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アイヌ民族の蜂起 30

 シャクシャインの戦い(4)

  アイヌは和人船の襲撃によって食料は確保したが、武器となる鉄砲や刀は
わずかなものであった。松前藩はアイヌに武器を渡すのを禁じていたのである。
アイヌは戦うための武器が必要だった。
これは松前藩も同じことがいえた。
武器の調達が勝敗を分ける戦でもあった。
 襲撃された和人は一人残らず殺されてしまったが、この様子を見ていたアイヌ
の中に松前藩に味方するものがでてきたのである。

 有珠虻田のアイヌが、松前に走ったのである。
これが寛文9年(1669年)6月21日のことであった。
報を聞いた松前藩藩主は、11歳の松前矩広(松前10代目)であった。
家老の蛎崎蔵人と蛎崎広隆。
奉行役の蛎崎作左衛門、松前儀左衛門、佐藤権左衛門。
国縫は内浦湾の中間地点で松前から4日路であった。
国縫の地には砂金の採掘小屋があり、内地からの人夫も大勢いたので防禦に
好都合であった。
 
 6月23日、蛎崎作左衛門が80人ほどを引き連れて出発。
その後新田瀬兵衛ら100人。
更に金掘り人夫ら345人を送った。
 6月末には、国縫には525人の体制となっていた。
 
(写真は、アイヌの太鼓とバチ) 
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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