苫小牧港
苫小牧港(とまこまいこう)は
苫小牧市から勇払郡厚真町にわたる港湾。
主に工業港を担う西港区と、主に物流基地を担う東港区からなる。
西港区は国内初の内陸堀込式港湾として工事が行われた。
貨物取扱量では国内第5位であり、北海道全体の港湾貨物取扱量
の40%以上を占める。
西港区にあるフェリーターミナルからは、
八戸、仙台、大洗、東京及び名古屋港を結ぶ
太平洋航路のフェリー(13隻)が発着し
年間65万台の車と72万人の人々が行きかっている。
フェリーの離着岸の様子は
フェリーターミナル3階の送迎デッキや2階のレストランから見ることができます。
また、ターミナルビル3階には、「ミニポートミュージアム」があり
ここではみなとの歴史を説明したパネルや写真がたくさんあるほか
苫小牧港のジオラマやフェリーの大きな模型も展示されている。
苫小牧市科学センターミール展示館
平成10年9月、ロシア(旧ソ連)の宇宙ステーション「ミール」と
実験モジュール「クバント」の予備機が、苫小牧市科学センター
に設置されました。
これは、苫小牧市市制50周年を記念して、将来の苫小牧を担う
子供達のためにと岩倉建設株式会社より苫小牧市に寄贈された
ものです。そして翌平成11年12月、展示保管施設として「ミール展
示館」がオープンしました。
ミールは1986年2月に旧ソ連が打ち上げた世界初の長期滞在型
の宇宙ステーションでミール本体に6個のドッキングポートを持つこ
とにより巨大な宇宙構築物を作ることに成功し無重力環境での様々
な実験を行い大きな成功を収めました。
しかし設計寿命の5年を遥かに超えた15年の運用で老朽化し2001年3月23日14時57分、
ニュージーランド東方2、000kmの南太平洋に落下しその使命を終えました。
1986年にミールが打ち上げられてから延べ100人以上の宇宙飛行士が滞在し、
最終的に地球軌道を86331回周回したことになります。
ウトナイ湖
ウトナイ湖は、
周囲9㎞、面積275ha、平均水深0.6mの淡水湖で
美々川をはじめトキサタマップなどの清流がそそぎ、
湖の周辺には原野、湿原などの豊かな自然が形成されています。
1981年5月に日本野鳥の会が日本で最初に
野鳥の聖域「サンクチュアリ」を開設し、人と自然が触れ合う場として
多くの人が訪れています。
また、1991年12月には、湖を含む周辺約510haが
国内4番目のラムサール条約登録湿地に認定されました。
勇払原野の北西部に位置し、背後には工業地帯が広がっていますが
鳥類257種が認定され、日本屈指の渡り鳥の重要な中継地・越冬地
になっています。
氷が溶け始める3月から4月初めまでは、北へ帰る水鳥たちが群れる
四季の中で一番にぎわう季節です。
特にガン、カモ類やハクチョウなどの渡り鳥にとっては重要な中継地であり
マガンやハクチョウの集団渡来地として国際的に知られています。
苫小牧市
苫小牧(とまこまい)が全国区として知れ渡るようになったのは
近年では駒大苫小牧高校の夏の甲子園でした。
2004年と翌年連続して優勝し、2006年は準優勝。
札幌から南へ車で1時間半の距離で、室蘭とともに
北海道を代表する工業都市・港湾都市です。
明治期から製紙業が発展し、今でも街の中心部に製紙工場があり
「紙のまち」として知られております。
工場に立つ紅白に塗られている煙突は「王子の煙突」(おうじのえんとつ)
と呼ばれ、街のシンボル的存在です。
高度成長期には東部に大規模工業基地が建設され、1984年には
自動車部品製造工場が操業を開始します。
また市内東部には石油コンビナートが多数林立し、民間と国家を合わせると
国内最大の石油備蓄量。
苫小牧市の人口は173,895(平成20年)
瀬棚町
せたな町は、平成17年9月1日
大成町、北檜山町、瀬棚町の3町が合併して誕生しました。
せたな町は、北海道の南西部、日本海に面した檜山支庁管内の北部に
位置しています。
せたな町の北は島牧村に、東は今金町、南は八雲町に、西は日本海を
はさんで奥尻島をのぞみます。
地勢は北部と南部が山地となっており、その中間を一級河川後志利別
川が流れ、北部には道南の最高峰狩場山(1,520m)など1,000m級の山
々が連なり、南部には遊楽部岳(1,276m)や白水岳(1,136m)などが連な
っています。
北部の狩場山から海岸にかけては狩場茂津多道立自然公園に指定さ
れ、南部の海岸線の一部は檜山道立自然公園に指定されるなど、豊か
な自然環境を有しています。
せたな町の総面積は638.67平方キロメートルとなります。
カルルス温泉
カルルス温泉の由来は温泉の泉質を分析した結果ラジウムの豊富な
単純泉でチェコのカルロビ・バリーと同質のものとわかり同温泉が当時
ドイツ領でカルルス・バード(現カルロビバリ・チェコ共和国)と呼ばれて
いたことから「カルルス」と名付けられたそうです。
山峡の名湯・カルルス温泉の歴史は、1886(明治19)年、室蘭郡役所の
書記を勤めていた日野愛憙(ひのあいき)氏が屯田兵入植地として登別
川上流の調査をしていた際に、発見されたことに始まりますが、官吏とし
ては開拓に全力を注いでいた彼はこの温泉の開発までには至りません
でした。
ところがその3年後、彼の養子であった日野久橘(きゅうきつ)氏が再び
この温泉を発見。
試しに温泉の湯を飲んでみたところ、持病の胃カタルが治ったことから興
味を抱き、温泉の開発に情熱を注ぐことになります。
そしてついに1899(明治32)年、薬商であった市田重太郎氏と共同で許可を
得て幌別からカルルス温泉までの道路を開設し、旅館一軒、浴場一棟を建
て開業しました。
弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。