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アイヌ民族の蜂起 35

 シャクシャインの戦い(9)

  シャクシャイン達の一行を悩ませたのが「虻田の礼文華・静狩峠」であった。
 
礼文華・静狩峠の海沿いは、崖が垂直に切り立っており、人も獣も海沿いを避けて
山越えをしなければならいな難所であった。

 

 明治時代に入り開拓使がケプロンの提案で札幌本道(札幌から函館)の開削
    をおこなうが、この峠を避けて室蘭からは航海で森町につけた。

更に、明治10年イギリスの女性探検家がこの「礼文華山道」を越える旅の記録がある。
    「峠の距離は15キロ。馬に乗っても一時間に一マイル(1.6キロ)」
  急峻な断崖が続くため、峰を歩くことでしか通過できないという記録があるところで
   難所であった。
     礼文華山道とは、有珠火山の南麓、現在の洞爺湖町から静狩
      (しずかり 長万部の東街)に至る約40kmをいう。
 
 武器と食糧を持ったアイヌの軍団がこの悪路で分断されてしまう。
  今でも、この静狩峠を越えると長万部平野が眼下に見渡せる。
     その先には太平洋が大きく広がってくる。
     峠を降りて、海岸を南下するとそこは国縫であった。


(写真は、木幣)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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