ポロトコタン
(白老)
白老は、古くからアイヌコタン(集落)のある場所として知られ
アイヌの人々は漁猟生活を営みながら、独自の文化を築き上げてきました。
ここポロトコタンは美しい自然と共に
アイヌ民族の足跡をいまに伝え見て、触れて体験できる
アイヌ文化伝承の里です。
アイヌ民族博物館
アイヌ文化の伝承・保存、並びに調査・研究、教育普及事業を
総合的に行う社会教育施設として、
1976年、財団法人白老民族文化伝承保存財団として設立されました。
1984年には、アイヌの有形・無形文化を展示し、さらに学術的に調査・研究
を行う施設としてアイヌ民族博物館を並置・開館させ、
1990年に現「財団法人アイヌ民族博物館」に改称しています。
野外博物館の性格をもつ園内は、近代ゾーンとコタンゾーンに分かれ
コタンゾーンにはかつてのアイヌの住家であったチセや、プ(食料庫)
ヘペレセッ(子グマの飼養檻)、チプ(丸木舟)などを復元・展示して
アイヌのコタン(集落)を再現し、チセにおいては、アイヌの歴史と文化
についての解説、並びにアイヌ古式舞踊の公開を常時行っています。
運搬船「万字丸」に下級船員として乗り組み、室蘭にやってきた。
その時の体験は、大正12年、治安容疑で服役中の名古屋の刑
務所で、毎日検問を受けながら書き上げられ、プロレタリア文学
の名作「海に生くる人々」として後に世に出される。
この小説には、今も存在する菓子屋の東陽軒(小説では東洋軒)をはじめ、
当時の室蘭の港や町の様子が描かれている。
そして、けがをして手当てを受けた町立病院の院長は、八木義徳の実父、
田中好治である。また、「鴨猟」では室蘭港を描いている。
小樽出身の小林多喜二はこの「海に生くる人々」など葉山の作品から大きな影響を受け、
「蟹工船」を書き上げたという。
高さ1m、幅4m、奥行き2mの台座の上に、海を背にして高さ2m、幅3mの有珠山の
安山岩の主碑と高さ1.1m、幅1.4mの黒御影石の副碑、そして日高石の添え石の三つが、
ここちよい風に吹かれながら、入江臨海公園に建っている。
碑文は、「海に生くる人々」の有名な書き出しの一節で、元室蘭市長で書家の
長谷川遅牛の筆によるもの。
碑の建っている場所は、かつて石炭積み出しの船が出入りして栄えた、港を埋め立てた
ところであり、この碑は単に文学碑であるだけでなく、室蘭港を開発した多くの先達の顕彰碑でもある。
碑は建立期成会が中心となって、港を愛する多くの人の善意によって建てられ、
葉山の41年目の命日である昭和61年10月18日に、菊枝夫人や長女、出生地の福岡県豊津町
の町長、室蘭出身の芥川賞作家、八木義徳氏らを招いて除幕式が行われた。
林瞬祥らの招きで昭和31 年と32 年に来蘭し、作品の展示会や実演を行った。
志功の偉業を後世に伝えようと、日本最初の版画碑を、青森県会の神惣太次郎会長
が中心となって昭和32 年8 月20 日に水族館構内に建立した。
噴火湾を囲む雄大な自然を描いた青銅の鋳型が埋め込まれていた碑は、老朽化が進み
線も不鮮明になったことから平成9 年6 月に移され新たな碑として港の文学館敷地内
に建立された。
真ちゅう製の複製板画がはめ込まれている。
で、よく「鉄のまち室蘭」と称されてきた)を中心に、造船、石炭の積み出し、
石油精製などで発展した、北海道を代表する重化学工業都市である。
たが、基幹産業ともいうべき新日本製鐵や日本製鋼所等での大規模な
合理化で2005年の国勢調査で58年ぶりに10万人を下回った。
輪西製鐵場として発足した。
写真は
歴史的な火入れを行った。
7月21日送風を開始し、室蘭製鉄所では、この日を起業記念日と定めた。
地球岬展望台 (ちきゅうみさき)
八景とは
①室蘭港の夜景 ②測量山の展望 ③黒百合咲く大黒島
④絵鞆岬の景観 ⑤金屏風・銀屏風の断崖絶壁
⑥マスイチ浜の外海展望 ⑦地球岬の絶景
⑧トッカリショの奇勝
地球岬は昭和60年「北海道の自然百選」(朝日新聞)で
得票第一位となった。
その他、各新聞社の「新日本観光地百選」でも選出されている。
1920(大正9)年4月1日に点灯された灯台は、
海面から120メートル余りの絶壁の上に立ち、沿岸航行船舶の
目標としても重要な役割を果たしています。
地球岬展望台は、ユニークな建築で、訪れる人々の目を楽しませており、
晴れた日には遠く、駒ケ岳、恵山岬や下北半島も眺望できる国内でも有数の景勝地です。
地球岬展望台 (ちきゅうみさき)
室蘭市
室蘭市は、慶長年間(1596~1614)、絵鞆(えとも)半島
に松前藩の絵鞆場所が開かれたのが歴史の始まり。
1856(安政3)年、絵鞆の対岸に南部陣屋、その西に
幕府直轄の室蘭場所が生まれ、北部地区が中心となって
栄えた。
1872(明治5)年、北海道開拓計画の第1歩として
函館~森~室蘭~札幌を結ぶ札幌新道が開通する際、
トキカラモイ(現・海岸町)に木造桟橋を築いたのが室蘭港。
以来、室蘭~森間の定期航路の開設や、岩見沢までの
鉄道敷設などで、本州と北海道を結ぶ海陸交通の要所として
発展し、1922(大正11)年に市政が施行された。
市名は、アイヌ語の「モ・ルエラニ」(小さな坂道の下りたところという意味)から転化したもの。
室蘭市室蘭市
「白鳥大橋」は、室蘭港に架かる北日本最大の吊り橋で、その名のとおり
白鳥が翼を広げたような美しい姿をしている。
胆振支庁
(現胆振総合振興局)
「いぶりしちょう」は北海道の14支庁の一つ。
支庁所在地は室蘭市。
人口約42.7万人。
11の市町で成り立っている。
西から豊浦町・洞爺湖町・伊達市・壮瞥町
・室蘭市・登別市・白老町・苫小牧市・平安町
・厚真町・むかわ町。
胆振支庁
日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振金且(金辺に且と書きます)
(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事からという説と、
明治初年、松浦武四郎が、北海道の国郡名について
「噴火湾の山越内から沙流境までを一国にしたい。その中で、勇払は大場所
でアイヌも多いから、中心地としたらよい」とし、
その国名としては「日本書記の胆振に気が付いたので、“胆振”でいかがでしょうか」
と北海道開拓使長官に建議したことからという説がある。
「夢の島」「宝の島」と呼ばれ、明治末期まではニシン漁が
主体であったが、近年はイカやホッケの近海漁業や、ウニ、アワビ
を中心とした磯根漁業が主であり、その豊富な海の幸を求めて
観光客が増え、水産業と観光業に力が注がれている。
奥尻港湾、奥尻空港の整備、江差・せたな間の定期フェリー就航
など、交通面を中心に島の生活環境の整備も進んでいたが、
沿った防災対策をはじめとする復興をわずか5年間で果たすことができ、
平成10年に「完全復興宣言」をするに至った。
「フットパス」とはイギリスで発祥したもので、「遊歩道」という意味が あり、
人々が自由に農村や市街地などのコースを歩き、景観を楽しみ、
その「地域を知る」、「地域とつながる」といった意味もあります。
「奥尻フットパス」は奥尻島の資源の掘り起こしを進め、魅力ある資源を
どのように見せるかなどを実際に現地を歩き、島内に3コースを設定してあります。
奥尻島フットパスホームページ http://www.okushiri-foot.jp/
を記念して顕彰碑を開業地跡に建立しました。
整備した荻野吟子公園内に顕彰碑を移設しています。
その他荻野吟子にまつわる施設として「荻野吟子 開業の地碑」
「瀬棚郷土館」には女史が日常生活に使用した遺品の数々や
医学的にも貴重な資料が展示保存されています。
小説「花埋み」、NHKテレビ「風雪」などでも紹介されています。
遺品や2千年以上も前の竪穴式住居跡や石器・ニシン漁が盛んだった頃の
漁具や操業船などが展示されています。
○期間:5/1~11/30
○時間:10:00~17:00
○休業日:毎週月曜日
○料金:大人300円 小人150円(10名以上の団体は2割引)