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赤心社 2
 
 明治14年1月株主総会を開いて、『耕工夫規則の大旨』を決定し
株主中より委員を選出した。
この委員の中には、旧三田藩主九鬼隆義や同大参事白洲退蔵らも名を連ねている。
13年8月に始まった株の募集は、4月に至って六百株
(一株六十円、一時払込みでも一月五十銭、十年を以て満額としてもよかった。
後者は移住民でも容易に株主になれるよう配慮したもの)に達したので、移民募集に着手した。
赤心社の本社は神戸栄町3丁目に置き、社長は本社に居り、副社長は現地に駐在することになった。
本社は後に神戸区東町116番地に移転している。
 
第一次募集に応じた移民は途中暴風雨に合い函館で
20日間の滞在を余儀なくされ、5月19日浦河に到着した。

6月28日社長鈴木清は第一次入植状況を視察するため神戸を発し、
東京で所用を足して7月31日浦河に着いた。
早速開拓地を視察したところ、開拓されたのは僅かに七反歩で、あまりの業績不振に
鈴木は唖然とした、加藤の報告を聞き状況を知り、ただちに対策を立てた。
すぐさま札幌に赴き開拓使勧業課、租税課その他各方面に奔走して、農事指導者を迎え、
為替送金、麻種の払い下げ、耕牛・機械類の購入に成功し、失望離散した移民を集め激励した。
この様に社長自ら陣頭に立って態勢をたて直しを計る一方、近傍の地所を視察し、
元浦川流域を新たに開墾地に選んだ。
当初土地選定を誤ったものの今更この地を捨て他に転ずるは不可能であるから
『千難屈せず万難撓まず、忍耐奮勉十年一日の如くならば、豈この志を遂げざる事を得んや』
との決心であった。
 
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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