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アイヌ民族の蜂起 33

 シャクシャインの戦い(7)

  6月14日からのシコツ(胆振・支笏)近辺での和人船襲撃は、シャクシャイン勢に
とっては思った以上の戦果であった。
襲撃の手口は、荷揚げの手伝いや再会の挨拶、商いのふりをして和人船に乗り込み、
突然切り込んで、周囲の小舟から毒矢を降らせるというものだった。
乗組員を殺して食糧や武器を奪うというものであった。
 シャクシャインの元には、東・西蝦夷と各地からの戦果が次々に知らせられた。
増毛からの戦果に皆喜んだ。石狩が立ち上がったと思ったのである。
 
 7月に入ると、松前まで攻め上ろうという次の作戦が釧路や十勝の衆から開始された。
厚岸の衆がまず釧路・十勝沿岸を南下し、白糠や音別の衆と合流しながら襟裳岬を越
えて、シブチャリ(静内)に集まってきた。
 シブチャリに着く頃までには800人ほどに膨れ上がった。
このような戦いで集まる集団は初めてであった。しかし、群集心理も重なり武器や食糧
を手にしているので、意気盛んであった。
 

 7月中旬、いよいよシブチャリに集まった800人が動き出した。
 
  「   和人船襲撃により、松前までの食糧と武器は手に入れた。
        東も西も島中のアイヌは同心となった。
        更に仲間を増やし、一挙に松前まで攻め入ろう。
         シコツ(苫小牧)には石狩と余市の衆が待ち、
       ノダオイにはセタナイや内浦の衆が待っている。

                さあ出発だ                   」

        シャクシャインが大号令をかけたのである。

  (写真は、霊送りの化粧ょ終えた熊の神)

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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