南西に流れ、切り立った渓谷を抜け、むかわ町洋光付近で太平洋に注ぐ。
紅葉の名所である福山渓谷が有名である。
ただし、上流部の川沿いにある道道はその大部分が悪路であり、悪天候の
場合には通行止めとなることが多い。
奇岩・巨岩が織り成す自然の造形の中を清流が流れる様はまさに荘厳な眺め。
赤や青の岩肌とそれを包むように茂る緑が、四季によって異なる表情を見せてくれる。
橋の上からの眺めや、赤い橋と自然のコントラストも美しい。ニニウと呼ばれるこの
エリアの散策途中に、必ず立ち寄りたい名勝地だ。
後志利別川(しりべしとしべつがわ)は、檜山支庁を流れ日本海に
注ぐ一級河川。
後志利別川水系の本流である。
瀬棚町今金町北東部の山越郡長万部町との境界にある長万部岳
付近に源を発し南へ流れる。
美利河ダムを経て西へ流路を変え、久遠郡せたな町北檜山区兜野
と、せたな町瀬棚区南川の境界から日本海へ注ぐ。
流域は温帯気候の北限に位置し、日本海を北上する対馬海流の
影響で比較的温暖。
流域は、先土器時代の美利河遺跡やアイヌ文化の遺跡が発見さ
れたように、サケの漁場として古くから開け、人々の生活の拠点でした。
江戸時代の寛永年間には、上流で砂金が取れる黄金の大地として注目
されました。
その後、明治20年代からは農業開発移住団が入植し、砂金に代わって
黄金色の稲穂が大地をおおう、道南有数の穀倉地帯へと変貌を遂げて
います。
また、サケやサクラマスがのぼり、アユやヤツメウナギなどが生息する
環境はたいへん美しく、全国の一級河川のなかで、国土交通省が毎年認
定する「清流日本一」に昭和62年から平成18年の間に10回も輝いています。
注ぐ一級河川。
尻別川水系の本流である。
を源とし、喜茂別川等の支川を合わせながら羊蹄山麓を流れ、蘭越町港
から日本海に注ぐ長さ126km、流域面積1,640km2の一級河川。
特に北海道有数の農業地帯であり馬鈴薯、アスパラガスや、ほしのゆめ、ななつぼし、きらら397、
おぼろづき等の米の名産地として知られています。
今後更に発展が期待されるニセコ山系のスキー・リゾート地と温泉地群は北海道観光の財産となっ
ています。
の小河川の流域を除いた範囲になる。
の境界に源を発し南へ流れる。
恵比島峠付近で西に向きを変え、留萌市幌糠町で北西に流れを転じ、
留萌市元町と留萌市塩見町の境界から日本海に注ぐ。
また、飲用水に適した取水場所がなく、留萌市の水道水は隣接する増毛町の新信砂川から取水して
いるのが現状である。
網走川(あばしりがわ)は、網走支庁を流れオホーツク海に注ぐ一級河川。
網走川水系の本流である。
網走郡津別町南部の阿幌岳南斜面に源を発し北に流れる。
大空町女満別住吉で網走湖に至り、網走市北一条東と網走市南三条東
の境界からオホーツク海に注ぐ。流域人口は約8万人。
網走川は、その源を阿寒山系に発し、山間部を流下して津別町で平野部
に出ます。
その後、津別川、美幌川等を合わせて美幌町を貫流し、大空町女満別に
おいて網走湖に入り、さらに北流して網走市でオホーツク海に注いでいま
す。
流域はオホーツク海型気候に属し、夏は涼しく、冬は流氷が接岸し冷え込みが厳しい地域です。
網走湖は、数千年前にできた海跡湖で、湖畔には天然記念物のミズバショウの大群落やアオサギ
のコロニーなどが見られる国定公園です。
常呂川(ところがわ)は、網走支庁を流れオホーツク海へ注ぐ一級河川。
常呂川水系の本流である。オホーツク海側では最大の河川であり、
サケも遡上する。
音を聞けばト・コロ・ペッ(To・kor・pet 沼・を持つ・川)と解されるが、
今の地図の上では然るべきト(湖沼)とつながっていない。
永田地名解によれば、昔時の常呂川はライトコロと呼ぶ支流が本流で
サロマ湖とつながっていたことに由来するとしている。
常呂川は、大雪山系の三国山に源を発し、山間部を流下し、置戸町勝山
において、仁居常呂川を合わせて,その後、置戸町、訓子府町を貫流し、北見
市内において無加川を合わせ、常呂町でオホーツク海に注いでいます。
冬は寒さが厳しく、海岸には流氷が流れ着き、内陸部では最低気温がマイナス30度以下になることも
あります。また、年間降水量は700~800ミリと日本でもっとも雨の少ない地域です。
流域には縄文やオホーツク、擦文(さつもん)文化の遺跡が見られるように、古代から独自の一大文化圏が築かれてきました。明治の開拓期も常呂川の恵みが人々の生活を支え、昭和の初期には、世界市場の7割を占めるハッカの生産地で知られました。現在では、日本有数のタマネギ産地となっています。
湧別川(ゆうべつがわ)は、網走支庁を流れオホーツク海に注ぐ一級河川。
湧別川水系の本流である。
湧別川は、その源を北見山地の天狗岳に発し、山間部の遠軽町白滝を
流下し、丸瀬布で武利川が合流し、遠軽市街において平野部に出て生田
原川を合わせ、湧別町でオホーツク海へ注ぎます。
ユベ(Yube 鮫)から出た名であるとする説や語源はユベ・オツ(蝶鮫・多い)
から出た、あるいはイベ・オツ・イ(魚・豊富である・所)とする説などがある。
流域は年間を通じてオホーツク高気圧の影響を受け、夏は比較的涼しく、道内でも雨の少ない
地域です。流域には、約1万6千年前に、黒曜石で湧別技法と呼ばれる石器を作り、狩猟生活を営
んでいた人々が暮らし、その遺跡が残っています。
開拓は、明治12年の紋別戸長役場の開設に始まり、明治43年の池田~野付牛間の鉄道の開通
により本格的に進みました。
現在では、ホタテやカキなどの養殖漁業、タマネギ、小麦、ジャガイモなどの畑作農業が盛んです。
また、流域市町村が一体となった「湧別原野オホーツク100kmクロスカントリースキー大会」や
「水ウォーク大会in湧別川」など、多数のイベントが開催され、湧別川は流域のシンボル的なもの
となっています。
天塩川(てしおがわ)
天塩川(てしおがわ)は、北海道北部の上川支庁および留萌支庁
を流れ日本海に注ぐ一級河川。天塩川水系の本流である。
長さ256kmは日本で4番目に長いが、大きな支流が少ないため、
流域面積は5,590km²で10番目にとどまる。
士別市南東の紋別郡滝上町との境界に位置する北見山地天塩岳付近
に源を発する。
名寄盆地を北へ流れ、天塩平野に出て天塩郡天塩町と幌延町の境界
を西へ流れる。海岸目前で南に向きを変え浜堤に沿って10kmほど流れ、
天塩町の市街地前で日本海に注ぐ。
過去には水運が利用されていた。
1900年(明治33年)の長門丸の就航に始まり、士別(1901年)や名寄(1904年)と
河口の間を往復していた。
1909年(明治42年)からは小蒸気船が遡行しはじめ舟運がさらに活発になった。
運行は4月中旬から11月下旬に限られ、冬は河川の凍結のため休業となった。