北海道の知事
建設グラフ2001年2月号の記事内容より
――それを踏まえ、新世紀の北海道の行政と政治システムはどうあるべきと考えますか
堀
今、世界の社会経済システムは、かつてない変革の荒波に
さらされています。
行政も政治も、わが国と地域の新たな発展の道筋を切り開
いていくという歴史的な責務を負って います。
したがって、時代の潮流を見極めながら、前例にとらわれない大胆な発想を活かした政策の推進 が求められると思います。
また、21世紀は知恵の時代だと言われています。
地域が独自のカラーを打ち出しながら競い合い、高め合っていくことが大事です。
地域が創意工夫をこらしながら、自らの責任で物事を決め、行政と市民とのパートナーシップで 個性豊かな地域づくりを進めていくこと。
まさに地方分権を本物に仕上げていく時代だと言えます。
ですから、まちづくりにおいても、これから個性がより尊重されるべきだと考えており、そのために は地域ごとの政治、行政、そして市民の力量が問われてくるものと考えています。
北海道の知事
建設グラフ2001年2月号の記事内容より
――北海道は、自律の道を目指していますが、現実には
予算総額約3兆円のうち、自主財源 はおよそ6,000億円
程度で、残りは地方交付税や政府補助金に依存しています。
まずは経済的、財政的自立が課題ではないかと思いますが、どんな方法、道筋によって 実現できていくと考えますか
堀
自律というのは、決して行政が先導するのではありません。
まずは道民が自律意識を持つということが前提です。
今までのように、何でもかんでも行政が先導し、民間が後からついてきて実現するというわけには いきません。
長野県や栃木県の知事選の結果を見ても分かるように、今や地域の皆さんの意識は変わってい るわけです。
地域の皆さんと行政とが一体となって、これからどうしていくのかをまず話し合うことが大切です。
北海道の知事
堀達也 1
――いよいよ21世紀を迎えましたが、北海道と北海道民の未来像
をどう想定していますか
堀
北海道は、まだまだ経済情勢も雇用情勢もともに
厳しい情勢にあり、将来展望は見えにくい状況です。
しかし、中長期的に見ると、環境問題や食料問題など地球規模の課題への対応といった面で、北海道が持っている可能性は極めて大きいと思います。
グローバル社会でも生き残れるような持続的な農林水産業の確立、資源リサイクルシステムの確立、さらには環境保全に貢献する技術開発などによって、自然と調和した循環型社会を実現することは、この北海道でこそ可能だと考えています。
それによって、北海道を心から愛する道民の皆さんも、北の大地に移り住もうというチャレンジ精神を持った人々も、やりがいのある仕事に就きながら、大らかな風土の中で様々な交流の輪を広げ、新鮮で美味しい食べ物や優れた自然環境に囲まれながら、心豊かに暮らせる大地であること。
私は、北海道は将来にわたってそうした魅力あふれる地域であり、内外に貢献していけるものと信じています。
そのためにも道民の皆さんと力を合わせて新しい北海道づくりに取り組んでいかなければならないと考えています。
の小学校教諭や北海道教職員組合委員長及び日本
教職員組合副委員長、道議経て1952年10月第25回
衆議院議員総選挙中選挙区時代の北海道1区から
立候補し初当選。
では東京都選挙区で無所属新人見城美枝子を海江田万里と共に支援したが
見城は落選。旧民主党結成に参加。
し当選して国政復帰を果たした。
以後、2009年総選挙まで5回連続、小選挙区で当選している。
ど党内護憲派の代表格。
旧社会党系議員を中心にしたグループ、「新政局懇談会」(通称・横路グループ)
を率い、民主党内で強い影響力を持つ。
に達し、国連の警察的機能に積極的に貢献するために別組織を作って国際協力を
進めるとともに、自衛隊は国土防衛に徹して海外派遣しないことなどを確認した。
北海道知事選挙に周囲から推される形で立候補。
田村正敏率いる勝手連による選挙運動で支持を広げ、
自民党、新自由クラブなどの推す前副知事三上顕一郎
らを破って初当選した。
自民党推薦佐藤静雄に100万票以上の圧倒的大差をつけ当選。
革新王国といわれる北海道でも前代未聞の大勝であった。
自身と69年初当選同期の羽田孜農水相が荒井聰に道庁への転勤を
命じ横路の下で知事室長を務めた。
季競技大会も招致。
しかし、地方博ブームにのって行われた1988年の「世界・食の祭典」で
は90億円という多額の赤字や関係者の自殺などを招き、道議会で問
責決議が行われた。道民の間では「ショックの祭典」などと揶揄された。
その他カラ出張問題が社会問題化する等財政悪化の元凶として強い
批判を浴びた事もあった。
しかしながら依然として当時の無党派層には人気が高く細川政権時代
には次の首相候補として上位に名前が出たこともあった。
は国家」と明言し、出身母体の社会党の方針とは異なる内容だったの
で話題となった
(なお、後に衆議院議員として国旗国歌法の採決では反対票を投じている)。
同様に、北海道電力泊原子力発電所についても「行政の継続性」を唱えて、
反対をしなかった。
北海道の歴代知事
高橋はるみ
(たかはしはるみ、1954年1月6日- )は、日本の政治家。
北海道知事(2003年4月23日-)。旧姓新田。
富山県富山市出身。
自民党の支援を受けて北海道知事に立候補して当選した。
一橋大学経済学部卒業。祖父は富山県知事を2期8年務めた
高辻武邦。
父は日本海ガス社長・インテック創業者新田嗣治朗。
弟に日本海ガス社長・元日本青年会議所会頭の新田八朗。
1976年、一橋大学在学中、国家上級甲種経済職試験に合格。
通商産業省(当時)に入省する。同期には岡田克也、
岡田秀一(商務情報政策局長、小泉内閣総理大臣秘書官)、
勝野龍平(地域経済産業審議官、近畿経産局長)、
西村英俊(日中経済協会専務理事)、
中井毅(ジェトロパリセンター所長)など。
1985年には大西洋国際問題研究所(在パリ)研究員に。
中小企業庁課長、同省課長、2001年〜2002年に経済産業省北海道経済産業局長、2002年〜2003年に経済産業研修所長を経て、2003年に退官。
通産省での先輩にあたる町村信孝の誘いで、
2003年4月の統一地方選挙に自民党・保守新党推薦公明党支持で立候補し民主党・自由党・社民党推薦の鉢呂吉雄や完全無所属の伊東秀子を破り当選、6代目の北海道知事に就任した。
北海道の歴代知事
堀 達也(ほり たつや、1935年11月22日- )は、日本の政治家・元地方公務員。
北海学園理事。
1995年から北海道知事(第5代)2期8年務めた。
札幌大学前理事長。東京農業大学客員教授。
樺太敷香郡泊岸村(サハリン)出身。網走支庁遠軽町で育つ。
1958年、北海道大学農学部を卒業し、北海道庁に入庁。
土木部次長、知事室長、北海道公営企業管理者、横道孝弘知事の下で副知事
などの職を経て、1995年に北海道知事選に無所属(新進党・日本社会党・公明・
民社協会推薦)で出馬し、伊東秀子を破って初当選する。
2期目も無所属ながら自由民主党・民主党・公明党・自由党・社会民主党・民社
協会の推薦を得て再び伊東秀子を破り、圧勝した。
1997年
北海道拓殖銀行破綻後、非常事態宣言を表明し、北海道の構造改革を呼びかけたが、公共事業の支出で逆に道の財政を悪化させてしまい優秀な人材を道外に流失させた点について、怩たる思いだと述懐している。
3期目出馬を当初は模索したが民主党が政治スタンスが自民党寄りとして独自候補を模索し、自民党も推薦を見送る公算となったことから出馬を断念した。
知事退任後、2004年に札幌大学理事長に就任したが、2009年に退任した。