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厚真町
 
厚真町(あつまちょう)は胆振支庁管内勇払郡にある町。map1.gif
4,911人(人口、2009年12月31日)
町名はアイヌ語の「アットマム」ar-tomam[向こうの・湿地帯]
に由来するとする説と、
「アトマプ」at-oma-p[オヒョウニレ・ある・もの(場所)]
とする説などがあるが、古い地名であり、特定は困難な状況である。
 
夕張山地から太平洋へと南流する厚真川の流域を
ほぼそのまま町域としており、南北に長い。
中心市街地である本町は厚真川中流付近にある。
鉄道や国道は太平洋沿いの浜厚真地区を通過する。
 
町内からは縄文式土器も発掘されており、この地区への人間の定住は早かったようだ。
その後アイヌ人が定住していたが、1800年に南部藩士・森田勘十郎らが浜厚真に移住したの
が和人の定住の最初とされる。
本格的な開拓が始まったのは1870年に新潟県人が入植してからで、この時をもって開基としている。
 
浜厚真・上厚真地区は苫小牧東部工業地域に続く地域として1980年以降開発が進んでいる。
苫小牧市との境に苫小牧東港が作られたほか、北海道電力苫東厚真発電所や石油備蓄基地が置か
れている。
農業は稲作が中心で、胆振支庁管内では随一の作付面積を誇っている。

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むかわ町

 

9,839人(人口、20091231日)f5ccb7dc.gif

むかわ町(むかわちょう)は2006327日、勇払郡鵡川町と穂別町
の新設合併によって胆振支庁東部に設置された町である。

地名の由来は、アイヌ語の「ムカ」(水が滲み出す)、「ムカプ」
(ツルニンジンがあるところ)、「ムッカ・ペツ」(塞がる川)など、様々な説
がある。

 

キャッチフレーズは、「人と自然が輝く清流と健康のまち」。

町役場は「総合支所方式」とし合併前の鵡川町役場を本庁舎、穂別町役場
を総合支所とする。

本庁 〒054-8680 勇払郡むかわ町美幸2丁目88番地

穂別総合支所 〒054-0211 勇払郡むかわ町穂別2番地




早来町(はやきたちょう)

 

早来町(はやきたちょう)は、
胆振支庁管内勇払郡にあった町。IMGP212812.jpg

酪農や軽種馬生産などがさかん。
元スピードスケート選手の橋本聖子の出身地として知られる。

町名はアイヌ語の「サク・ルベシペ」(夏に越える沢道)の前半部分を
とって早来(さっくる)と名付けられたのが「はやきた」と読み替えられた、
との説が有力だが、「ハイキト」(麻・カヤのある沼)に由来するとの説もある。

また、JR室蘭本線が予想より早く開通したので、「はやきた」と読み替えら
れた、という説もある。

 

1894年に早来駅が開業して以来、支安平川流域を中心に入植が行われた。

周辺の人口も増え、苫小牧戸長役場の管轄では不便であることから、1900
に勇払村の一部(現在の早来町)と植苗村の一部(現在の追分町)を合わせて、
安平(あびら)戸長役場を置いたのが町のはじまりである。

追分が鉄道の分岐点で商工業の中心であったのに対し、早来は農業を中心に発展した。
南部の遠浅地区には牧場が作られ、昭和初期に滝川からの入植者によって本格的に始められ
た酪農は大きく発展した。

そもそも安平村設置の時から役場の場所などを巡って対立のあった追分と早来であったが、
1952年に追分高校設置案が議会で否決されたことで亀裂は決定的となり、追分村が分村した。
しかし20044月、早来町と追分町は法定合併協議会を設置し、再合併に向け協議を続けてき
た結果、両町は合併で合意し、
2006327日に新設合併して安平町(あびらちょう)
とすることが決まった。

 

 

農業が基幹産業。特に遠浅地区での乳牛生産は有名で、
ここで改良された牛は全国へと送り出されている。
また早来富岡の吉田牧場、早来源武のノーザンファームなど競走馬生産も盛ん。

中央競馬で活躍し、種牝馬としても多くの産駒を送り出したマルゼンスキーや
2005
年に三冠を達成したディープインパクトも早来町で生産された。

苫小牧東部工業地域に隣接していることから工業誘致にも積極的。

ゴルフ場が多い。

1986年から売り出されたふるさと小包「雪だるま小包」でも知られる。




真狩村の名産品kamuiwakka-reisui.gif

 

秀峰羊蹄山の南麓に広がる真狩村は、じゃがいも・
人参・大根・アスパラなどの生産が盛んな農村で、
特にゆり根の生産量は日本一を誇ります。

羊蹄山が生み出す「神の水」(カムイワッカ)と
称される清らかな水と肥沃な大地に育まれた自慢
の一品です。
また、花卉の振興しており、ユリの女王カサブランカ
の切り花など花ユリの生産が有名です。

観光については、地場農産物を本格フレンチで食す
「レストラン・マッカリーナ」や源泉
100%で露天風呂から見える羊蹄山が絶景の
「まっかり温泉」、花をテーマとした癒しの道の駅「真狩フラワーセンター」、
「羊蹄山の真狩登山コース」などがあり、北海道らしいゆったりとした時間を過ご
すことができます。




室蘭ゆかりの相撲力士
 
貴ノ花利彰
(たかのはな としあき、1950年2月19日-2005年5月30日)は、54289ba2.jpeg
弘前市出身の大相撲力士。現役時は二子山部屋所属であった。
本名は花田満(はなだ みつる)。最高位は大関。
名横綱の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、
角界のプリンスと呼ばれた。
大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。
 
室蘭市で10人兄弟の末っ子として生まれる。
初代若乃花と若緑陸奥之丞(三段目)の弟。
元横綱・3代目若乃花でタレントの花田勝と一代年寄り貴乃花光司の父。
母は武ノ里武三の又従姉。夫人は元女優でタレントの藤田憲子(2001年(平成13年)離婚)。

誕生した時、すでに長兄の勝治(若乃花)は成人し幕内力士となっており、巡業がてら帰省した際
に弟ができたと聞かされ「最初は両親ではなく別の親族の子供だと思っていた。
いい加減何人産むつもりなんだ。」と半ば呆れたという。
杉並区立東田中学校在学中に水泳(専門はバタフライ、メキシコ五輪代表でメダルも期待された
高田康雄とライバル関係にあり、二人で交互に中学記録を更新した)で名を上げ、オリンピック選手
の候補になるほどだった。
しかし兄である二子山(初代若乃花)の相撲部屋への入門を希望。



室蘭ゆかりの相撲力士
 
北葉山英俊
(きたばやまひでとし、1935年5月17日- )は、室蘭市輪西町出身の元大相撲力士である。
最高位は大関。時津風部屋所属。
本名は山田英俊。現役時代の体格は173cm、119kg。得意手は左四つ、寄り、うっちゃり。

 
中学卒業後家計を助ける為鍛冶屋に奉公に出たが、力士になる夢も捨てがたく、
家出同然で同郷である幕内力士双ッ龍を頼り、「ワシが帰りの切符買ってやるから」と
一旦は断られるがしぶとく居座り、そうしている間に帰って来た時津風が弟子入りを許し
1954年(昭和29年)に時津風部屋に入門し同年5月場所で初土俵を踏んだ。
体の小ささであまり期待されていなかったが新序を全勝で通過、序の口を飛び越え序二段
についたがそこでも8戦全勝と言う成績を挙げ、その後も三段目、幕下で全勝優勝、十両でも優勝し、
1958年(昭和33年)11月場所に入幕を果たした。
入幕5場所目の1959年(昭和34年)7月場所には小結に昇進。
1961年(昭和36年)5月場所に11勝4敗という好成績を挙げ、大関に昇進した。
大関になってからは1963年(昭和38年)7月場所佐田乃山との優勝決定戦を制して13勝2敗で初優勝。
横綱大鵬からも11勝をあげ、対大鵬戦では柏戸の16勝に次ぐ勝利数をあげている。
一時は「優勝のカギを握る男」と評された。
大関在位30場所目の1966年(昭和41年)5月場所を最後に引退した。



室蘭ゆかりの漫画家fd6f034e.jpeg
 
岩泉舞(漫画家) 1970年7月13日~ ・ 室蘭市出身。
1989年「ふろん」でホップステップ賞佳作を受賞しデビュー。

以後1994年まで、『週刊少年ジャンプ』に短編作品を多数掲載。
代表作は「七つの海」。
ふろん  (1989年、週刊少年ジャンプ オータムスペシャル掲載作品)
忘れっぽい鬼 1989年、週刊少年ジャンプ ウインタースペシャル掲載作品)
たとえ火の中…(1990年、週刊少年ジャンプ第25号掲載作品)
七つの海    (1991年、週刊少年ジャンプ第21・22合併号掲載作品)
COM COP   (1991年、週刊少年ジャンプ第39号掲載作品)
COM COP2  (1992年、週刊少年ジャンプ第10号掲載作品)
KING -キング- (1992年、週刊少年ジャンプ第49号掲載作品)
クリスマスプレゼント (1993年、週刊少年ジャンプ第3・4合併号掲載作品)
COM COP3 ~夢見る佳人~ (1993年、週刊少年ジャンプ第52号掲載作品)
リアルマジック (1994年、サマースペシャル掲載作品)



室蘭ゆかりの漫画家90ab9237.jpeg
 
いがらしゆみこ
(漫画家、旭川市生まれだが、幼少期の大部分を室蘭市で過ごす)
 本名 五十嵐優美子、1950年8月26日- 。札幌市在住。
1968年、札幌旭丘高等学校3年のときに「りぼん」増刊号(集英社)
に掲載された『白い鮫のいる島』でデビュー。
代表作は『キャンディ・キャンディ』『ジョージィ!』など。
五十岸ひとみ五十嵐優美子(本名)、山川虹子(漫画原作者として)
などの筆名でも執筆をしている。
 
1968年 - 『白い鮫のいる島』でデビュー。
1975年 - 『キャンディ・キャンディ』の連載を開始。
1976年 - 『キャンディ・キャンディ』がアニメ化される。
1977年 - 『キャンディ・キャンディ』で第1回講談社漫画賞を受賞。
1983年 - 『ジョージィ!』が『レディジョージィ』としてアニメ化される。
1993年 - 『ムカムカパラダイス』がアニメ化される。
1999年 – 山梨県南都留郡山中湖村に、いがらしゆみこ美術館・山中湖が開館(2005年3月閉館)。
2000年 – 岡山県倉敷市の美観地区に、いがらしゆみこ新美術館・倉敷が開館。
2003年 - 『およめサンバ』小学館女性セブン連載。



室蘭で育まれた芥川賞作家 3eaf365a5.jpeg

長嶋 有

長嶋有は3歳の時、埼玉県から登別市に移住しました。
登別市立幌別小学校、室蘭市立港南中学校、北海道立室蘭清水丘高等学校、
東洋大学二部文学部国文学科を卒業しました。
一時会社勤務後文学修行を続けていました。

平成14年「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞しました。
贈呈式には、室蘭からは駒木室蘭文学館の会会長と三村文芸協会会長も参加
しました。
三浦清宏先生がお骨折り下さったお陰でした。
受賞作「猛スピードで母は」には中学、高校時代に住んでいた港南町の情景描写がたくさん出てきます。

「M市は北海道の南岸沿いの小都市だが、背後を背の低い山が囲んでいた。
だから海から流れてくる雲が停滞しやすいのだと・・・。」
「団地のすぐ近くには市営の水族館がある。母の生まれる前からあるという古い建物だ。」

 情景描写の巧みさは「パラレル」「泣かない女はいない」等近作にも充分発揮されています。
2001年「夕子ちゃんの近道」で第1回大江健三郎賞を受賞しました。
ブルボン小林名でのエッセー、肩甲の俳号で俳句、共に精力的に執筆活動を続けています。



室蘭で育まれた芥川賞作家 26bb57c61.jpeg
三浦 清宏

三浦清宏は、母・喜代子の実家、室蘭市の小林写真館(海岸町)
で生まれ、双葉幼稚園に通園しました。
父義治は当時日立製作所名古屋支店長でした。
小林写真館は木造三階建屋上付きのモダンな建物で、現在の
中央町1丁目にある写真店と室蘭商工信組のところにありました。
その後のアメリカ生活と共に三浦文学の原点となっています。

 三浦は文学講演会や取材のため、室蘭に何回も来訪しています。
1991年に室蘭ルネッサンス主催で、同じ室蘭出身の芥川賞受賞作家八木義德氏
と共に講演を行ったり、長年室蘭文学学校夏期特別集中講座講師を務めました。
また室蘭文芸協会主催の「現代文学の夕べ」等で講演活動を行っています。

2004年11月、三浦氏はこれらの文学振興の活動が高く評価され、室蘭市より
教育文化功労者として表彰されました。
 2006年秋に上梓した「海洞-アフンルパロの物語」は地元紙「室蘭民報」に
足かけ4年にわたり連載されたもので、2006年12月日本文芸大賞を得ました。
和・洋・霊の要素を取り込んだ作品群は秀逸です。
文学館に、三浦清宏文庫(全7,000冊)があります。




2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
男性