2013/01/26 07:37:01
十勝国(とかちのくに) 40
官営工場
ケプロンは東京に滞在していたので北海道訪問は3回だけだった。
しかし、彼の人脈で揃えた各分野の技術者たちの意見をまとめ提案をした。
そのおかげで、中々進まなかった開拓事業は進み始めた。
大きな事業となったものは3つある。
これらに、お雇い外国人の技術指導が全面的に関わることとなった。
第一の事業は、札幌と函館をつなぐ道路の建設である。
日本で外国式に作られた最初の車道であった。これが札幌本道である。
北海道の中心を札幌と決めたので、最大の町である函館との連携を重視した。
開拓使予算の1/10にあたる100万円の投資であった。
第二の事業は、官営工場を作ることだ。
移住した人達に安く生活物資や生産資材を供給することである。
また、加工品を生産して販路をつくることだった。
全道に40ヶ所以上の官営工場を建設した。
第三に農学校の開設である。
明治5年4月に、開拓使仮学校を東京に開いた。
鉱物・地質・機械・化学・動植物などの学問を官費生50人、私費生50人の生徒
だった。これが、明治8年7月の札幌農学校として発展していく
(写真は、全道に作られた官営工場の地図である)
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