2010/07/17 00:00:16
(よしばやま じゅんのすけ、本名:池田 潤之輔(いけだじゅんのすけ)
1920年 (大正9年)4月3日- 1977年 (昭和52年)11月26日)は、
厚田郡厚田村(現、石狩市)出身の大相撲力士、
第43代横綱。身長179cm、体重143kg。
第43代横綱。身長179cm、体重143kg。
大相撲入門
幼少時は裕福だった網元の家庭だが3年続けての業績不振により倒産。
北海道製糖(現日本日本甜菜製糖)に就職するが、
「学歴がなくては出世は無理」と考え、勉学に励もうと一念発起して列車に乗って上京、
この時近くに大きな体をした少年がいたらしいが途中で姿を消してしまう。
上野駅に到着すると力士2名に出迎えられ高島部屋に連れて行かれた。
実は先述の姿を消した大きな少年(結局この少年は上京を中止した)が高島部屋に
入門を希望していたのだが、彼と間違われて連れて行かれたのだ。
部屋で人違いであることを説明したが、高島親方夫人に説得されそのまま入門した。
四股名は北海道製糖に因み北糖山にした。
「学歴がなくては出世は無理」と考え、勉学に励もうと一念発起して列車に乗って上京、
この時近くに大きな体をした少年がいたらしいが途中で姿を消してしまう。
上野駅に到着すると力士2名に出迎えられ高島部屋に連れて行かれた。
実は先述の姿を消した大きな少年(結局この少年は上京を中止した)が高島部屋に
入門を希望していたのだが、彼と間違われて連れて行かれたのだ。
部屋で人違いであることを説明したが、高島親方夫人に説得されそのまま入門した。
四股名は北海道製糖に因み北糖山にした。
1938年(昭和13年)に盲腸炎(虫垂炎か?)を患い、生命も危なかったが、
吉葉庄作医師の手で全快し恩に報いるべく四股名を吉葉山に改名した。
吉葉庄作医師の手で全快し恩に報いるべく四股名を吉葉山に改名した。
だが幕下優勝を果たし十両昇進目前の1942年(昭和17年)に軍隊に応召し、
戦地で少なくとも銃弾2発の命中を受ける。
このうち1発は貫通だった。
本土には死んだとの情報まで伝わり部屋の名簿からも名前が消されていたが
1946年(昭和21年)6月になってようやく復員することが出来た。
戦地で少なくとも銃弾2発の命中を受ける。
このうち1発は貫通だった。
本土には死んだとの情報まで伝わり部屋の名簿からも名前が消されていたが
1946年(昭和21年)6月になってようやく復員することが出来た。
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