2010/07/26 00:26:51
アメリカへ一時帰国、外交官として再来日
1882年に開拓使が廃止されたことに伴い、ダンは新たに農商務省と雇用契約を結ぶが同年12月に東京へ移動し、翌1883年2月に雇用契約を終了させた。
1883年、アメリカへ帰国。
しかしアメリカ政府によって北海道における業績を評価され、
1884年、アメリカ公使館二等書記官として来日。
しかしアメリカ政府によって北海道における業績を評価され、
1884年、アメリカ公使館二等書記官として来日。
1889年に参事官、1890年に代理公使、1893年に公使に昇進した。
1894年に日清戦争が勃発した際には和平交渉実現のために奔走したといわれる。
晩年は公使を辞し、米国系石油会社(スタンダード社)の日本支配人となり、のちに三菱造船東京本社に勤務した。1931年5月15日、東京の自宅で死去。
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