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十勝国(とかちのくに) 41
 ホーレス・スミス・クラーク
 
 
 日本にやってきたホーレス・スミス・クラークの最初の仕事は、札幌農学校の
学生として応募した若者(東京英語学校及び開成学校より応募)をテストすることだった。

 札幌学校 (札幌農学校の前身) から進級を認められた13人と、応募で合格した11 人
の学生と、クラーク・黒田清隆らは品川を出航し小樽へ向かった。
学生とはいっても、この時代は元武士の崩れたものもおり昼間から酒を飲んで騒ぐものもいた。
船の中で、同船した女性を巡って黒田を怒らせてしまう


黒田は、札幌につくる農学校では、特に道徳教育にも力を入れて指導していきたいと
考えていた。
この話にクラークは「道徳教育は聖書を使わなければ絶対にできない」と力説するが、
黒田は「キリスト教は300年に渡って禁止されていた宗教だ。
まして官立の学校が聖書を使うなんてできない相談だ。」と対立をした。

 
 しかし、クラークは札幌農学校の最初の授業のとき、英語の聖書に一人一人の学生
の名前を書いて渡した。そうして「ビー・ジェントルマン(紳士であれ!)」と要求した。
学生たちに精神の支えとしてのキリスト教の信仰を説いた。
クラークの強い信念に黒田は、聖書を使った道徳教育を黙認した。

ここで流れが変わってしまった。

 (写真は、明治8年の樺太・千島交換条約。黒田清隆が強く北海道開拓を進めることとなった)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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