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北海道出身の作家
 
今 日出海 1
(こん ひでみ、1903年(明治36年)11月6日- 1984年(昭和59年)7月30日)小説家、評論家。初代文化庁長官を務めた。
 
函館に生まれた。三人兄弟の末子で、長兄は小説家で天台宗僧侶の今東光である。
日本郵船の船長であった父武平の転勤により、1911年(明治44年)に神戸市の小学校へ入り、1917年(大正6年)神戸一中へ進んだが、病気休学し、翌年東京の暁星中学へ移った。1922年(大正11年)、五年制中学の四年修了で旧制浦和高校に合格した。
1925年(大正14年)、東京帝国大学仏蘭西文学科へ入学し、辰野隆・鈴木信太郎らに学んだ。同期に小林秀雄・三好達治・中島健蔵らが、一年下に佐藤正彰・武田麟太郎らがいた。

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北海道出身の作家08bc4d29.jpeg
 
子母沢寛(しもざわかん) 2
 
『座頭市』は、62年の『座頭市物語』から89年の『座頭市』
まで映画26本、TV作品100本が作られた。
元は、下母沢寛が書いた
歴史随筆集「ふところ手帖」(61年、中央公論者)に収められた
400字詰め原稿用紙にして、20枚弱の短編「座頭市物語」が原作。
 

 下母沢寛は、天保期の侠客、飯岡助五郎の地元である飯岡に旅行し、
土地の人に座頭市の話を聞いたという。

その中で映画のキャラクターとの接点となる部分を拾ってみよう。
 
1) ”市さん”と呼ばれるその男は、飯岡助五郎の子分だった。
2) 盲目だが居合抜刀術の名手で、ある時宙に投げた酒徳利を、
    口を真ん中から底の方へ縦に真っ二つに斬り、このふたつのかけらを
    会わせると元の形になった。
3) 中年の頃からの盲目らしく、物の色や難しい言葉も覚えていた。
4) 大の博打好きで、しかも勘が良く、賽の目を読んだら百遍に一度も間違わなかった。
5) 大酒飲みだが、飲んで乱れたことはない。
6) おたねという貧乏漁師の娘と暮らしていた。
7) 笹川繁蔵を闇討ちにした助五郎のやり口に嫌気がさし、
    杯を返しておたねとどこかへ姿をけした。]
                                                              <座頭市シリーズ・誕生とその魅力>より
 



北海道出身の作家a32087f8.gif
 
子母沢寛(しもざわかん) 1
 
(1892―1968) 小説家。旧厚田村栄誉村民
明治25年2月1日、石狩郡厚田(あつた)村(現石狩市)に生まれる。
本名梅谷松太郎。
父母とは縁が薄く祖父母に養育された。
画家三岸好太郎(みぎしこうたろう)は異父弟にあたる。
祖父梅谷十次郎(通称斎藤鉄五郎)は彰義隊員として敗亡の身を厚田に定住させた。
北海中学を経て、1914年(大正3)明治大学法学部卒業。
釧路(くしろ)毎日新聞社入社。18年上京し読売新聞社に入社、千葉亀雄、沢田撫松(ぶしょう)ら
と親交を結ぶ。
 
26年東京日日新聞社に転籍。
史実と巷説(こうせつ)を現地踏査によって再構成し、
新選組の隊士らの実相を描いた『新選組始末記』(1928)、『新選組遺聞』(1929)、
『新選組物語』(1932)の三部作を完成。
33年(昭和8)以来文筆専業となる。
高橋泥舟(でいしゅう)の生涯を綴(つづ)った『逃げ水』(1959)、勝小吉(こきち)・
麟太郎(りんたろう)(海舟(かいしゅう))父子を描いた『父子鷹(おやこだか)』(1955~56)、
『おとこ鷹』(1960)など
幕末遺臣と江戸への挽歌(ばんか)を点綴(てんてつ)した
一連の作品により第10回
菊池寛賞を受賞(1962)。
随筆集『ふところ手帖(てちょう)』(1961)も好著として知られる。昭和43年
719日没。


北海道出身の作家GEKKOU.jpg
 
川内康範 3
 
日本的ヒーローの創造者
『月光仮面』を筆頭に川内三部作とも呼ばれる『レインホーマン』『ダイヤモンド・アイ』『コンドールマン』等、日本の特撮ヒーローの草創期に活躍した。
『月光仮面』のキャッチフレーズは「憎むな、殺すな、赦しましょう」であるが、これには康範が仏寺に生まれ育ったことが影響していると自から語っている。
昭和30年代のテレビ番組は外国製人気番組の全盛時代であり、貴重な外貨を費やす外国製番組に替えて国産番組を増やしていくことは時代の要請でもあったが、この依頼に対して日本独自のヒーロー番組を作り上げる上で、コンセプトは仏教で言う『借無上道』-無償の愛こそがこの世で最も尊いという康範の考えであった。
ゆえに、月光仮面は善悪区別なく誰にでも降り注ぐ月光を象徴した月光菩薩をモデルとして創造され、また絶対的な力を持つ超人=神仏(如来)ではなくその代行者に過ぎず、悪を懲らし善人を助けるが、裁きはしないという性格を与えられた。『借無上道』の精神は康範の手がけるヒーローすべてに共通するテーマとなっている。



北海道出身の作家
 
川内康範 2
 
1975年から監修として携わったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』は、1994年まで20年弱にわたる長寿番組となった。
1984年のグリコ・森永事件では、週刊誌上(週刊読売)にて犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかける。犯人は川内の申し出に対し「月光仮面の 川内はん あんたも ええ男やな」と前置きした上で、「けどなわしら こじきや ない」と拒絶したため(1984年11月22日付声明文)、このことで事件が収束に向かうことは無かったものの、大きな話題を呼んだ。
 
かつてはメディアの露出も多く、多数の週刊誌連載を抱えていた。
晩年まで地元紙である『デーリー東北』には時事問題等についての寄稿や投稿が多かった。
2000年代あたりからは、年齢及び体力的な問題もあり、公の場への登場は控えていたが「おふくろさん騒動」以後は再び公の場へ出る機会が増え、晩年は国民新党顧問に就任した。
2007年2月、歌手の森進一に対し今後自作曲の歌唱禁止を通告する会見を開き、いわゆる「おふくろさん騒動」が勃発。数十年ぶりに時の人となった。この騒動は新聞の社説にまで取り上げられた。年末には薬害肝炎問題の対応に苦慮する福田康夫総理にアドバイスしたとも言われる。
2008年4月6日午前4時6分、青森県八戸市の病院にて慢性気管支肺炎の為、88歳で死去。
 



北海道出身の作家kawauchi.jpg
 
川内康範 1
(かわうちこうはん、1920年(大正9年)2月26日- 2008年(平成20年)4月6日)
作詞家、脚本家、政治評論家、作家である。
函館市出身。本名は(きよし)。青森県八戸市に在住していた。
 
日蓮宗の寺に生まれる。小学校を卒業後、家具屋の店員、製氷工場、製缶工場、炭鉱夫などの数々の職業を転々とする。
大都映画で大道具だった兄を頼って上京。新聞配達をしながら独学で文学修業を重ね、日活のビリヤード場に就職。
人脈を広げて、日活の撮影所に入社する。
1941年、東宝の演劇部へ入社。やがて撮影所の脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当。その傍ら舞台の脚本なども執筆。東宝退社後、新東宝やテレビなどの脚本家、浅草の軽演劇の劇作家として本格的な活動開始する。
1945年、第二次世界大戦の戦没者の遺骨引揚運動を開始。1955年まで10年間続ける。また、 海外の日本人抑留者の帰国運動もおこなっている。
 
1950年代から1960年代にかけて、多くの映画の原作脚本を手がける。
特に、1958年に原作と脚本を手がけたテレビドラマ『月光仮面』は有名で、数多くの子供向け番組の原作や監修を手がける。
その後作詞活動も始め、「誰よりも君を愛す」、「君こそわが命」、「骨まで愛して」、「恍惚のブルース」、「花と蝶」、「伊勢佐木町ブルース」、「おふくろさん」など数多くのヒット曲を送り出す。



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安部公房(あべ こうぼう)
1924年3月7日- 1993年1月22日は、小説家、劇作家、演出家。
 
東京府北豊島郡(現東京都北区)生まれ(本籍地は北海道旭川市)。
少年期を満州で過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。
作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。
 
主要作品は、小説に『壁-S・カルマ氏の犯罪』(同名短編集の第一部。この短編で芥川賞を受賞)『砂の女』(読売文学受賞)『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など、戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』などがある。
劇団「安部公房スタジオ」を立ちあげて俳優の養成にとりくみ、自身の演出による舞台でも国際的な評価を受けた。晩年はノーベル文学賞の候補と目された。



北海道の木a336173ce7d361b2.jpg
 
ポプラ
ポプラは、ヤナギ科ヤマナラシ属 (Populus) の植物の総称。
 
ポプラが輸入された時期は明治の始めが通説です
「黒田清隆」が北海道を開拓をするにあたってアメリカから当時の農務局長ホーレス・ケプロン(1871年7月に訪日して1875年5月に帰国)を招いて農業と産業の基礎を作りました。その時にアメリカから農作物と洋種の樹木を多量に輸入しました。
札幌の町並みが完成したのが明治6年10月ですからその当時。

日本では、街路樹や、牧場の境界の目印や防風林として植えられる。
北海道大学や埼玉県立児玉白楊高校にはポプラ並木がある。
 
木材の利用として、幹はマッチの軸などに利用されてきた。
中国の内陸部では成長が早く活着が良いことに着目し植樹が行われている。成長に水分を多く要するようになる樹齢20年以前を目安に伐採されることが多く、単板や合板に加工され利用されている。地域の貴重な現金収入かつ防風林の役割を果たすことから、植樹が奨励されている。
韓国では朝鮮戦争で国内の木が多く失われてしまい、洪水が起こりやすくなってしまったため成長の早いポプラの木がニセアカシアの木とともに多く植えられている。
 
北海道美瑛町にはCMやドラマの撮影で使われ、観光名所になっているポプラの木がある。
2005年6月にドイツで行われたFIFAコンフェデレーションズカップでは、大量のポプラの綿毛が試合会場で乱舞する様子がテレビでも映し出された。ドイツではこの綿毛がアレルギー性鼻炎の原因になることもある。
ポプラは成長が早く高木となるが、その高さに比較して根が大きくならないことから台風などの強風に弱く、根ごと倒れることがある。
2004年の台風18号の折、暴風に襲われた北海道大学のポプラ並木は、大量の風倒木を出した。
1976年8月18日に韓国・北朝鮮の板門店で、視界の妨げとなるポプラの木を切ろうとしたアメリカ陸軍工兵隊に対して朝鮮人民軍が攻撃を行った。この事件はポプラ事件と呼ばれ、第二次朝鮮戦争にも発展しかねない軍事衝突だった。
 



北海道の政治家f222b6c0.jpeg
 
逢坂誠二
(おおさかせいじ、1959年4月24日- )は、日本の政治家。
衆議院議員(2期)、内閣総理大臣補佐官(地域主権、地域活性化及び地方行政担当)。
 
北海道虻田郡ニセコ町長(3期)、九州大学非常勤講師、札幌国際大学非常勤講師などを歴任した。
北海道虻田郡ニセコ町生まれ。倶知安高等学校、北海道大学薬学部卒業。
1983年、地元のニセコ町に入庁し、企画広報係長・財政係長などを務めた後、1994年にニセコ町長選に出馬し現職の町長を破り当選。なお、当時国内最年少の首長であった(35歳)。
町長在職中は情報共有に力をいれ、一般的な行政主体では公開しなかった情報を請求者に公開したり、町長が自ら集会所等に出向き住民との対話を図るタウンミーテンングの先駆けとなる行動を行ったりした。また2001年には全国初の「まちづくり基本条例」を制定して注目された。
町長として3期目を迎えていた2005年9月、町長を辞職し第44回衆議院議員総選挙に比例北海道ブロックから民主党公認単独1位で立候補し初当選。2007年2月、7月に行われる第21回参議院議員通常選挙に比例区からの出馬を打診され応諾したが、4月に民主党の常任幹事会で選挙態勢が整わないなどとして異論が相次いだため、最終的に転出を見送った。
2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙において、小選挙区の北海道8区から立候補、2期目の当選を果たした。同年12月、鳩山由紀夫内閣において地方分権、地域活性化及び地方行政担当の首相補佐官に就任した。
 
パソコン通信時代からのネットユーザであり、SNSやブログ、Twitterにおいて情報発信をしている。またネットを活用した政治活動を積極的に行っており、2009年6月17日に行われた国会での党首討論においてはテレビ中継を見ながらTwitterを用いて実況中継するなどしている。
mixiに参加しており、「衆議院議員 逢坂誠二の日記」を立ち上げたり「革命を愛す」コミュニティに所属するなどしている。2009年7月3日にmixi公認アカウントを取得した。
2009年1月8日、衆議院予算委員会質疑において、自分が見た夢の話を語った。


北海道の木 997421c14.jpeg
 
カツラ
 
カツラは北海道で一番大きくなる木といわれ、現在でも山裾、谷沿い には直径2mを超える伐根がみられ、往時の巨木の様子がうかがえる。
日本の代表的な名木のひとつで、芽吹き時の紫紅色、秋の黄葉が美しい木である。
カツラの語源は、香出(かつ)からの転訛といわれている。「古事記」でも香木真っすぐに伸びた幹から、沢山の枝をのばす。
一株で多数の幹をだすことがある。樹皮は灰褐色で、老木ではねじれるように裂けて薄くはげ落ちる。葉は広い心臓形で,縁には波状のなめらかな鋸歯がある。雌雄異株である。
 
20babe7c.jpeg分布・生態
日本各地に分布し、沢沿いなどの湿った肥沃地を好む。
 
材質・用途
材は均質で、軽く柔らかいので加工しやすい。
建築、家具などに利用される。葉は香りがよく、まっ香をつくる。
北海道産の碁盤、将棋盤の多くは、カツラでつくられ、長時間打っても肩が疲れな いといわれている。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
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