2012/12/16 09:22:08
国道229号 続続
義経とアイヌ民族
義経伝説は知床や十勝など全道にあるが、ここでは
江差から小樽までの国道229号の沿線を考えてみたい。
「義経」の話は、アイヌの人たちに好意的に受け取られ
ているということだ。つまり、アイヌ民族は義経に敬意を持ち、
和人たちはそれを利用したのではないかと思える。
向山誠斎雑記・「丙辰雑綴」によると、1804年(文化元年)の
アイヌ人口は下記に示す通りで松前藩の時代には、この地域
には18ヶ所の場所があった。
(場所とは、アイヌとの交易の場所のことである)
国道229号沿線の町を改めてみてみると、アイヌの人たちが
軒並み住んでいた。
1804年といえば、国後目梨のアイヌ蜂起1789(寛政元年)後、
東蝦夷地幕府直轄 1799(寛政11)、蝦夷三官寺建立1804(文化元年)
と幕府が蝦夷地に乗り出してきた時代である。
向山誠斎雑記・「丙辰雑綴」によると、1804年(文化元年)の
アイヌ人口は下記の通り。
フトロ 太櫓 78人
セタナイ 瀬棚 74
シマコマキ 島牧 158
スツツ 寿都 65
ヲタスツ 歌棄 204
イソヤ 磯谷 133
イワナイ 岩内 310
フルウ 古宇 229
シヤコタン 積丹 144
ヒクニ 美国 96
フルヒラ 古平 205
上ヲイチ 上余市 201
下ヲイチ 下余市 164
ヲシヨロ 忍路 355
タカシマ 高島 193
ヲタルナイ 小樽 216
江差から小樽まで、海岸に沿って北上すると現在の町の名前が
そのまま残っている。また、江差追分の歌詞をなぞってみるのも面白い。
江差から小樽までの道のりは、ニシン漁業とともにアイヌの漁村でもあった。
(写真は、アイヌと和人との交易製品で鷲の羽)
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