2011/03/14 00:30:19
北海道の平野(当別町編1)
北海道開拓の
歴史は明治維新後(明治2年)旧幕府家臣によって始まります。
江戸時代末期の仙台藩一門・岩出山「伊達家」当主伊達邦直は、
北海道開拓に身を投じ今の当別町の基礎を築いた人です。
伊達邦直は、明治維新後それまで一万四千石あった禄高を六十五石に
減封され、城は召し上げられ家臣の士分を剥奪されました。
侍ではなくなった家臣達は帰農を命ぜられ、伊達邦直は私財を処分し
得た資金で新政府の推し進めていた北海道開拓を志願します。
北海道開拓の願を許され1869年(明治2年)石狩国空知郡の支配を
命ぜられます。しかし、この地が問題でした。
空知郡は内陸部で物資の輸送等が困難のため海岸近くへの移転を
申し入れます。しかし、叶わず家老が太政官に申し入れたところ不届き者
で自宅謹慎を命ぜられる始末でした。
明治3年伊達邦直は北海道に渡り調査を行います。
政府から指定された入植地は大雑把な指定で、何処を開拓するかは
現地開拓使との交渉が必要でした。
空知郡では開拓の見込みが立たないことから、交渉の末厚田郡繋富
(シップ・石狩市厚田区聚富)の荷揚場を借用する事が認められます。
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