2011/09/04 00:19:00
明治6年 <ベンジャミン・スミス・ライマン> 夕張炭鉱
<ベンジャミン・スミス・ライマン>
明治6年1月17日来日すると、東京芝に創設されたばかりの開拓使仮学校
(札幌農学校-北海道大学の前身)において教鞭をとる。
同年4月17日、北海道に向けて横浜を出航する。
3年に及ぶ北海道全島調査は、その名目こそ地質調査であったが、地形測量
すなわち地図作成という難行をともなう「道無き道を進む」苛烈なものだった。
多くの困難を乗り越えそれを完遂すると,新生明治日本の将来に順風を送る
幌内炭田群(石狩炭田)の発見報告などとともに,1876(明治9)年5月10日,
日本最初の広域地質図幅「日本蝦夷地質要略之図」を刊行して日本地質学史に
金字塔をうちたてる。
夕張炭鉱 ⇒ ライマンが石炭調査を行った場所にできた炭鉱。
北炭夕張炭鉱 ⇒ ライマンが石炭調査を行った場所にできた炭鉱。
<ベンジャミン・スミス・ライマン>
明治6年1月17日来日すると、東京芝に創設されたばかりの開拓使仮学校
(札幌農学校-北海道大学の前身)において教鞭をとる。
同年4月17日、北海道に向けて横浜を出航する。
3年に及ぶ北海道全島調査は、その名目こそ地質調査であったが、地形測量
すなわち地図作成という難行をともなう「道無き道を進む」苛烈なものだった。
多くの困難を乗り越えそれを完遂すると,新生明治日本の将来に順風を送る
幌内炭田群(石狩炭田)の発見報告などとともに,1876(明治9)年5月10日,
日本最初の広域地質図幅「日本蝦夷地質要略之図」を刊行して日本地質学史に
金字塔をうちたてる。
夕張炭鉱 ⇒ ライマンが石炭調査を行った場所にできた炭鉱。
北炭夕張炭鉱 ⇒ ライマンが石炭調査を行った場所にできた炭鉱。
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