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北海道の木 8hari-all-s.jpg
 
ハリギリ
 
ハリギリの名は、葉の大きいのを桐に見たて、枝に針があるのでこの名が あるとされているが、『大和本草』によれば「木理も葉もほほのきに似たり、刺ありてたらの木にも似たる故に名ずく」とある。高さ25m、胸高直径1mにもなる。
枝や幹に鋭いトゲをつけ、成木になると 樹皮は著しく縦裂する。葉は長さ10~30cmあり、10~25cmの長柄をもち掌状に5~9裂し、裂片にあらい鋸歯がある。
アイヌ語名はアイウシニでトゲの多い木の意味である。
 
hari.jpg

分布・生態
日本各地、中国、朝鮮、樺太、南千島に分布する。 耐陰性に富み、肥沃な土地を好む。
 

 
材質・用途
材は適度なかたさで光沢が美しく、加工が容易なので家具、建築、合板材などに利用される。
 

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北海道の木 7sinank6n.jpg
 
シナノキ
 
シナノキの名前については、「皮がシナシナする」 こと、またはその皮が白いのでシロからきたなどといわれている。
元来シナは "結ぶ""しばる""くくる"いうアイヌ語からきたものとされている。
花は夏の濃い緑の中に咲くので目立たないが、よい香りがして、そこに蜜蜂が群れていることが多い。 良質のハチミツがとれる 花軸のもとに、舌のような形の長い飾り葉(苞葉)をつける。
秋には褐色の丸い実(核果)がなって、飾り葉とともに舞落ちる。
葉は円形に近い心臓形をし、縁に鋸歯があり葉柄は無毛である。 樹皮は、大きくなると縦に裂ける。
 
4963e402.jpeg


分布・生態
日本各地、中国に分布する。落葉樹林の主要樹種のひとつで、高木層を形成する。
少し湿った肥沃なところを好む。 よく萌芽幹をだす。
アイヌ語では、ニベシニといい、内皮のとれる木という意味がある。
 
材質・用途
軟材で加工しやすく、合板、アイスクリーム用へらなどに用いる。
 



北海道の木 66352bad8.jpeg

ウダイカンバ
 
カバノキに属しますが、
シラカバに比べ樹皮の色がやや灰色がかっています。
また写真ではわかりにくいですが、水平の点線のような
縞模様と、枝が落ちた跡はくっきりと黒く残るのが特徴です。
横に剥がれた樹皮は、乾くと丸くなってしまいますが、
燃やすととても火力が強く、焚き火などの種火になります。
acdbf7e9.jpeg









ウダイカンバは、この樹皮に油脂分が多く雨のなかでも消えずによく燃えるので、
鵜飼の松明に用いられたことからこの名がついたともいわれている。
樹幹は直立し、樹皮は灰褐色で光沢があり、横に長い黒色の皮目がある。
葉は大形で広卵形をし、縁には細かい歯牙があり、基部は心臓形である。
カバノキ科のマカンバやウダイカンバなどの木材を称してサクラと言うんです。
 
分布・生態
北海道、本州、南千島に分布し、とくに北海道に多い。陽樹で、常に充分な陽光を要求する。
シラカンバがやせ地に育つのに対し、肥沃地を好む。
 
材質・用途
音調を狂わせないことから、楽器材(ピアノの鍵盤)として利用される
そのほか、器具材、建築材、機械材として広く使用されている。


北海道の木 527f3e353.jpeg
 
ミズナラ
 
北海道を代表する広葉樹の一つで、欧米では森の王様(キング・オブ・フォレスト)と呼ばれている。 果実のドングリの古名ツルバミが、朝鮮語のKuiーbamによると考えられるよう に、KaIaKがなまってナラになったとも考えられ、植物名のナラは朝鮮語に基づく可能性が高い。
樹皮は黒褐色で、深い不規則な裂け目があり、 枝は太くよく分岐する。
葉はきわめて短い柄があり、倒卵形又は倒卵状長楕円形で先はとがり、縁には大 形の鋭い鋸歯がある。2fb9d039.jpeg
 
分布・生態
日本各地、樺太、千島に分布する。 日本の温帯林を構成する代表樹種の一つで山地に普通に見られ純林を形成する。 生長はやや遅い。
 
材質・用途
材は重く、硬く、緻密で木理が美しく、家具、建築材など用途は広い。
和名は 「水ナラ」 で材に多量の水分が含まれていることによる。



北海道の木 4600c758c.jpeg

アカエゾマツ
 
北海道の代表的な樹木のひとつで、高さ40m、胸高直径1mにもなる円錐形の美しい高木で、エゾマツとともに 「北海道の木」に選定されている。樹皮は赤褐色で、りん片状にはげる。
若枝には赤褐色の毛が密にはえ、葉は線形で、横断面はひし形をしている。
アカエゾマツは一名ヤチシンコまたはテシオマツという俗名がある。
名前の「赤蝦夷松」は、北海道に生え樹皮の色がエゾマツに比べ赤いことによる。
 akaezomatu0302.gif
分布・生態
北海道、本州 (岩手県の一部)、南樺太、南千島に分布する。
北海道の東部、北部に多く、トドマツ、エゾマツと混交するが、湿原の周辺や岩礫地に純林をつくることもある。
 
材質・用途
材質が均一なのでピアノの響板として有名で、高級楽器、建築材に用いられ、庭園樹、盆栽にも用いられる。



北海道の木 37a11c8d6.jpeg
 
カラマツ
 
唐松というので、中国から取り入れたのかと思ったら日本特産種。
名の由来は短枝上に集まった葉の状態が絵に描く唐松風であるからであるという。
落葉松(ラクヨウショウ)ともいう。
戦前戦後は坑木や電信柱、枕木として活用されていた。
乾くと硬い上にヤニがたくさん出て加工しにくく、狂いやすい。家の柱には向かない。
 karamatsu08.jpg
葉はマツより短めの針葉で、20 - 40本が束状に生える。葉はそれほど濃密ではないので、林内はそれほど暗くならない。日本の高原を代表する植物でもあり、長野県や群馬県、北海道などのスキー場などに多く植えられている。
落葉樹のため新緑や紅葉(黄葉)がきれいで、特に紅葉は人気があるが、他の木よりその時期は遅い。
カラマツ属はいずれも陽樹(日当たりの良い場所を好む)であり、成長が早いため、何らかの原因で森林が消滅した場所に真っ先に進出する樹木(いわゆる先駆植物)のひとつである。
通常の立地の下では、やがてはトウヒ・モミなど暗い場所を好む樹木(陰樹)に取って代わられて一代限りで消えていくため、川の周囲や湿原、断崖絶壁の上など特殊で悪条件の場所以外は、通常カラマツの森が永続することはない。
成長が早いことから、木材利用が逼迫した時期には寒冷地での植林樹種として利用された。このため、中部地方以北ではあちこちに人工林が存在する。
 
北海道にも明治以降大量に植林された



北海道の木 2240px-Picea_jezoensis.jpg
 
エゾマツ
 
アカエゾマツに対して、クロエゾマツと呼ばれることがあり、一緒にエゾマツの総称で昭和41年9月に 「北海道の木」 に選定されている。
高さ40m、胸高直径2mにもなる高木で、樹冠は円錐形になり、天をつくようにみえる。
樹皮は黒っぽい褐色で、うろこ状をしていてアカエゾマツより滑らかな感 じがする。
樹高30~40m、樹形は狭円錐形~円錐形になる。 針葉は濃緑色、断面が扁平でアカエゾマツより長く、先がとがり、裏には2本の気孔線がある。
枝はやや下垂または水平で上部では斜上。
長さ4~8cmで円筒状の球果をつけ、熟すと黄褐色になり枝に垂れ下がる。c48d6ecc.jpegdf82c764.jpeg
 
分布・生態
北海道、樺太、南千島、ウスリー、中国東北部、朝鮮に分布する。
 
材質・用途
材は均質、緻密で一般建築材、家具材などとして用途は広い。
公園樹、防風林、シンボルツリー、ロックガーデン、クリスマスツリー、盆栽など。
 



北海道の木 189f4f73d.jpeg
 
トドマツ
 
カラマツ、エゾマツ、トドマツが北海道の松の御三家である。
トドマツはその中にあって、唯一、幹の肌がスベスベしている。人工造林も多く、いたる所にトドマツ林がある。
特徴は、上向き・球果は上向き・樹皮は滑らかなため、ヒグマの爪あとがはつきりと残るものもある。
 
北海道で一番多く造林されている木 (トドマツはアイヌ語トトロップの転訛)。
北海道で一番ポピュラーな針葉樹であり、低地から高地まで広く分布していて造林地も各地にみられ、屋敷林、庭園樹としても植えられている。
トドの漢字 「椴」 はトドマツの枝が毎年一段ずつ輪生することからこの字が使われたと思われる。 e3bc8c2e.jpeg
日本のモミ属にはモミ、ウラジロモミ、シラビソ、オオシラビソ、シコクシラベ は本州以南に、そして、アカトドマツ、アオトドマツが北海道で見られる。
これらは葉の形、実の形、樹肌などはよく似ていて、いずれも葉は先が二裂する。
 
分布・生態
北海道、南千島、樺太に分布する。 純林をつくることも、落葉広葉樹と混交することもある。 6d347ca9.jpeg
 
材質・用途
辺材、心材ともに黄白色で、木理が通直で加工は容易である。
建築、器具、包装用、パルプ材、その他広く用いられる。
特にタルキはエゾタルキといわれ高い評価をうけている。
 




YOSAKOIソーラン祭りyosakoi1.jpg
 
YOSAKOIソーラン祭りとは、毎年6月上旬に札幌市で行われる祭。
北海道内のみならず日本全国、あるいは海外からも参加者が訪れる、さっぽろ雪まつりと並ぶ札幌の大イベントである。
 
1992年、当時北海道大学の学生だった長谷川岳が中心となり、高知県のよさこい祭りと北海道のソーラン節がミックスされて生まれた。
1回は参加者10チーム1000人、観客動員数は20万人であったが、その後、参加者・観客動員数とも急速に成長を示した。
2007年まで長谷川岳がYOSAKOIソーラン祭り組織委員会専務理事を務めトップダウンで運営が行われていたが、2008年に彼は自民党から衆院選出馬の為専務理事を退いた。
 
内容
『ソーラン節』のメロディを取り入れた曲にあわせて鳴子を持って踊り、数十人程度の集団(チーム単位)で舞踏する。希望すると大通公園パレードコース内の特定エリアで演舞でき、コンテストの審査対象となる。
 
チーム運営費
一チームの年間運営費は一般に500万円前後(一人当たり5万円〜10万円)とされている。これには、衣装代、作曲代、保険代、祭り参加費、練習場所代などが含まれていることが多く、このほかにも市内各会場間の移動交通費などがある。祭りの組織委員会からの補助はない。チームは、個人負担やバザー、協賛、踊り披露によるギャラなどにより運営・参加資金を捻出している。
 



北海道の政治家s_kayano.jpg
 
萱野茂
(かやのしげる、1926年6月15日- 2006年5月6日)は、
日本のアイヌ文化研究者であり、彼自身もアイヌ民族である。
アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。
 
二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。
政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。
在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、
委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。
 
息子の萱野志郎は萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、
世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、
世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。
 
1926年- 沙流郡平取町二風谷(にぶたに)に生まれる。
当時すでにアイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、
アイヌ語を完全に母語とする祖母に育てられたため、アイヌ語と日本語、
2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するため
に出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。
1953年- 研究者や収集家による民具の流出に心を痛め、アイヌの民具、民話を
自ら収集記録し始める。50年かけて集めた1121点はのちに重要有形民族文化財の指定を受ける。
1960年- 金田一京助の影響を受けアイヌ語の記録に着手。このころ智里真志保とも出会う。
1970年- あるアイヌ女性の希望により、70~80年以上絶えていたアイヌ式の結婚式を開催する。
その内容は姫田忠義監督により記録映画「アイヌの結婚式」として残された。
1971年- 二風谷の青年たちと、2軒のアイヌ民家を作る。
その様子は、やはり姫田監督により「チセ・ア・カラ(われら・家を・つくる)」として映画化。
これは日本で初めてのアイヌ語での映画であった。 
1972年- 収集した民具などを公開するため二風谷アイヌ資料館を設立。
1975年- 『ウェペケレ集大成』で菊池寛を受賞。
1975年 - 平取町町議会議員に当選。以後5期務める。
1977年- 10年ぶりに行われたイオマンテを主催。
その模様はやはり姫田監督により「イヨマンテ 熊おくり」として残された。
1978年- 北海道文化奨励賞受賞。
1980年- 北海道大学文学部言語学科講師を務める。
1983年- 「二風谷アイヌ語塾」を設立。塾長を務める。
1987年10月 – STVラジオにて「アイヌ語講座イランカラプテ」(後の「アイヌ語ラジオ講座」)を始める。
1989年- 吉川英治文化賞受賞。
1992年- 第16回参議院通常選挙に日本社会党から比例代表の名簿第11位で立候補
(この時は次点で落選)。
1993年- 北海道文化賞受賞。
1993年 – 二風谷ダム着工のため行われた用地強制収用裁決の取り消しを求めて札幌地裁に提訴。
1994年8月 - 繰り上げ当選でアイヌ初の国会議員となる。
1996年7月 - 自らのアイヌ語語彙を網羅した『萱野茂のアイヌ語辞典』を出版。
1996年9月-日本社会党の社会民主党と民主党への分裂に伴い民主党に所属。
1997年3月 - 二風谷ダムが完成していたため強制収用裁決取り消し請求は棄却された。
しかし「国はアイヌ文化に対し最大限の配慮をしなければいけないのに、それを怠った」と
ダム建設を違法とし、アイヌ民族を先住民族と認める判決を勝ち取った。
1997年5月 – アイヌ文化振興法成立。
1998年7月 - 任期満了に伴い政界を引退。
息子の萱野志朗が同年参院選に社民党から出馬するも落選している。
1998年 - 『萱野茂のアイヌ神話集成』に対して毎日出版文化賞が贈られる。
2001年- アイヌ語によるミニFM局「エフエム二風谷放送」(愛称FMピパウシ)を設立。
2001年2月 – 総合研究大学院大学より博士号を授与される。
学位請求論文は「アイヌ民族における神送りの研究―沙流川流域を中心に」。
2001年秋 – 勲三等瑞宝章受章。
 
2006年5月6日午後1時38分、パーキンソン病による急性肺炎のため療養中の
札幌市東区の病院で逝去、享年79。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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