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松前町 4
コシャマインの蜂起2009-06-02.png

 『新羅之記録』によれば、康正二年(1456年)から
翌年にかけて、道南地方に居住する和人と、先住のアイヌとの間
に大きな戦争が起きました。

 この戦いの発端は、箱館(函館)近くで、
和人の鍛冶屋がアイヌの人を刺殺したことがきっかけとなっています。

しかし、その背景を考えるとアイヌの人たちが居住する平和な島に、
侵入定着した和人が増加し、経済的優位を誇って館を構え、武力を
持ち横暴を強めることに対して、アイヌの反発が蜂起の原因である
と推測されます。

 この当時道南地方には12の館(たて)がありましたが、
東部の大族長コシャマインを中心とするアイヌの人たちが団結し、
これらの館を攻撃しました。
各館は次々と落とされ、茂別館(上磯町茂辺地)と花沢館(上ノ国町勝山)
のみが残り、和人たちは次々とこの二つの館に逃れました。

 このとき、花沢館にいた武田信広(松前家の祖)がわずかな兵を
率いて進撃し、上磯町七重浜付近でコシャマイン父子を倒しました。
これによりアイヌは敗れ、
松前氏の蝦夷地での発展の基礎が築かれました。
 
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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