2009/09/14 00:46:07
砂川市
砂川の語源は、アイヌ語のオタ・ウシ・ナイを意訳したもの。
「オタ」は砂、「ウシ」は多い、「ナイ」は川を意味しています。
明治19年北海道庁の初代長官に就任した岩村通俊 は上川地方
の開発を進めるため、同年 高畑利宜に昼なお暗い原始林に覆わ
れていた岩見沢から忠別太(旭川)までの道路の開削を命じた。
囚人約500人を使って進めたこの工事により道路が開通し、
さらに明治20年に歌志内炭鉱の開坑したことから、この地は忠別太
方面と歌志内方面の交通の要所となり、人口は徐々に増加していった。
かくて明治23年に奈江村が設置され、「まち」としての第一歩が記された。
明治24年には歌志内の石炭を運び出すため、岩見沢-砂川間、砂川-歌志内間に鉄道が開設し、
「砂川駅」が設置される。この頃から砂川市街が形成され始めた。
道庁は鉄道工事に前後して砂川付近の土地区画測量を行い農民に貸し付け、これにより農民が入植。
市街地には商店、飲食店が増加していった。
明治23年には11人だった人口も27年には2,331人にまで増え、30年には歌志内が分村するが、
33年には7,000余りにまで至った。36年には砂川村と改称し、更なる発展が期待されていった。
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