2011/08/19 00:05:57
北海道の歴史(年表)明治3年~明治5年
1870年(明治3年)
2月13日 | 樺太開拓使を置く。 | ||||||
5月13日 | 淡路で庚午事変(稲田騒動)が起きる。 | ||||||
5月17日 | 北海道に屯田兵が入植する。 | ||||||
9月25日 | 囚人に刺青することを廃止する | ||||||
※ | 函館外人墓地・嘉永7年(1854)、ペリー艦隊来航のとき死んだ2人の水兵の埋葬場所に提 | ||||||
供したのがここでした。在函5ヵ国の領事からの要望で正式に外国人墓地として定められ | |||||||
道をはさんで山側がロシア人墓地。海側のプロテスタント墓地にはイギリス・ドイツ・ | |||||||
アメリカ・イタリア。 | |||||||
※ | 伊達市の開拓<伊達邦成・仙台藩領亘理領主> | ||||||
※ | 苗穂村・丘珠村開拓<山形県人> | ||||||
※ | 大友亀太郎は札幌を去り故郷である神奈川県小田原市へ |
1871年(明治4年)
5月2日 | 稲田家臣団静内郡へ移住。総勢1137戸546人。 | ||||||
7月14日 | 天皇は在京56藩知事を集め、廃藩置県の詔書を出す(3府302県とする) | ||||||
8月 | 廃藩置県の実施 | ||||||
9月20日 | 戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗 | ||||||
せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、木古内町のサ | |||||||
ラキ岬沖で座礁。乗船者は難を逃れましたが、咸臨丸はその数日後に破船沈没。 | |||||||
11月22日 | 全国を3府72県と改める。 | ||||||
※ | 本願寺道路(現在の国道230号の前身)が開通 | ||||||
1870年東本願寺代表現如らによる北海道開拓活動として伊達~札幌を直結する通称 | |||||||
「本願寺道路」の開削工事を開始。一年余で完成させる。当時のルートは厳密には | |||||||
伊達市から洞爺湖沿岸を経た後に現在の230号線ルートに入り、旧平岸村へ至る街道。 | |||||||
※ | 北海道で初めて米作りを成功させた中山久蔵は島松(現北広島市)に開墾で移り住む。 | ||||||
※ | 篠路村に本道初のみそ・しょうゆ醸造所が造られた。 |
1872年(明治5年)
1月6日 | 榎本武揚、函館戦争の罪により入獄中、黒田清隆の助命運動により出獄 | |||||
1月29日 | 初の全国戸籍調査、総人口331万825人。 | |||||
2月 | 福沢諭吉「学問のススメ」初編出版。 | |||||
2月28日 | 兵部省を廃し、陸軍省・海軍省を設置 | |||||
3月7日 | 特旨にて榎本武揚の罪を赦す。 | |||||
6月24日 | 北海道手宮港を小樽と改称。 | |||||
7月19日 | 参議西郷隆盛、陸軍元帥となり、近衛都督を兼任する。 | |||||
9月12日 | 新橋・横浜間鉄道開業式(鉄道記念日) | |||||
9月 | 永山武四郎開拓使に移り、北海道開拓使八等出仕となる。 | |||||
11月28日 | 徴兵の詔書出される。 | |||||
※ | 簾舞通行屋(みすまいつうこうや)は、本願寺道路の公営宿泊施設として建築された。 | |||||
※ | 開場北海道産馬の改良を目的として日高管内の静内・新冠・沙流の三郡に及ぶ | |||||
約7万ヘクタールの広大な用地に創設(新冠御料牧場の前身)。 | ||||||
※ | 伊達小学校の前身 岡村広前に「由学塾」を開設。 | |||||
※ | 篠路小学校前身 篠路教育所を開設。 | |||||
※ | 「北海道土地売貸規則」,「地所規則」土地を売り下げて地券を渡し私有地とする。 |
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