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北海道の知事

堀達也 302.jpg

建設グラフ20012月号の記事内容より 

 

――それを踏まえ、新世紀の北海道の行政と政治システムはどうあるべきと考えますか

  今、世界の社会経済システムは、かつてない変革の荒波に
さらされています。
  行政も政治も、わが国と地域の新たな発展の道筋を切り開
いていくという歴史的な責務を負って います。
  したがって、時代の潮流を見極めながら、前例にとらわれない大胆な発想を活かした政策の推進  が求められると思います。
  また、21世紀は知恵の時代だと言われています。
  地域が独自のカラーを打ち出しながら競い合い、高め合っていくことが大事です。
  地域が創意工夫をこらしながら、自らの責任で物事を決め、行政と市民とのパートナーシップで  個性豊かな地域づくりを進めていくこと。
  まさに地方分権を本物に仕上げていく時代だと言えます。
  ですから、まちづくりにおいても、これから個性がより尊重されるべきだと考えており、そのために  は地域ごとの政治、行政、そして市民の力量が問われてくるものと考えています。


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北海道の知事

堀達也 2cda92b86.jpeg

建設グラフ20012月号の記事内容より 

 

――北海道は、自律の道を目指していますが、現実には
予算総額約3兆円のうち、自主財源    はおよそ6,000億円
程度で、残りは地方交付税や政府補助金に依存しています。
    まずは経済的、財政的自立が課題ではないかと思いますが、どんな方法、道筋によって    実現できていくと考えますか


   自律というのは、決して行政が先導するのではありません。
   まずは道民が自律意識を持つということが前提です。
   今までのように、何でもかんでも行政が先導し、民間が後からついてきて実現するというわけには   いきません。
   長野県や栃木県の知事選の結果を見ても分かるように、今や地域の皆さんの意識は変わってい   るわけです。
   地域の皆さんと行政とが一体となって、これからどうしていくのかをまず話し合うことが大切です。




北海道の知事


堀達也 1

建設グラフ20012月号の記事内容より hori.jpg


――いよいよ21世紀を迎えましたが、北海道と北海道民の未来像
     をどう想定していますか



北海道は、まだまだ経済情勢も雇用情勢もともに
厳しい情勢にあり、将来展望は見えにくい状況です。
しかし、中長期的に見ると、環境問題や食料問題など地球規模の課題への対応といった面で、北海道が持っている可能性は極めて大きいと思います。

グローバル社会でも生き残れるような持続的な農林水産業の確立、資源リサイクルシステムの確立、さらには環境保全に貢献する技術開発などによって、自然と調和した循環型社会を実現することは、この北海道でこそ可能だと考えています。

それによって、北海道を心から愛する道民の皆さんも、北の大地に移り住もうというチャレンジ精神を持った人々も、やりがいのある仕事に就きながら、大らかな風土の中で様々な交流の輪を広げ、新鮮で美味しい食べ物や優れた自然環境に囲まれながら、心豊かに暮らせる大地であること。
私は、北海道は将来にわたってそうした魅力あふれる地域であり、内外に貢献していけるものと信じています。
そのためにも道民の皆さんと力を合わせて新しい北海道づくりに取り組んでいかなければならないと考えています。




北海道の政治家
 
横路節雄f6c10f07.jpeg
(よこみちせつお、1911年1月2日-1967年6月14日
は日本の政治家、衆議院議員。夕張市出身
 
(北海道教育大学札幌校の前身)札幌師範学校出身
の小学校教諭
や北海道教職員組合委員長及び日本
教職員組合副委員長、道議経て
1952年10月第25回
衆議院議員総選挙中選挙区時代の北海道1から
立候補し初当選。
(通算8回当選。同じ北海道第1区(中選挙区)の社会党候補に
は道議会の後輩島本虎三もいた)。
日本社会党の国対委員長や政審会長を歴任。
1960年の安保闘争では党安保対策委員長。
1959年北海道知事選挙で社会党公認で出馬したが自民党公認の
新人町村金五に敗北、直後の補選で国政に復帰した。
1967年、議員在職中に死去。
妻・美喜の実兄は野呂栄太郎、長男は横道孝弘



横路孝弘 4

1995年、3期目の任期満了をもって北海道知事を退任。
社会党に復党を求められたがこれに応じず、同年第17回参議院議員通常選挙
では東京都選挙区で無所属新人見城美枝子海江田万里と共に支援したが
見城は落選。旧民主党結成に参加。
1996年10月に行われた衆議院総選挙で北海道1区から旧民主党公認で立候補
し当選して国政復帰を果たした。
以後、2009年総選挙まで5回連続、小選挙区で当選している。

鳩山由紀夫が民主党代表に就任時、憲法改正発言を行ったとき辞職を促すな
ど党内護憲派の代表格。
旧社会党系議員を中心にしたグループ、「新政局懇談会」(通称・横路グループ)
を率い、民主党内で強い影響力を持つ。
一方、改憲論者として知られる小沢一郎との連携には早くから動いていた。
2004年には、小沢との間で日本の安全保障、国際協力の基本原則について合意
に達し、国連の警察的機能に積極的に貢献するために別組織を作って国際協力を
進めるとともに、自衛隊は国土防衛に徹して海外派遣しないことなどを確認した。
2004年の年金未納問題の際に5年8か月間未納であったことが発覚した。



横路孝弘 34fae23ac.jpeg

衆議院で当選連続5回の後、1983年4月
北海道知事選挙に周囲から推される形で立候補。
田村正敏率いる勝手連による選挙運動で支持を広げ、
自民党、新自由クラブなどの推す前副知事三上顕一郎
らを破って初当選した。
2期目も自民党など推薦の松浦昭らを退け、3期目は
自民党推薦佐藤静雄に100万票以上の圧倒的大差をつけ当選。
革新王国といわれる北海道でも前代未聞の大勝であった。

自身と69年初当選同期の羽田孜農水相荒井聰に道庁への転勤を
命じ横路の下で知事室長を務めた。
一村一品運動を推進して地域経済の活性化をはかり、1回アジア冬
季競技大会
も招致。
しかし、地方博ブームにのって行われた1988年の「世界・食の祭典」
90億円という多額の赤字や関係者の自殺などを招き、道議会で問
責決議が行われた。
道民の間では「ショックの祭典」などと揶揄された。

その他カラ出張問題が社会問題化する等財政悪化の元凶として強い
批判を浴びた事もあった。
しかしながら依然として当時の無党派層には人気が高く細川政権時代
には次の首相候補として上位に名前が出たこともあった。
道議会で、自民党議員の質問に対する答弁で「日の丸は国旗、君が代
は国家」と明言し、出身母体の社会党の方針とは異なる内容だったの
で話題となった
(なお、後に衆議院議員として国旗国歌法の採決では反対票を投じている)。
同様に、北海道電力泊原子力発電所についても「行政の継続性」を唱えて、
反対をしなかった。
 
1995年、3期目の任期満了をもって北海道知事を退任。



横路孝弘 2aed89b92.jpeg

1969年父の急死により第32回衆議院議員総選挙に
出馬し初当選。
日本社会党の「新しい流れの会」幹事を務めるなど
若手の論客としてならし、「社会党のプリンス」とよばれた。


1972年衆議院予算委員会で沖縄返還に伴う密約を示し
た外務省極秘電信を暴露した
(情報の取得に違法行為があったとして逮捕者が出た外務省秘密漏洩事件)。
 



横路孝弘 19b372a4c.jpeg

札幌市に、父・横道節雄、母・美喜の長男として生まれる。
節雄は北教組のリーダーから社会党衆議院議員
美喜は、『日本資本主義発達史』の著者である
野呂栄太郎の妹である。
中学時代、交通事故で大怪我を負う
(そのため卒業まで4年掛かり、16歳で卒業した)。
札幌西高校1年1学期だけ通い転校先の都立九段高校卒業
東京大学法学部卒。
大学在学中から江田五月と親友、社青同学生班で活動。
また、在学中1965年24歳で司法試験に合格し、卒業後は司法修習生(20期)、
弁護士として全道労協の顧問弁護士などを務めた。



北海道の歴代知事

 

高橋はるみ
(たかはしはるみ、195416- )は、日本の政治家。75f41f02.jpeg

北海道知事2003423-)。旧姓新田。
富山県富山市出身。

自民党の支援を受けて北海道知事に立候補して当選した。

一橋大学経済学部卒業。祖父は富山県知事を28務めた
高辻武邦。

父は日本海ガス社長・インテック創業者新田嗣治朗。
弟に日本海ガス社長・元日本青年会議所会頭の新田八朗。

 

1976、一橋大学在学中、国家上級甲種経済職試験に合格。
通商産業省(当時)に入省する。同期には岡田克也
岡田秀一(商務情報政策局長、小泉内閣総理大臣秘書官)、
勝野龍平(地域経済産業審議官、近畿経産局長)、
西村英俊(日中経済協会専務理事)、
中井毅(ジェトロパリセンター所長)など。

1985には大西洋国際問題研究所(在パリ)研究員に。
中小企業庁課長、同省課長、2001年〜2002年に経済産業省北海道経済産業局長、2002年〜2003年に経済産業研修所長を経て、2003に退官。

通産省での先輩にあたる町村信孝の誘いで、
20034の統一地方選挙に自民党・保守新党推薦公明党支持で立候補し民主党・自由党・社民党推薦の鉢呂吉雄や完全無所属の伊東秀子を破り当選、6目の北海道知事に就任した。




北海道の歴代知事

 

堀 達也(ほり たつや、19351122- )は、日本の政治家・元地方公務員。kaityou.jpg

北海学園理事。

1995年から北海道知事(5代)28務めた。

札幌大学前理事長。東京農業大学客員教授。

 

樺太敷香郡泊岸村(サハリン)出身。網走支庁遠軽町で育つ。

1958、北海道大学農学部を卒業し、北海道庁に入庁。

土木部次長、知事室長、北海道公営企業管理者、横道孝弘知事の下で副知事
などの職を経て、1995年に北海道知事選に無所属(新進党・日本社会党・公明・
民社協会推薦)で出馬し、伊東秀子を破って初当選する。

2期目も無所属ながら自由民主党・民主党・公明党・自由党・社会民主党・民社
協会の推薦を得て再び伊東秀子を破り、圧勝した。

 

1997

北海道拓殖銀行破綻後、非常事態宣言を表明し、北海道の構造改革を呼びかけたが、公共事業の支出で逆に道の財政を悪化させてしまい優秀な人材を道外に流失させた点について、怩たる思いだと述懐している。

3目出馬を当初は模索したが民主党が政治スタンスが自民党寄りとして独自候補を模索し、自民党も推薦を見送る公算となったことから出馬を断念した。

知事退任後、2004に札幌大学理事長に就任したが、2009に退任した。




2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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