忍者ブログ
2024 05
≪ 2024 04 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 2024 06 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



北海道人のルーツ 

 

明治2年

<北海道分領支配制度>

 北海道全土にわたって開拓を推し進めるには、開拓使だけ
ではで
到底できるものではありませんでした。
 新政府は、ばく大な経費を必要と
する開拓事業を分領支配
(北海道を11カ国86郡に分割)による開拓
方法をとることに
しました。
太政官は明治2年7月22日に分領を出願制としましたが、藩
出願したのは15藩。強制的に命じられたのは9藩でした。
    分領支配の条件は財政負担の大きいものでした。
       
1.支配地の指定、変更などに、介入。
         2.開発経費などは藩の負担。
        3.司法権の政府掌握。

 

最初の出願は、明治2年8月7日、水戸藩知事徳川昭武。

天塩国苫前郡、天塩郡、上川郡、中川郡と、北見国利尻郡5郡

の支配を命じられ以後、順次分領支配が展開します。
  開拓使の直轄は20郡、その他各藩と東京府・兵部省・増上寺

・仏光寺などに分領しました。

 

そうして、出願してきた士族団体がありました。

伊達邦成・伊達邦直・片倉那憲伊達広高
     石川邦光・
亘理胤元・五島銑之丞・稲田邦植

の8士族。大半が戊辰戦争の「敗残兵」でした。
士族としては、新たな領土支配と家来の生活を賭けた希望の
出願でした。しかし、自費であることと原始林の開拓は簡単な
ものではありませんでした。
 最後まで支配地を維持しはのは13藩2華族6士族2寺院。
このため、明治4年廃藩置県の直後にこの制度を廃止し松前
藩(館県)を除いて全土を直轄となります。
士族団体の領土支配の夢は2年で崩れてしまいます。

PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
HN:
上家二三夫
性別:
男性