2012/08/08 09:37:15
三船遭難慰霊之碑
留萌郡小平町鬼鹿海岸には、
国指定重要文化財「旧花田番屋」と併設し「道の駅おびら鰊番屋」
更に国道232を挟んで「にしん文化歴史公園」があり賑わっている。
この一角に「三船殉難事件」が立っているが立ち止まる人は少ない。
◆三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)とは、終戦後昭和20年8月22日、
留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本船3隻
(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦による攻撃を受け、
小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件のことである。
◆慰霊碑は、留萌市の千望台に。増毛町の町営墓地には「小笠原丸殉難碑」がある。
◆8月22日には樺太引揚三船遭難遺族会主催の三船遭難慰霊祭等が行われている。
2012/08/06 08:52:24
「北海道命名の地」碑
音威子府市街から更に中川に向かう国道40号線から
天塩川に下りていく未舗装道路がある。
幕末の蝦夷地を探検家した松浦武四郎は、その記録を「天塩日誌」に
記しているが、その中に、北海道と命名した由来が書かれている。
安政4年(1857年)音威子府村筬島(おさしま)地区の鬼刺辺(おにさしべ)川付近
で野営した時、アイヌ民族の古老に「カイナー」と言う言葉の意味を尋ねたところ、
「カイ」は「この国に生まれたもの」で、「ナー」は敬語ということを教えてもらった。
明治2年の「蝦夷地」改称に先立ち、開拓判官であった武四郎は、
日本の「北」にある「カイ」、それに旧領土を指す「道」をつけ『北加伊道』という案を発想し、
これを含めた六道名案を由来とともに提案。
そして、この『北加伊道』を基にし、現在の『北海道』の名称が誕生したと言われている。