豊頃町 1
豊頃町は、北海道十勝地方の東南端に位置する、農業と漁業を基幹産業とする
人口約3,800人の町です。
豊頃に、本格的な開拓の鍬が入れられたのは明治中期で、明治30年(1897年)
には本町の開拓に大きな役割を果たした二宮尊親(二宮尊徳の孫)が福島県
から興復社一行を率いて二宮地区に入植しています。
長節湖
長節湖は、豊頃町大津市街から南西約4kmにある周囲約5kmの
鹹水(かんすい)湖で、太平洋と幅の狭い砂丘で隔てられています。
湖の砂丘一帯の植物群は、北海道の天然記念物に指定されており、
春から初秋にかけてハマナス、エゾカンゾウ、ムシャリンドウ、センダイ
ハギなどの美しい花が次から次へと咲き競います。
また、湖畔にはキャンプ場(バンガロー、炊事場、トイレ、駐車場、売店等)が整備されており、
毎年7月下旬から8月中旬は、大勢の観光客でにぎわいます。
湧洞湖
茂岩市街から、南に約20km離れた太平洋岸に位置する周囲約12kmの湖で、長節湖と同様に周辺には美しい原生花園が広がっており、町の文化財(記念物)に指定されています。
ウインドサーフィンなどのマリンスポーツを楽しむ若者も増えて いますが、周辺にはまだまだ手つかずの自然環境が残っており、 静寂なひとときと北海道らしい雄大な自然が味わえます
2,019人(人口、2005年9月末)
丸瀬布町(まるせっぷちょう)は、網走支庁管内の中部に位置していた町。
2005年10月1日、丸瀬布町は生田原町・遠軽町・白滝村と合併した。
新設合併で新町名は遠軽町。
町名の由来は、アイヌ語の「マウレセプ」(3つの川の集まる広い所)から。
町面積のほとんどは森林。
町北部を東西に国道333号、石北本線が走る。
現在、これらに並行するように、旭川紋別自動車道(国道450号)が建設工事中である。
やさしい木の香りに包まれて、ウッドクラフトとピアノ演奏が楽しめる駅。
国道333号沿いにある三角屋根の道の駅「まるせっぷ」は、オリジナリティあふれるウッドクラフトと、グランドピアノの自動演奏が響く駅。グランドピアノや販売されているウッドクラフトには地元の木材が使用されています。
昭和50年、現在のチューリップ公園
(かつて屯田兵の集会場と訓練場なっていた)の場所に「老人農園」として、当初2アールの小規模な面積に植付けを行い、その後、30アールまで拡大されるまでになりました。
ただ単に自分たちが楽しむため、チューリップを残したいために農園で栽培されてきたチューリップでしたが、国道沿いに広がるチューリップ畑は、車で通過する町外の人たちから注目され、毎年春には、自然に人々が集まるようになっていました。
昭和62年には町の観光開発事業として展望台を兼ねた「オランダ風車型管理棟」を建設し100台収容の駐車場と約3ヘクタールの畑を整備、「1987チューリップフェア」が初開催。昭和63年4月1日に正式に町立の「チューリップ公園」として指定しました。
その後、レストラン「チューリップ館」や物販店舗、球根乾燥貯蔵施設、公園内道路の整備など、年々公園の拡張と整備に努めております。
現在、公園の総面積は12.5ヘクタール、このうち約7ヘクタールの畑に120品種120万本のチューリップを植栽し、毎年新品種を導入しながら植付け配置を調整しており、特に平成10年度からはチューリップの本場オランダから珍しい球根を直輸入しております。
オホーツクに遅い春が訪れる5月上旬から6月上旬まで、公園ではチューリップフェアが開催され、掘り取り販売や球根の予約販売など多彩な催しも行われ、毎年、10万人以上の観光客で賑わいます。
上湧別町(かみゆうべつちょう)は、網走管内中部の紋別郡に存在した町。
2009年10月5日に湧別町と新設合併し、新たに湧別町として発足した。
屯田兵の入植した地であり、現在も兵村という地名が町内に残る。
屯田兵により拓かれた街である湧別町上湧別地区の背景として、国防と開墾を担う屯田兵には面積4.4ヘクタールの土地が無償提供されており農地として継承されていたのですが、この決して広くない面積から北海道で農業経営するのは厳しい状況でした。
この状況を踏まえ、昭和32年、当時の農業改良普及所長・西川照憲氏が研究を重ねた末、「少ない面積の農家の収入を増やすには高収益であるアスパラガスとチューリップが有望」と呼びかけ指導しました。
同年春に町内の54戸の農家がチューリップ耕作組合を結成、オランダからチューリップの球根22種類6万500球を輸入し、「チューリップで夢を見よう!」を合い言葉に外貨獲得の大きな期待を担って栽培が開始されました。
その後、組合員の熱心な栽培努力によって昭和35年にはバンクーバー・シアトル・ サンフランシスコに初輸出され、昭和35年には生産量(33万球)・輸出量共に全道一となり、昭和40年には22万球を輸出するようになりました。
しかし、ようやく軌道に乗りチューリップの栽培も順調に伸びていくものと思われた矢先、昭和41年にオランダの球根が世界市場で値下げされたため日本からの輸出が困難を極めるものとなりました。
チューリップ栽培の夢が志半ばで消えかかったのですが、それでも生産農家たちはチューリップへの深い愛着から畑の片隅や自宅の庭に植え続けました。そして、「かつて町の農業に活気をもたらしたチューリップを後生に残そう」と昭和51年「町の花」に指定されることになりました。
浜佐呂間からキムアネップ岬に向かうサロマ湖畔の道は、「みどりのトンネル」となっています。このみどりのトンネルは2キロにもおよびます。
トンネルを過ぎると、サロマ湖の東南部、湖に突き出たキムアネップ岬に到着。
原生植物の群落地があり、青紫のヒオウギアヤメ、淡紅色のハマナス、深黄のセンダイハギなど約50種の花が6月~8月にかけ咲き競います。
9月を過ぎると真っ赤なサンゴ草が岬一帯を赤く燃やす。
アッケシソウ(アカザ科)
●時 期 8月~10月
●花の色 紅
●特 徴 節から枝分かれしてサンゴのような形になり、秋には紅葉して赤くなることから珊瑚草とも呼ばれています。釧路の厚岸で発見されたのでアッケシソウの名がつきました。
サロマ湖 ワッカ原生花園
北海道最大の湖(日本第3位)サロマ湖と、
冬は流氷押し寄せるオホーツク海に面した北見市常呂町にあります。
常呂町はホタテ養殖発祥地として知られ、
水揚げ量は日本一と日本有数のホタテの産地です。
ワッカ原生花園がある栄浦地区は、遺跡の館や東京大学の実習施設などがあり、
オホーツク文化時代の土器などが数多く出土されます。
日本初の屋内専用カーリングホールもあり、ホタテと遺跡とカーリングの町として紹介されます。
ワッカ原生花園は、常呂町栄浦(サロマ湖畔栄浦、サロマ湖畔などと表現される場合があります)にあります。
ワッカとはアイヌの人達の言葉で「水」を指します。
ただし、「水」だけではなく飲める水や湧き水を指すのだそうです。
サロマ湖とオホーツク海を隔てる細長い砂州には「ワッカ花の聖水」と呼ばれる湧き水があります。
ワッカ原生花園は、北海道遺産に指定されるほど自然がすぐそばにあります。
幅は200~700m、全長約20kmに及ぶ砂州は日本最大の海岸草原です。
森・草原・砂丘・湿地が混在し多様な生態系を形成し、
帰化植物も含め300種以上の草花が咲き、野鳥が生息しています。
1991年にはワッカの自然環境を保護するため、一般車両の乗り入れを規制しています。
4,330人(人口、2010年6月30日)
興部町は、オホーツク総合振興局管内の北部に位置する町。
「おこっぺ牛乳」が有名。
町名の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)から。
当時は、興部川、藻興部川が合流しオホーツク海に注いでいたところから、このように呼んでいたとされています。
基幹産業は酪農、林業、漁業。
ホタテ、サケ、マス、毛蟹などが獲れる。
かつては名寄本線、興浜南線が通っていたが、現在は廃止されている。
興部町は、宝永年間に松前藩の漁場として支配され明治22年に初めて、沙留に和人が定住、同31年に石川、高知、富山など各県より入地者が来住して本格的に開発が進められました。
明治42年、雄武より字興部を、紋別より字沙留、ルロチの2ケ村を分割併合して、興部村外2ケ村長役場が設置されました。
大正4年、北海道2級町村制が施行され興部村となり、その後、大正10年、国鉄名寄線が全通し、農業、林業、漁業の飛躍的発展をみるに至りました。