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雄武町(おうむちょう)

5,004人(人口、2009年6月30日)

雄武町(おうむちょう)は、網走管内の北部に位置する町。f54ddbef.gif

町名の由来は、アイヌの「オムイ」(河口が塞がるの意)から。

大正4年紋別郡雄武村、幌内村、沢木村が合併、二級町村制、
紋別郡雄武村

 

 オホーツクの海岸線(32Km)沿いに伸びる雄武町は、沢木、雄武、
元稲府、幌内の4つの港をもつ港町でメジカ(秋サケ)、ホタテ、毛ガニ
などの海の資源が豊富なところであり、育てる漁業にも力を入れてい
ます。
また、酪農業も盛んで大規模草地をはじめ、グリーンの草地には乳牛、
そして肉用牛の育成牧場があちこちにあり、自然ののどかさと素晴らしさを味わう事が出来るところです。
 
 

d0f157c7.jpeg  日ノ出岬

  オホーツク海がオレンジ色に染まる日の出で知られる。岬にはキャンプ
  サイトやコテージ、日の出岬ホテルが設置されている。アトピー性皮膚
  炎に効果があるとされ、遠方から訪れる人も多い。

  
日の出岬を舞台として開催されるサンライズ・ケープ・カーニバルにはこ
   の日のために、各地から集まってきた車と人、キャンプをする人たちで日の出岬がいっぱいになります。
 

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西興部村(にしおこっぺむら)

1,169人(人口、2009年6月30日)

西興部村は網走管内の北部に位置する村で興部町の西部、内陸部に位置する。

網走支庁管内では唯一の「村」。nisiokoppemura.jpg

 

紋別市から内陸に約40分走ると突然、山々に囲まれた夢の国が現れる。

村内の主な建物はシンボルカラーのオレンジ色に統一され、遠目からで
もはっきりとわかる。


 西興部村は酪農と木材のまち。
天塩岳道立公園のウエンシリ岳を始め、それに連なる山々の豊かな森林
資源を活用した野外遊戯施設の整備や木材の加工をすすめている。
基幹産業は酪農。農業に就労する者の数は人口の1割もいないが、近年は
1戸あたりの規模が大きい農家の割合が高くなっている。
人口に占める高齢者の割合が非常に高いため就労者は人口の半数ほど。
村内の主な企業は土建業に椎茸栽培工場にギターのボディを製造する工場である。
特別養護老人ホーム、知的障害者福祉施設があるためそれらに就労する者の割合が高い。


                                          474734dc.jpeg
村営の施設には森の美術館「木夢(こむ)」や森の中のホテル「森夢
   (リム)」、マルチメディア館「IT夢(アトム)」、道の駅「花夢(かむ)」
    など、「夢」がつけられ、夢を大切にする村のメッセージが感じられる。
    また、西興部村長が考案した、村自慢のラーメンやカレーなどもあり、
    小さ くともきらりと光る個性的なまちだ。

    鉄道は村内を通らない。かつては名寄本線が通っていたが、1989年
                                           に廃止されている。
上興部駅、西興部駅、六興駅、中興部駅があった。
                                           
現在、最寄りの駅は宗谷本線名寄駅。

 



興部町(おこっぺちょう)

4,383人(人口、2009年6月30日)55f9863d.gif

興部町は、網走管内の北部に位置する町。「おこっぺ牛乳」が有名。

町名の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)から。

 

興部町は、宝永年間に松前藩の漁場として支配され明治22年に初めて、
沙留(さるる)に和人が定住、同31年に石川、高知、富山など各県より
入地者が来住して本格的に開発が進められました。

明治42年、雄武より字興部を、紋別より字沙留、ルロチの2ケ村を分割
併合して、興部村外2ケ村長役場が設置されました。

大正4年、北海道2級町村制が施行され興部村となり、その後、大正10年、
国鉄名寄線が全通し、農業、林業、漁業の飛躍的発展をみるに至りました。

大正14年、興部村から西興部村を分村したが、農林漁業の発展とともに商工業も次第に発展し、昭和26年に町制が施行され、今日に至っています。

 

ph_kan_momo_mil.jpgモーモー城と風車

興部町のシンボルとなっているお城のような建物、正式名称は『オホーツク農業科学研究センター』です。

ここでは、各種研究や分析などを行っています。
隣接されている風車は、『興部町風力発電所』。「自然と共生するする地域社会の形成」を目標とし、平成13年3月26日に完成しました。この景色を写真に撮す人の姿もたくさん見かけます。丘から眺める夕焼けや夜景はとても綺麗。



上湧別町(かみゆうべつちょう)

5,528人(人口、2009年6月30日)

 

上湧別町(かみゆうべつちょう)は、網走支庁管内中部に位置する町。d8f55da3.gif

町名の由来は、
 旧湧別村分割時に湧別川の上流側の位置にあったことから

 
上湧別町の歴史はオホーツク海にそそぐ湧別川河口からはじまる・・
明治当初、未開の地であったこの地域にわずかの和人が住み着き、
先住民であるアイヌの人たちと共に、漁業や狩猟、そして農場を営ん
でいた。
本格的に開拓の鍬が入ったのは、明治30、31年。全国より北辺の開
拓と警備の任務に志した屯田兵が移住し、総勢399戸の集落が築き
上げられ近代社会が発展していくことになる。

明治39年には湧別村が誕生。明治43年に分村し「上湧別村」が誕生(分村当時1,230戸5,833人)。
その後、鉄道・名寄本線が大正11年に、昭和28年に湧網線が全線開通し、交通の要衡として発展してきた。
現在は相次ぐ鉄道の廃止を契機に本町の特性をさらに活かした観光産業を推進しながら21世紀を迎えました。平成17年10月には、「屯田兵村と兵屋」が道民が選んだ北海道遺産に認定されました。

 

555c9e8a.jpeg   北海道のオホーツク海沿岸、サロマ湖のやや内陸側に位置
    し、湧別原野と清流湧別川の恵みを受けた「花と緑あふれる
   自然豊かなまち」。
 主産業は、畑作と酪農による農業が中心。また、チューリップ
   の栽培、日本最北のリンゴの産地としても知られています。

 観光は、「チューリップ公園」が有名で毎年5月上旬から6月上
旬かけて「チューリップフェア」が開催され、多くの観光客で賑わいます。
また、平成14年4月には道の駅に指定された「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」がオープンし、周辺の五鹿山公園(キャンプ場・パークゴルフ場・スキー場)やリバーサイドゴルフ場などと併せ、四季折々の自然を楽しめます。
 その他、漫画美術館や漫画本のある図書館が併設した「文化センターTOM(トム)」や屯田兵開拓史を綴った博物館「ふるさと館JRY(ジェリー)」など文化施設も充実しております。



湧別町(ゆうべつちょう)

4,838人(人口、2009年6月30日)

 

湧別町(ゆうべつちょう)は、網走管内中部、オホーツク海沿岸に
位置する町。08dd9093.gif

湧別とは、アイヌ語「ユペ」から出たものと言われ、鮫(鮭のこと)を意味し、
鮫が多いところから名付けられました。

明治30年、紋別村外9ヶ村戸長役場(現紋別市)より分離・独立し、
湧別村戸長役場を設置。

湧別町は北海道の東北部、オホーツク海沿岸のほぼ中央部に位置し、
東に道内で一番大きな湖であるサロマ湖を擁し佐呂間町・常呂町と接し、
西はシブノツナイ川を境として紋別市に続き、南は上湧別町・遠軽町・
生田原町に接し,北はオホーツク海に面しています。

日本を囲んでいる海の中で唯一寒流だけの海です。

1月下旬ともなるとシベリアのアムール川の水が凍ってできた流氷が南下し,北海道のオホーツク海沿岸に接岸します。
3月下旬には流氷が沖合に去る海明けを迎え,冬の間陸揚げされていた多くの漁船が豊かな春のオホーツク海の海の幸を求めて海に戻ります。そんな3月下旬の寒暖差の激しい日の早朝にはオホーツク海から昇る太陽が四角く見えることがあります。

 
4b90a000.jpeg

  鶴沼原生花園(サンゴ岬)

  湧別市街から龍宮台への道を右手にはいるとサンゴ岬の名で親
  しまれている鶴沼原生花園のサンゴ草群生地へ行くことができま
  す。
   駐車場から吊り橋を歩いて渡ると一面にサンゴ草(学名アッケシ
   ソウ)がじゅうたんのように広がっています。
   9月下旬から10月にかけてが見頃です。


置戸町 

3,463人(人口、2009年3月31日)f38fc19b.jpegを山に囲まれた常呂川の最上地域位置。

上流には鹿ノ子ダムがあり、山合いに「おけと湖」がある。

町の総面積の8割以上を占める。

丘陵地や平地では酪農、畑作が盛ん。

 

1915年(大正4年)4月 野付牛村(現北見市)から分村、置戸村となる。

置戸町(おけとちょう)は、網走支庁管内の常呂郡にある町。

町名の由来は、アイヌ語の「オケトウンナイ」(鹿の皮を乾かすところ)から。

 

農業(畑作)、酪農、林業が発達。

テンサイ、小麦、ジャガイモ、タマネギ、豆、メロンなどが生産される。

ヤーコンの市町村別生産量では全国一を誇る。

地元で産出される木材を生かした木工工芸品「オケクラフト」の生産も盛ん。

 

oke03.gif  鹿ノ子ダムとおけと湖

  昭和58年に完成した鹿ノ子ダムによってせき止められた周囲13.4キロ
  の人造湖。
   まわりを豊かな森で囲まれた大自然の中の湖。
 
ここは、野鳥や野草の宝庫と言われています。また、夏はヤマメやアメ
  マス、冬はワカサギやニジマスを釣ることができます。

 



サロマ湖

サロマ湖(さろまこ)は、北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡湧別町にまたがる湖。49e21cc0.jpeg

佐呂間湖、猿澗湖など複数の標記がなされるが、いずれも同じ湖をさす。

面積は約152km²で、道内で最も大きな湖であり、琵琶湖、霞ヶ浦に次い
で日本で3番目に大きく
汽水湖では日本最大である。

オホーツク海の湾入部が堆砂によって海と切り離された海跡湖。

豊富な海産物を求めて古くから集落ができており、特に常呂町栄浦では
続縄文時代からオホーツク文化、アイヌ文化と続く建物跡やそれに伴う
遺物が狭い範囲から多量に発掘されており、考古学的に貴重。
 

かつては恒久的な湖口を持たず、春になると砂州東端の鐺沸(とうふつ)
近くに湖口が開き、秋になると漂砂で閉塞していた。湖水位の上昇を防ぐ
ため、毎年融雪期になると住民達は人為的に湖口を開削していた。

1929年、湧別町の住民達が西寄りにある三里番屋付近に新たな湖口を試削したところ、これが永久湖口となり、以降鐺沸湖口が開かれることはなくなった。

1979年には常呂町(現・北見市)側に第二湖口が開かれた。

永久湖口の開削以降サロマ湖への海水の流入は増え、湖水の塩分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り込むようになった。

佐呂間町

6,040人(人口、2009年3月31日)

 

佐呂間町(さろまちょう)は、網走支庁管内の常呂郡にある町。1cc59ad2.gif

常呂郡には、訓子府町(くんねっぷちょう)・置戸町(おけとちょう)
・佐呂間町(さろまちょう)の3町。

 

町名の由来は、アイヌ語の「サロ・オマ・ペット(葦のあるところの沼)」
から"サロマ"となり、大正4年に"佐呂間町"と和文に転用したもの。

 

明治27年、青森県東津軽郡出身鈴木甚五郎が浜佐呂間に入植、
半農半漁の営みに始まり、大正15年定期バス、昭和11年の鉄道の
開通などにより人口が急増、昭和28年町制施行により佐呂間町となった。

 

農産物はバラエティに富み、かぼちゃ、小麦、ビート、ジャガイモ、豆類など
『サロマ発』の農産物は全国各地に送られています。
また、わが町は特に酪農家が多くそのスタイルはヨーロッパ的であり、人口よりも牛の数が多く、特に乳牛が主流を占めています。

 

サロマ湖とオホーツク海。 

2つの『うみ』を有する佐呂間町は、近い将来の資源枯渇に対処するため、いち早く栽培漁業への転換を図りました。なかでも「ホタテ」は高い品質とコンスタントな生産量を誇り、広く海外にも出荷されています。

このほか、北海シマエビ、ウニ、カキなどの養殖も着実に伸びており、どれも味は絶品です。


女満別空港

(めまんべつくうこう)250px-Memambetsu_airport01.jpg

 

女満別に飛行場が設置されたのは、冷害克服のためオホーツク海
の流氷や、気象観測を飛行機で行おうとしたことがきっかけです。

 中央気象台は静岡県清水市三保出張所の根岸錦蔵気象観測隊員
を派遣し、女満別村営の競馬場を滑走路に選び、村民総動員の協力
により突貫工事で飛行場を完成させました。

 こうして、昭和10年(1935年)3月23日に女満別の空に初の流氷
観測機が飛び立ったのです。


●昭和18年 海軍美幌航空隊第2基地となる。
●昭和33年 第3種空港として供用開始(1,200m)
●昭和60年 新女満別空港供用開始(2,000m)
●平成 6年 空港施設変更(滑走路2,500mに延長)許可。
●平成 9年 年間乗降客数100万人突破。
●平成12年 滑走路2,500m供用開始。
●平成18年 空港ビル増築



大空町

8,359人(人口、2009年3月31日)

 

大空町は、平成18年3月31日、女満別町と東藻琴村が合併して誕生しましたozora.gif
オホーツクの空の玄関「女満別空港(めまんべつ)」を擁し、網走湖、藻琴湖、
藻琴山、メルヘンの丘、芝桜公園など四季の自然が豊かな町です。

 

町名は住民からの公募に基づいて決定されたもので、網走支庁管内南部
の空の玄関である女満別空港があることに因む。

主幹産業は農業で、麦類、じゃがいも、甜菜(グラニュー糖の原料)、
豆類、野菜で、その他には日本最東端の米など多岐にわたって栽培
されています。

北東部の網走支庁管内に位置し、東は小清水町、
西は北見市、南は美幌町、北は網走市と接し、網走国定公園と
阿寒国立公園に囲まれております。


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
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