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  抜海駅(ばっかいえき)      

 抜海駅は宗谷線の終点稚内から2駅手前にある「最北の無人駅」である。                                                  現在の宗谷本線の鉄道ルートになったのは昭和5年4月1日のことで、それ以前
は音威子府を基点としてオホーツク回りの北見線(後の天北線)と日本海回りの天塩線だった。  


 大正13年(1924)6月25日に天塩北線稚内(現在の南稚内駅)―兜沼間を開業、
抜海・勇知・兜沼駅を新設された。
大正15年9月25日に幌延 - 兜沼間を延伸開業し天塩線全通、下沼・豊富・徳満・芦川駅を
新設し音威子府 - 稚内を天塩線となった。 


 1986年11月1日の電子閉塞化の際に無人化され、
冬季に保線要員が常駐するため駅舎は残された。
列車交換対応駅で無人駅としては日本最北にあり映画「南極物語」に出てくる駅。
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   クッチャロ湖   

  クッチャロ湖はオホーツクの枝幸郡浜頓別町にある。
  日本最北のラムサール条約指定地。 
  周囲27kmの海跡湖で、大沼(長径5.5km)と小沼(長径3.0km)の
  2つの沼が細い水路によってつながり、変形した瓢箪型。
  平均水深1.5m、約3km離れたオホーツク海の海水が、満潮になると入り込む。
 

  日本とロシアを渡る水鳥達の重要な中継地で、約290種の野鳥が記録されている。
  湖にはキャンプ場、温泉施設、白鳥公園などの設備があり多くの人が訪れ、
  平成7年に環境省で設置された浜頓別クッチャロ湖水鳥観察館は飛来する水鳥など
  の情報を発信している。


  
     天北線   

  線名は、敷設されていた地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。   

 旭川―稚内の建設工事は明治31年から始められた。
明治39年9月には名寄まで開通したが、次いで名寄以遠は第二天塩線として
継続されるはずだったが日露戦争で中止された。  

 明治42年に名寄―稚内間の建設着手が決定された。
名寄―音威子府(おといねっぷ)については問題なく進んだが、音威子府から稚内の
経路を巡って対立が起きた。
 天塩を経て日本海に出るルートと、オホーツク海岸に出て稚内に至るルートだった。
稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにも関わらず、大きく迂回する北見線ルート
が明治45年5月決定した。
当時、オホーツク海沿岸地主による我田引鉄の意図があり、稚内連絡と同時にオホーツク
海沿岸の地域開発が建設の名目にされたと言われている。 

 大正11年11月に音威子府―稚内が開通し、旭川―稚内全線が営業開始した。
北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継後の1989年に廃止された

   
 道内113番目の道の駅
 「縄文ロマン 南かやべ」 

   2012年時点で道の駅は全国に1000店舗ほどあるそうだが、
   北海道には現在114店存在する。

  北海道は日本国土の五分の一なので、まだ増えると思われる。
  ただし、経営的には難しくなっているので運営の形態は変わってくるだろう。 


  今年の10月に道の駅「縄文ロマン 南かやべ」がオープンした。    
 茅部郡森町から函館に至る国道278号の尾札部道路の臼尻・豊崎間が開通したので、
 札幌方面から噴火湾に入り鹿部からのアクセスが便利になった。 
  道の駅「縄文ロマン 南かやべ」は、国宝「中空土偶」をはじめ地域の貴重な
 縄文文化遺産を展示公開する「函館市縄文文化交流センター」をメイン施設とし、
 国内唯一の「国宝のある道の駅」として開設した。


                                                 国道244号の道の駅  
    叫びの像「四島への道 叫び」                                                                                   


   国道244号は根室から網走に至る国道である。
 通過する市町村は根室市、別海町、標津町、斜里町、小清水町、網走市だが
別海町に112番目の道の駅「おだいとう」が今年(2012年)オープンした。
「別海北方展望塔」からは、野付半島の豊かな自然や国後島を一望できる。
ちなみに、野付半島に行くには、入口は標津町からで先端半島が別海町。
                                                  

  敷地内には北方領土返還を願い建設された「叫びの像」がある。
像は「たとえ何代かかっても取り戻す」という気持ちを表すため、老女が息子、孫を
両脇に従え、すさまじい迫力で「返せ」と叫ぶ姿が像となっている。
  高さ2.4メートルの像の先には、北方四島をイメージした高さ15mの4本のポール
がそそり立ち、像とポールの間の距離は、野付半島から国後島までの最短距離16km
にちなんで16mとなっている。


北海道鉄道敷設
 1000マイル(1609キロ)達成
 
  大正5年(1916)5月29日、札幌中島公園の特設会場で
 北海道鉄道1000マイル記念祝賀会が開かれた。

 明治13年(1880)11月の開業以来37年間の達成で、全国に北海道の
 交通と拓殖を紹介するものだった。  

         官設鉄道区間別延長マイル(大正5年度末)  

  函館本線(函館―旭川・265.4マイル) 室蘭本線(岩見沢―室蘭・86.7)
  釧路本線(滝川―釧路・194) 網走本線(池田―網走・120.4)
  宗谷線(旭川―中頓別・106.7) 留萌線(深川―留萌・31.1)
  富良野線(下富良野―旭川・33.9) 
  幌内線(岩見沢―幌内・8.5、幌内― 幾春別・4.5) 歌志内線(砂川―歌志内・9)
  手宮線(小樽―手宮・1.7) 夕張線(追分―夕張・27.2、紅葉山―登川・4.8)
  上磯軽便線(五稜郭―上磯・5.4) 岩内軽便線(小沢―岩内・9.3)
  万字軽便線(志文―万字炭山・14.8) 湧別軽便線(野付牛―下湧別・50.6)  
                     官設鉄道計 974マイル  
  

  美唄軽便鉄道(美唄―沼貝・5.1) 苫小牧軽便鉄道(苫小牧―佐瑠太・25.1)   
                    私鉄鉄道計 30.2マイル

                                                  士別軌道   

 大正6年、天塩軌道会社創立発起人の大久保虎吉ら
によって士別―上士別間の馬車軌道敷設が出願された。

 士別御料地に属していた天塩川上流地域の山林は、
明治末期から大量の良材が伐採されていた。
大正8年に下付され8月に工事は着手され、翌年6月に
士別―上士間(14.5キロ)が単線で開通し営業が開始さ
れた。
次いで、上士別以遠の延長工事に着手し、大正14年6月
には上士別―奥士別間(現・朝日町中央)6.9キロが開通。


 士別軌道は設立当初、木材輸送を主目的としていたが、
奥地開発の進展に伴い農産物や日曜雑貨の輸送・旅客
が増加し、馬力から蒸気に変更、昭和3年9月に蒸気機関
車4両、貨車50両を導入。
 士別―奥士別(21.4キロ)の所要時間1時間40分。
更に、天塩川上流の国有林を管理する帝室林野管理局
によって昭和50年以降、総延長51.4キロの森林鉄道を
奥士別を基点にして敷設された。
その森林鉄道の貨車は士別軌道に乗り入れて士別へ
輸送されたので、士別は木材の集散地として発展した。 


 営林局経営の森林鉄道が昭和33年に廃止となり、
士別軌道も撤退し34年10月には軌道をバス事業に転換した。  


(写真は明治中期に上士別に移住した岐阜県民)


 
   北海道私設鉄道・軌道路線   

 鉄道が北海道にできたのは明治13年、手宮―札幌間が第一号だった。
石炭、砂金、木材、鰊などの輸送で企業も鉄道を開業していった。
 鉄道が先に作られ、その後に人が入植した。  


    施設・廃止線を年代に関わりなく拾い出すと。  
  北海道(函館)鉄道、大沼鉄道、渡島海岸鉄道、寿都鉄道、
  余市臨港鉄道、洞爺湖電気鉄道、胆振縦貫鉄道、胆振鉄道、
  登別温泉鉄道、軽石軌道、定山渓鉄道、札幌郊外電気軌道、
  札幌軌道、北海道(鉱業)鉄道、苫小牧軽便鉄道、沙流軌道、
  日高拓殖鉄道、早来軌道、夕張鉄道、三菱鉱業大夕張鉄道、
  三菱鉱業美唄鉄道、北海道炭砿鉄道幌内線、北海道炭砿鉄道空知線、
  北海道炭砿鉄道室蘭線、三井芦別鉄道、旭川電気軌道、留萌鉄道、
  天塩炭砿鉄道、羽幌炭砿鉄道、士別軌道、歌登町軌道、河西鉄道、
  十勝鉄道、北海道拓殖鉄道、ちほく高原鉄道、雄別炭砿尺別鉄道、
  雄別鉄道、釧路臨港鉄道、釧路鉄道、北見鉄道、湧別軌道、根室拓殖軌道、江当軌道 43線 

  昭和40年代に次々と石炭の山は廃坑となり鉄道も廃止され、町から人もいなくなり過疎地となった。           
                                                                                           (写真は、苫小牧機関車展示会場)

  

 厚田村(あつたむら) 8

 厚田村聚富は、明治4年4月本庄陸男の小説「石狩川」にある
仙台藩岩出山支藩の主従が最初に入植した土地である。

43戸・180名が一年半におよぶ不自由な生活に耐え、やがて当別
に新天地を求めて移った。
平成8年10月、厚田村の聚富側に「伊達邦直主従北海道移住の地」碑
が建った。
碑の石は、郷里・宮城県岩出山町産出の稲井石(黒色)を使用している。   



 (写真は当別にある本庄陸男の碑)


1980年(昭和55年)
 の北海道鉄道

  函館本線、江差線、
松前線、瀬棚線、胆振線、岩内線、
  札沼線、千歳線、幌内線、上砂川線、歌志内線、留萠本線、
  深名線、室蘭本線、日高本線、富内線、夕張線、万字線、
  根室本線、富良野線、士幌線、広尾線、池北線、白糠線、
  釧網本線、標津線、宗谷本線、天北線、興浜北線、興浜南線、
  名寄本線、美幸線、渚滑線、石北本線、相生線、勇網線、羽幌線  37線  

   赤色は2012年稼働。その他は廃線。

2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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