・1868年(明治元年) 幌内で良質な石炭が発見される
・1879年(明治12年)幌内炭鉱が開かれる
・ ・1882年(明治15年)官営幌内鉄道全通(北海道で最初の蒸気機関
を用いた鉄道)幌内駅開駅。幌内太駅開駅
炭鉱で栄え、街も賑わいを見せていたが、相次ぐ閉山で人口が激減。過疎の町となった。
北海道の石炭と鉄道、『北海盆唄』発祥の地であり、三笠メロンや邦梅園の梅等が有名。
地名の由来は、空知集治監にあった裏山が奈良の三笠山に似ているという、囚人が望郷の念をこめて当時から三笠山と呼んでいた。明治39年(1906年)、市来知・幌内・幾春別の三村合併のときにこの山の名を取って三笠山村とした。
昭和17年に三笠町が誕生し、昭和32年に三笠市(北海道内で22番目の市)となりました。
また、「エゾミカサリュウ」「アンモナイト」をはじめとした多くの化石を産する、地質学的にも重要な地域と言われております。
歴史
アンモナイト(イカ・タコの親戚)が遊泳し、エゾミカサリュウ
(大型肉食爬虫類)が往来をしていました。
時は流れ、地殻変動を繰り返しているうちに、地球は「石炭」
というエネルギー資源を作り出していました。
それから、またゆっくりと時は流れ、人の目は北海道の開拓に向けられ
始めました。
明治元年(1868年)に、幌内で燃える石「石炭」の炭層の露出面が発見
され、 明治12年(1879年)幌内炭鉱が開坑されるとにわかに人の往来
が盛んになり、明治15年(1882年)6月に市来知村が開村されました。
このときが三笠市の誕生です。
この年の6月に、北海道開拓を目的として空知集治監(現在の刑務所)が
市来知(いちきしり)に設置され、11月には幌内炭坑から掘り出された
石炭を輸送するための鉄道が幌内と手宮(小樽)間に北海道で最初
(全国で3番目)に開通しました。
明治19年(1886年)には幾春別炭坑が開坑し、以後石炭のまちとして栄えてきました。
昭和32年には桂沢ダムが完成し、湖が誕生。
その桂沢湖周辺からはアンモナイト化石やエゾミカサリュウ(国の天然記念物に指定)等の化石が発見され、アンモナイト化石のまちとしても注目を集めています。
この他、北海道の鉄道発祥の地にちなんだ鉄道記念館、日本一のアンモナイト化石の量を誇る市立博物館、1万6百本の梅林の広がる邦梅園、道の駅サンファーム三笠と農の館など見て、学んで、楽しむ施設が一杯です。