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赤心社 3
 
 開拓初年度の成績は、いろいろ障害にあい、50町歩を耕す予定が
僅かに18町歩にとどまった。
神戸に帰った鈴木は第2次の移民募集を開始し、とくに開拓地管理人
に適する人物を探し求めた、たまたま神戸で製乳業を経営し、
牧畜の知識を有する同郷の澤茂吉に目をつけた。
澤は鈴木の説得に応じ、明治15年4月母や妻の同意を得て意を決して赤心社に入社した。

鈴木は前年入植した幌別川流域を第一部とし、副社長加藤清徳に任せて、
鈴木自身が選定した元浦川流域を第二部として、澤茂吉を部長に、
同郷の和久山磐尾を書記にそれぞれ任命した。
澤は4月15日第2次募集で得た移民同郷の向井鉦太郎・裕蔵兄弟を含む
80余人を引率し神戸を出発、5月10日浦河に到着した。
この年新しく開拓されたのは40町歩、播種反別58町歩余に及んだ。

赤心社明治15年度の営業報告によれば、播種品目は蕎麦・裸麦・粟・大豆・小豆・玉萄黍など、
蔬菜は麻苧・馬鈴薯・南瓜・蘿蔔などになっている。
この年赤心社では方針を一部変更した。
それは応募株数が二千株に達したので、一時株の募集を止め、手を拡げない消極策である。
 明治16年3月の株主総会で、副社長加藤清徳の現地開墾、監督指導の失敗と、
理想主義に燃えながらも事務的管理能力の欠乏により皆の人望を失い辞任し、
澤茂吉が後任に選ばれた。

以後澤は幌別川流域と元浦川流域の両開拓地を管理することになった。
3月は暴風雪による家屋の損害がひどく、7月から9月にかけては旱害に
悩まされ、その上あぶら虫の異常発生による被害がひどく、蝗虫は山野に充満するほど
飛来して地上に四寸も積み重なり、粟・稗・黍などはもっともひどい損害を受けた。
10月には豪雨の襲来で川は至るところで氾濫し、田畑は冠水、
家屋は床上浸水などの損害をこおむった。
このような被害の連続で移民の意気はまったく阻そうし、飢餓に迫られたが、
澤は根気よく彼等を励ました。
そのためこの年は50町歩に近い新墾地を開き、加えて百町歩あまりに種まきし、
夏季以降のたび重なる災害にもかかわらず二千余円と予想外の収穫を上げることができ
将来に希望を見出すことができたのである。
 
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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