となった。地形図では、国道上に火山活動によって形成された池も記載されている。また、国道脇を通っていた町道泉公園線の跡地が遊歩道として整備されている。復旧工事は別ルートによって行われ、2007年に開通した。
陸上距離:208.2km
起点:札幌市中央区北1条西4丁目1番4
(=国道12号・国道36号交差点)
終点:久遠郡せたな町北檜山区北檜山209番1
(=国道229号交差点)
歴史
1870年東本願寺代表現如らによる北海道開拓活動として伊達~札幌を直結する通称「本願寺道路」の開削工事を開始。一年余で完成させる。当時のルートは厳密には伊達市から洞爺湖沿岸を経た後に現在の230号線ルートに入り、旧平岸村へ至る街道だった。
1920年4月1日 道路法及北海道道路令により準地方費道1号線札幌倶知安線に認定。
(札幌区~虻田郡喜茂別村、その先は現国道276号経由で倶知安に至る)
1953年5月18日 二級国道230号札幌虻田線
(札幌市~虻田郡虻田町〈現洞爺湖町〉)として指定。
1965年4月1日一般国道230号となる。
1969年10月 定山渓・中山峠間改良工事 (無意根大橋、定山渓トンネル新設)終了に伴い、
待望の通 年通行化。
1982年4月1日 山越郡長万部町~瀬棚郡檜山町間を編入(虻田郡虻田町~山越郡長万部町間
は37号・5号と重複して連絡)して、札幌市~瀬棚郡北檜山町(現せたな町)となる。
なお、政令では1992年まで「北桧山町」と表記されていた。
2000年3月31日 有珠山の噴火により道路が寸断され、不通区間が発生。
2007年3月28日13時07分 有珠山の噴火による不通区間に代わり、新たに建設されたルートが
開通。
2007年12月21日 虻田洞爺湖ICが現在の位置に移設され、道央自動車道との乗り入れが可能
になった。
泊原子力発電所 7
泊原子力発電所の歴史 3
泊発電所3号機増設計画については、平成8年10月に具体的な検討を進める上で必要な「環境影響評価」の実施についての申し入れがあり、その後、1年8ヶ月に及び環境調査が行なわれた。
平成10年7月、北海道電力(株)より3号機増設計画についての申し入れが道をはじめ地元町村になされた。
平成10年9月、総合エネルギー対策推進閣僚会議において、泊地点が『要対策重要電源地点』に指定された。
平成10年11月に は道条例に基づく公聴会の開催
平成11年6月には第1次公開ヒアリングが開催されまた
平成11年7月の日本原電(株) 敦賀2号機一次冷却材漏洩事故の発生や、その2ヶ月後に発生した東海村JCO臨界事故により、原子力の安全性に対する 世論が一段と激しさを増し、一部には住民投票との声もあった。
こうした中、地元関係漁協や経済団体などが『条件付き賛成』をいち早く表明。
泊原子力発電所 6
泊原子力発電所の歴史 2
昭和57年3月、北海道知事(当時堂垣内尚弘)が「共和・泊発電所建設計画」について、同意の意見書を経済企画庁へ提出し、第87回電源開発調査審議会において、「共和・泊1・2号機建設計画」が国の電源開発基本計画に組入れられ、同年7月の第88回電源開発調査審議会において「泊発電所」への名称変更の承認がなされ、同年12月に北海道及び関係4町村と北海道電力(株)は、建設工事における環境の保全等を図るため、建設協定に調印した。
昭和59年6月、内閣総理大臣(当時中曽根康弘)による原子炉設置許可、通商産業大
臣(当時小此木彦三郎)による電気工作物変更許可を、同年8月には通商産業大臣による工事計画認可を受け、北海道電力(株)は同年9月に泊発電所の起工式を行い、建設工事に着手。
その後、1号機岩盤検査をはじめ、原子炉容器、発電機など次々に主要機器の据付けが行われた。
1号機は、昭和63年10月に燃料初装荷、11月には初臨界に達し、平成元年6月から営業運転が開始。2号機については、平成2年6月に燃料初装荷、7月に初臨界に達し、平成3年4月から営業運転が開始。
計画から運転開始まで、21年余りの歳月をかけて泊発電所は原子の火を灯した。
国道229号は、小樽市を起点とし、江差町を終点とする一般国道である。
(小樽市から余市町までは、国道5号との重複区間)。
ルートはほとんどが日本海側を通っており、通行に危険な箇所は現在もルート変更を始めとする線形改良が続けられている。
陸上距離:307.0km
起点:小樽市稲穂2丁目88番
(=国道5号・北海道道697号天神南小樽停車場線交差点)
終点:檜山郡江差町字柳崎町142番
(=国道227号交差点)
歴史
1953年5月18日 二級国道229号小樽江差線(北海道小樽市~北海道檜山郡江差町)として指定。
1962年10月17日 乙部町豊浜(現在の豊浜トンネルの海側に位置する旧道箇所)において山津波が発生。国道を走行中の路線バス(函館バス)が海中に押し出されるなど17名が死亡・行方不明(バスは現在も大量の岩塊に埋もれたままである)。
1965年4月1日 一般国道229号となり、全線建設省(現国土交通省)直轄となる。
政令では、1953年の改正では「江差郡江差町」、1965年の改正では「桧山郡江差町」と表記されていた。1993年の改正で現在の表記となった。
1982年4月1日 経路変更により神恵内村-古平町が北海道道998号古平神恵内線となる。この時点では積丹半島に未通区間を残していた。
1996年2月10日余市町と古平町の境にある豊浜トンネルが崩落。
同年12月10日仮復旧。
2000年12月8日セタカムイトンネルと接続した新トンネルの供用開始(豊浜トンネルとセタカムイトンネルを中継するトンネルを建設し、セタカムイトンネルを豊浜トンネルに編入)
1996年11月積丹半島西部の未開通区間が開通し、全線開通。
1997年8月25日島牧村の第2白糸トンネルが崩落。
1999年4月8日現場を迂回する白糸トンネル供用開始。
2004年9月8日台風18号で神恵内村の大森大橋の橋げたが落下。
同年12月10日 仮復旧(残った橋脚に鋼鉄製の橋桁を乗せて復旧)
2007年3月21日現場を迂回し、既存のウエンチクナイトンネルに接続した大森トンネルの供用開始。なお、元々存在した大森トンネルとは別のトンネルである。
泊原子力発電所の歴史 1
北海道で最初の原子力発電所の計画は、昭和42年10月に北海道(当時町村金吾知事)が泊村、島牧村、浜益村の3村を原子力発電所建設予定調査地点候補地として選定発表したことから始まりました。
その後、岩宇地区4ヵ町村長、議長、商工会議所で構成した「泊村原子力発電所誘致期成会」や本村では「泊原子力発電所誘致促進会」が結成。
誘致活動が行われ、昭和44年9月には、北海道、札幌通商産業局、北海道電力(株)の三者協議によって、北海道初の原子力発電所の建設予定地が共和・泊地区に決定された。
しかし、「共和・泊原発」となるはずだったが「今日は止まり」で語呂が悪いと言われた。
昭和53年9月、北海道電力(株)は、発電所のサイト位置を内陸部から泊海岸(泊村大字堀株村)へ変更し、電気出力を57万9千キロワット・2基とすることを表明。
この間、地元では発電所建設について種々の議論がなされたが、最終的に、地元町村長の同意がなされ、結局1978年(昭和53年)9月に、より沿岸部に建設予定地を変更し、泊村だけの用地に変更され名称も「泊発電所」となった。
地図は共和町。上部の町が泊村。