新ひだか町 2
○新ひだか町静内郷土館
日高郡新ひだか町静内古川町1-1-1
・北海道指定有形文化財
「静内御殿山墳墓群出土の遺物」
・新ひだか町指定有形文化財
「静内中野式土器」
・日本国初幕府ロシア留学生・山内作左衛門による
静内川踏破の記録「染退水源之記」
・吉永小百合主演映画「北の零年」のモデル、
徳島藩家老・稲田邦植とその家臣団の「静内移住関係資料」
○新ひだか町三石郷土館
日高郡新ひだか町新ひだか町三石本町212
・旭町1遺跡出土、縄文時代晩期(約3,000年前)の「壷形土器」
○新ひだか町アイヌ民俗資料館
日高郡新ひだか町新ひだか町静内真歌7-1
・新ひだか町指定有形文化財
「エゾオオカミ」(頭蓋骨)
・アイヌ民族の外洋船「イタオマチプ」
・館の前庭「アイヌ野草園」
新冠町
ハイセイコー、オグリキャップ、マヤノトップガン、ナリタブライアン
を生んだ競走馬のまち「新冠町」。
しかし、レコード好きの若者たちの「レコードを失いたくない」という声
から始まった運動が町を動かし、「レ・コード館」の設立となり新冠町
のまちづくり全体のコンセプトとなった。
サラブレッド銀座とレ・コード館、道の駅、レ・コードの湯が
新冠町観光の中心。
膨大なレコードライブラリーを中心に、20世紀の音楽文化を伝える
「聴体験文化交流施設」。
ミュージアム、レ・コードホール、リスニングブースなどがある。
館内では全国から集まったレコードコレクションをすべての人に開放しており、
レコードに関する様々な歴史、進化の様子を体験することができる。
また展望タワー「優駿の塔」では新冠の町並みや牧場風景、日高山脈から太平洋まで360度のパノラマで見ることができる。
三石町
三石町(みついしちょう)は、北海道の日高支庁管内に
設置されていた町。
町名はアイヌ語の pit-o-usi「ピトウシ」(小石の多い土地の意)で、
これが転訛して「みついし(三石)」となったとする説などがある。
三石昆布が名産。
2006年3月31日に三石町が静内郡静内町と合併し、日高郡新ひだか町
となったため消滅。
沿革
江戸時代の三石郡域には、松前藩によってミツイシ場所が開かれていた。
陸上交通は、渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る道(国道235号の前身)
が通じていた。
江戸時代後期、三石郡域は東蝦夷地に属していた。
国防のため寛政11年三石郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復した。
三石神社は文政9年よりも前の創立。
また、天保7年7月15日には稲荷神社も創立されている。
安政2年三石郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。
1869年三石郡が置かれる。北海道日高国に属した。
二風谷ダム 8
被告である北海道収用委員会と事業主体である国は
控訴を行わず、判決は確定する。
この判決はアイヌ民族を先住民族として認めた画期的なものであり、
7月には政府が差別的法律として悪名高かった北海道旧土人保護法
を廃止し、アイヌ文化保護を目的としたアイヌ文化振興法が成立。
アイヌ民族長年の悲願が実現した。
同時にアイヌ文化振興・研究機構が発足し、萱野が1991年(平成3年)
に立てた二風谷アイヌ文化博物館を水源地域対策特別措置法の
国庫補助対象としてアイヌ文化・アイヌ語伝承や文化財保護の拠点として拡充させた。
建設省はさらにアイヌ関係者との間で既に合意していたチプサンケの代替地を8月に
完成させ、これと連動する形で二風谷湖水祭りが同時開催されてアイヌ文化に触れ
合う機会を整備した。
二風谷ダム 7
裁判には事業主体である国も補助参加しているが、アイヌ民族を先住
民族とするかどうかの認否はこの裁判では不要であると主張した。
ダム自体は本体工事に着手していたが建設省は萱野らアイヌ関係者の
意見を容れて1996年(平成8年)にはダムに試験的に貯水を行って異常
が無いか確認する試験湛水(たんすい)終了後、全ての貯水を放流する
という異例の操作を行い、アイヌの伝統行事であるチプサンケを湖底で執
り行うようにした。
翌1997年(平成9年)に二風谷ダムの建設は完了し二風谷地区は水没し
たが裁判は継続され、同年3月27日に二風谷ダム建設の是非について札幌地裁は判決を下した。
この中で札幌地裁は土地の権利取得裁決の取消しなどを求めた原告側の訴えをいずれも棄却
したが、「工事のための土地取得などはアイヌ民族の文化保護などをなおざりにして収用を行っ
たことにより、土地収用法第20条3号の裁量権を逸脱している」として収用は違法である判断した。
その上で既にされた収用裁決を取り消すことが「公の利益に著しい障害を生じる」として判決には違法を明記するものの、原告の請求を棄却した。
「「(事情判決(行政事件訴訟法31条1項)また、アイヌ民族を国の機関としては初めて先住民族として認めた。基本的には原告敗訴であるが裁判費用は国と北海道収用委員会が負担することとなった。
二風谷ダム 6
アイヌ関係者のうち萱野茂と貝沢正の両名はアイヌ文化を守るため
頑強にダム建設に反対。
所有する土地に対する補償交渉に一切応じず補償金の受け取りも
拒否した。
このため北海道開発局は両名への説得を断念し土地収用法に基づき
1987年(昭和62年)に強制収用に着手した。
これに対し両名は強制収用を不服として1989年(平成元年)に収用差
し止めを事業者である建設大臣に求めたが1993年(平成5年)4月に
これは棄却された。
請求棄却に反発した両名は翌月土地収用を行う北海道収用委員会を相手
に札幌地方裁判所へ行政訴訟を起こした。
いわゆる「二風谷ダム建設差し止め訴訟」である。
両名とその弁護団はダム建設の差し止めを求めたが、真の目的はアイヌ民族の現状
を広く一般に認知させ、アイヌ文化を国家が保護・育成させることであった。
この間萱野は日本社会党の参議院議員([比例代表区]])として国政にも参与している。