2013/01/28 08:03:19
十勝国(とかちのくに) 42
主役がいなくなった明治維新
北海道の開拓は、明治維新後の日本再生の縮図といえる。
考えてみれば、明治維新に導いた主役は、その後の改革には皆亡くなっていた。
長州藩の吉田松陰・松下村塾の優等生高杉晋作、薩摩藩の西郷隆盛、土佐藩
の坂本龍馬。
維新後の日本国の骨格を作ったのは、当時海外視察をしていた者や脇役で動い
ていた人物が中央の政治に躍り出たのである。
初代総理大臣の伊藤博文ですら松下村塾では末席の人物であった。
何のための維新改革であるのか、100年先までのビジョンを語る者がいなかった。
お雇い外国人に助けを求めることは悪くはないが判断をするのは日本人である。
ケプロンの報酬は、当時の総理大臣よりも高いものであった。
また、函館までの札幌本道にかかる費用は開拓使10年計画の1/10の投資である。
十勝国開祖である晩成社の依田勉三が、道一本の嘆願書を何度も出しがナシの
つぶてとは大違いである。
また、官立学校教育の道徳に宗教を持ち込んでしまったことで、鎌倉時代から
培ってきた日本人の思想が簡単に中に浮いてしまった。
欧米かぶれと言われてもしかたがない。これは終戦後も同じことが起きた。
明治維新以後日本人の思想に大きく根付いてきた悪しき傾向であろう。
(写真は、徳川家康の黒印状)
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