2010/07/30 00:05:42
岡山県人加藤清徳は神主の息子で神戸のキリスト教信者達を
講義すベく神戸に出向いた折、偶々鈴木清と相知り、
加藤は鈴木清の説得に反省、進取の気象に富む鈴木清の勧誘に
屈伏し北海道荒野開拓を決意する。
講義すベく神戸に出向いた折、偶々鈴木清と相知り、
加藤は鈴木清の説得に反省、進取の気象に富む鈴木清の勧誘に
屈伏し北海道荒野開拓を決意する。
明治13年3月赤心社を設立。
発起人は鈴木清、橋本一狼、加藤清徳の三名。設立趣意書案を
草したが一番肝心の北海道の実情も移住手続きも知らなかった。
そこで開拓使の御用雑誌『開拓雑誌』を発行している学農社に教示を求めた。
草したが一番肝心の北海道の実情も移住手続きも知らなかった。
そこで開拓使の御用雑誌『開拓雑誌』を発行している学農社に教示を求めた。
赤心社が北海道に大地積の払い下げを願い出ようとしたころ、政府は開拓政策を
転換されようとしていたので、赤心社の前途はきわめて明るかった。
転換されようとしていたので、赤心社の前途はきわめて明るかった。
発起人三名は『同盟規則』を作成し、
4月には『赤心社設立の趣旨』を広告して、株主の募集を開始し、
6月に結社出願8月5日にその許可を受けた。
4月には『赤心社設立の趣旨』を広告して、株主の募集を開始し、
6月に結社出願8月5日にその許可を受けた。
赤心社の名は同盟規則第17条に『嗚呼我が同志愛国の諸君よ、僅かの酒食料の
一部分を投じて永く子孫の生産を図り、併せて報国の赤心を奮起する意なき歟』に由来する。
一部分を投じて永く子孫の生産を図り、併せて報国の赤心を奮起する意なき歟』に由来する。
それより以前の7月17日には『赤心社副規則』案を発表した。
これは入社(株式手続き)・役員選挙・役員派遣費・移住者手続きについて規定したもので
後に同盟規則は『定款』となり、副規則案は『耕工夫規則大旨』にかわった。
8月26日には株応募者を集めて役員の選挙を行い、社長に鈴木清、副社長に加藤清徳が選ばれた。
これは入社(株式手続き)・役員選挙・役員派遣費・移住者手続きについて規定したもので
後に同盟規則は『定款』となり、副規則案は『耕工夫規則大旨』にかわった。
8月26日には株応募者を集めて役員の選挙を行い、社長に鈴木清、副社長に加藤清徳が選ばれた。
これは現今の株式会社創立総会に当たるもので、赤心社はこの日を以て創業記念日とした。
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