2010/08/25 00:45:36
大友亀太郎(おおどもかめたろう)5
1871年には札幌新村と合併することになった札幌元村が、
新たに「札幌村」と名付けられた。
大小多くの河川や肥沃な土地に恵まれた地域一帯では、
札幌黄を生み出した玉葱耕作など、新しい形態の農業が行われた。
その一方、亀太郎は故郷で神奈川県議会の議員選挙へ出馬
1881年に当選して地域の発展に努めた後、1897年にその生涯を閉じた。
1986年5月に大友亀太郎像建立実行委員会は、亀太郎の功績を後世に残す
目的で像を作成した。製作に彫刻家の松田与一ほかが携わっている。
この像はかつて大友堀と呼ばれていた創成川のほとり(中央区北1条西1丁目)に
建設されたが、2005年より創成川両側のアンダーパスを連続化する工事が開始
されたことを受け、暫定的に札幌村郷土記念館の敷地(東区北13条東16丁目)に
移設されることとなった。
亀太郎の役宅が建っていた場所に位置するこの記念館には銅像のほか
亀太郎に関連する古文書が多く収蔵されており、資料と土地は1987年2月20日
に札幌市の有形文化財、及び史跡に指定されている。
他に、御手作場が存在していた土地には現在「大友公園」が造られている。
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